皆様、今日もお疲れ様です。
※注意※ 今日も有益な記事は含まれていません。
本業でメンタルが疲れまくっている男の話です。
大人はなぜ働かなくてはいけないのか?
日々考えさせられる。
今の職場は、専門職であっても、4交代の毎日出勤時間が違う超不規則な勤務。
あまり詳しくは書けないけど、
発達障害、愛着の障害、知的な障害、そして虐待経験などをトリプルコンボ以上で抱える児童のための入所施設で働いている。
はっきり言って、毎日暴力と暴言、破壊行為に満ち溢れたかなり危険でストレスフルな仕事。
興奮して、不穏になった児童の暴力行為に対して身体を張って制止する「押さえ込む」のも仕事、不穏に陥る前の児童の言葉を拾い爆発を抑えるのも仕事、ちょっとでも気にくわないことがあると、「死ね、ぶっ殺す」と言われることは1日20回以上というかなり特殊な施設に勤務しております。
そんな気を張ったいわゆる「児童の把握の時間」が1日の8割、残りの時間で集中して、その日の記録とケースワークする日々。電話をかけた相手が出れないだけで、焦る焦る。思い道理にいくことなんてまるでない。
もちろん飲み物飲んでいる暇なんてないし、昼飯は掻き込むだけ。暴力の恐怖を切り替える時間もないまま、期限や納期のせまった書類を片付ける。
ぶっちゃけ、自分の専門職に対する自信やこれからの人生に対する希望も失っていく。ミッドライフクライシスも不安感を加速させてゆく。
でも、誰かがこの社会の秩序を保つため、そういう仕事もしなくてはならない。
フランス語で仕事のことをトラバーユという。語源は「苦痛」に端を発している。
仕事とは苦痛に耐えることだと常々思ってしまう。
さぁ、明日は宿直だ。心から平和な夜になることを願う。夜中くらいはサービス残業でもいいから、自分でしっかり考えていいカンファレンス資料を作りたい。二時間睡眠で勤務終了したら児童を外出に連れていかなきゃ。
だからこそ最低限職員同士は仲良くやってゆきたい。
そんな思いを胸に今日もストレスと緊張で眠れない夜を睡眠薬で誤魔化し眠る。
それが、俺の仕事。ストレスに耐えかねて飲酒して、お風呂に一緒に入れなかった息子よ、ごめん。
事情を理解して育児をしてくれる妻へ、本当にありがとう。
明日も大怪我しませんように。