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高価なアクセサリーを買うときは意味がある

先日、リング2つを買い取ってもらった。扉写真の2つだ。

ひとつは、ポンテベッキオのルビーリング。もうひとつは、ずいぶん前に藤原紀香が立ち上げてたNEWYORK DIARYというブランドの太めのリング。いずれも18Kだ。

最近、自分に合うカラーというのがなんとなくわかってきて、シルバーよりはローズゴールドをつけるようになった。そして長くつけたいものを考えるとあまり大きな石付きのものは指にはつけない。

一昔前の自分はそこまで考えなかった。ただ、今でもそうだが、高価なアクセサリーを買うときそこには裏の意味がある。ただ欲しいだけではない。もちろん表沙汰にはしないが、ある。

この2本とも、結婚していたときに買ったものだ。ポンテベッキオは半分出してもらったんだったかな。薄情ながらもう忘れかけている。
いずれにせよ、買うときに意味があった。太いシルバーゴールドのリングは「自分の思い描く憧れ像に近づきたい」と言う願望を込めて。ポンテベッキオは「わたしは愛されてると思いたい」という欲。

一人暮らしが始まったとき、この2本を結局手放さなかった。いつかつけるかもしれない、なんとなくそう思ったのだ。高い買い物だからもったいないというのも少なからずあったと思う。

今回、久しぶりにこの2本を見つけたのではない。ただ思い出したのだ。そういえば全くつけてないものがある、と。なので実はちゃんと探した。もうひとつあった気がしたのだけどまだ見つからない。

さっさと手放したくなったのは、これを買った時の意味と今がもう合わないから。そして持ってることでなんだか今の足を引っ張っているようにも思えたから。全くもったいないという気持ちにならなかった。

18Kなので、気持ちいいくらいに潔く売れた。それと同時に、買った時に込めた意味も空中分解した気がした。

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あっち
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