沼をつくりたい
駄菓子屋のその先に
友人から聞いた話。
子ども食堂でボランティアをしていると言うと、周りから「偉いね」と言われる。
それは多分、世間が抱く「子ども食堂」のイメージが影響していて、恵まれない子どものためにボランティア活動をしているあなた、という捉えられ方をされているから。
友人は「偉いね」という言葉に違和感を覚えたと言っていた。
子ども食堂でボランティア活動をしている背景にある想いと、「偉いね」の言葉の背景にある捉えられ方に、ズレを感じたのだと思う。
「だから私は、駄菓子屋に行けばいつでも会えるおばあちゃんになりたい」
と、その友人は言った。
は??
「駄菓子屋で働いているよ」と言えば、周りも「そうなんだ~」くらいで終わる。
確かに。
子どもたちも、「子ども食堂に行ってくる」より「駄菓子屋に行ってくる」の方が言いやすいでしょ?お母さんやお父さんに。
確かに。
でも、駄菓子屋が駄菓子を売っている場所としてだけでなく、奥に行けばおばあちゃんがいつもいて、近所のお兄ちゃんお姉ちゃんもいて、学校では聞けないようなお話を聞ける空間が広がっている。
実は子どもにとっての大切な場所として機能している。
「駄菓子屋」という名前や外見からでは分からない、その先に広がる世界にこそ、その友人が考える想いが体現されている。
友人は例え話で駄菓子屋を使ったのかもしれない。
でもそれは、子ども食堂でボランティアをしていたときの想いと本質は変わらないんだと思う。
病院のその先に
病院は治療を受ける場所。
小児病棟で生活している子どもはみんな、何かしらの病気と闘っている。
来たくて来ている人はいない。
でも、せっかく来たなら何か面白いことがあると良い。
例えば、カンボジアの小学校では日本のように音楽や美術が必修科目でなかったりもするけど、小児病棟のプレイルームに行けばアート教室に参加できたり楽器の練習ができたり。
仲良しの友達や看護師さんに会いに行くことが楽しみになったり。
これまで出会ったこともなかった「日本人」と仲良くなって、自然と異文化交流になっていたり。
病院が病気を治す場所としてだけでなく、奥に行けば面白い仕掛けがあって、仲良しの友達や医療従事者の方がいて、日常生活では味わえないような日々を過ごすことができる空間が広がっている。
その空間が、治療を頑張る子どもにとっての大切な支えとして機能している。
「病院」という名前や外見からでは分からない。その先に広がる世界もまた、心を救う医療の一端を担っている。
せっかくなら
お菓子を買いたくて駄菓子屋に来たのか、治療を受けなければいけなくて病院に来たのか、背景は全く違う。
だけど、せっかくそこに子どもが足を踏み入れたのなら、予想もしていなかったような面白いことが中にあったら楽しい。
テーマパークのようなエンターテインメント性や、こたつのような愛ある温もりが、子どもにとっての支えとなり、そして辛いことを忘れて何かに夢中になれる環境となり、
「そういえばもともと何しにここに来たんだっけ?」
となるくらい沼らせたい。
せっかく来たなら。
せっかくやるなら。
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