私とヘルプマーク
こんにちは。れんなです。
今回は、私とヘルプマークの関係についてお話していこうと思います。
電車で立ってられない
この記事を書いている私自身も、ヘルプマークを持っています。
私がヘルプマークを持とうと思ったきっかけは、大学への通学で使う満員電車で立っているのが辛いと感じたことでした。
現役で受かって3年の頃に辞めた大学は、家から1時間かかりました。
今通っている大学も、50分ほどかかります。
どちらも、混むことで有名な路線です。
通勤ラッシュや帰宅ラッシュの時間帯に席が空いていることなど、ほとんどありません。
さらに今の大学は、前の大学より近いものの快速電車に乗らなくてはいけないことが、立ちっぱなしの身体への負担をより大きくします。
スピードが上がれば、揺れも激しくなるからです。
治療できない障害
先ほど紹介したツイートをしたとき、何の病気を患っているのか問いが寄せられましたが、私のそれは、病気ではなく障害の一部です。
DCD、発達性協調運動障害という、発達障害の一部です。
詳しいことは上の記事に書いであるのですが、私の身体は、異常に不器用です。
立っている間はもちろん、座っている間でさえ身体にあり得ないほど異様に力が入って、体力が奪われます。
それが、揺れている電車の上ならなおのことです。
DCDを含め、発達障害に関する支援はまだ発展途上にあり、成人向けの支援はお世辞にも十分とはいえません。
そんな中、私は発達障害、ASDとADHDの支援も必要としています。
私がASDとADHDの治療のために通っている病院は、高くつくうえ、家から2時間もかかる場所にあります。
仮に成人向けのDCDの症状を緩和する処置ができる場所があったとしても、これ以上通院先が増えては困るのです。
付けている当事者の方との出会い
私には以前、母とのいざこざを機に不登校になっていた時期がありました。
そのとき、いわゆるサードプレイス、生きづらさを抱えた方の集まるお店にお世話になっていました。
そこには、ヘルプマークを付けておられる方が何人がいらっしゃいました。
精神疾患とADHDでストレスに弱く、電車から降りられなくなってしまう方。
LDで考えるのに頭を使いすぎてしまい、低血糖で倒れてしまう方。
など。
その中には、私にとってすごく身近な方もいらっしゃいました。
だから、ヘルプマークへの偏見や侮辱を他人事とは、とても思えませんでした。
他人事でなくなる可能性は大きい
この記事を読む方には、「ヘルプマークなど自分には関係ない」 という方もいらっしゃるかもしれません。
しかし人間は、いつ病気になるか分かりません。
不慮の事故も、気が付かないうちに進行する病気も、たくさんあります。
ここで、あなたが目に見えない病気や症状で苦しむようになったと仮定します。
その病気や症状で今にも倒れそうなのに、誰も手を差し伸べてくれなかったとしたら、あなたはどう思いますか?
たとえ自分がそうならなかったとしても、自分の大切な人がそのような状況になってしまうかもしれません。
その人に手が差し伸べられず、辛い思いをしたら、あなたはどう思いますか?
そう考えると、ヘルプマークを他人事というのは、あなたやあなたの大切な人にとってもすごく酷なことだと思います。
だからこそ、手を差し伸べてほしいのです。
情けは人の為ならず。
自分や自分の大切な人が苦しんでいるときに、当たり前のように手の差し伸べられる社会を作るのは、あなた自身なのです。