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交渉って言うほど簡単じゃない
こんにちは。れんなです。
ヘルプマークを着けて電車に乗って席を譲ってもらえない…旨のツイートをすると、このようなご意見をいただくことがあります。
声を掛けたりはしないんですか?
— wiwaxia (@wiwaxia0) October 5, 2020
ヘルプマークの意味を知らない人もそれなりに居ると思うんで突っ立ってるだけだと譲って欲しいことに気づかない人も少なからず居るので
私も、声をかける必要性を感じないわけではありません。
しかし、それができない方が多くいらっしゃるのです。
今回は、ヘルプマーク当事者の方がその場で声を挙げることが困難な理由をお話します。
(「発作が起きた」という、明らかにコミュニケーションが困難になる状況は除きます)
精神疾患の場合
そもそも、精神疾患の当事者の方は、他者に助けを求めることが得意ではありません。
助けを求めることは、他の人にとって迷惑だ。
助けを求めずに生きることは、立派だ。
このような考え方から、他者に相談できず自らの心理的問題を抱え込んで、精神疾患になっている方もいらっしゃいます。
また、心理的問題に関して助けを求めるに値する信頼できる他者が周囲にいなかったため、精神疾患になってしまうこともあります。
そのような方が、精神疾患になることによって、余計に助けを求めることが苦手になることがあります。
助けを求めても、救われない。
人と話すのが億劫だ。
このように考えていると、「助けて」と声に出して言う勇気は、ほとんどなくなっているに等しいでしょう。
それでも、発作を起こして動けなくなってしまったり、倒れてしまったりしたら困る。
ヘルプマークは、そんな方々の精いっぱいの意思表示なのです。
発達障害の場合
私は、発達障害 (ASD、ADHD)の当事者でもあります。
発達障害当事者の方には、二次障害として先述した精神疾患を患っている方が多数いらっしゃいます。
それに加え発達障害当事者は、元々の特性によりコミュニケーションに大きな困難を抱えている場合が少なくありません。
どのタイミングで声をかけるのが最適か。
誰が席を譲ってくれそうか。
電車内で出していい声量はどれくらいか。
不快にならない言い方はどんなものか。
そもそも、そこに席を譲ってくれそうな人はいるか。
これらを、発達障害 (特にASD当事者) は感覚的に理解できないため、意識して考えなくてはいけないのです。
二次障害による精神疾患やその他身体的に辛い状況の中、発達障害者が交渉をするのは、大変な困難です。
身体が病めば、心も病む
精神疾患・発達障害のいずれにも当てはまらなかったとしても、ヘルプマークを着けている方が声をかけるのには困難があります。
なぜなら、身体の症状は多かれ少なかれ、心にも影響を与えるからです。
更年期障害は、卵巣機能の低下による女性ホルモンの減少が原因で起こる、身体の様々な異変の総称です。
しかし、女性ホルモンの減少は感情と深いかかわりのある自律神経にも影響を与えます。
その結果、怒りっぽくなる、精神錯乱など、まるで精神疾患のような症状を引き起こします。
ここまででなくても、ただ見えない身体的症状があるというだけで、心は傷つきやすくなります。
精神疾患の例で挙げたような心理的状態に、身体疾患や内部疾患の方が陥らない保証は、どこにもないのです。
記事を書いたきっかけ
この記事を書いたきっかけは、雨宮紫苑さんの記事を読んだことです。
この記事で、雨宮さんはこのように述べています。
配慮をお願いする側なんだから、「こういう事情なので席は譲れません」「譲ってください」ってコミュニケーションで解決すればいいだけじゃないかなーって思う。
この後、「精神疾患がある場合、それが困難な場合がある」旨の指摘をもらい、雨宮さんはこのようにツイートしています。
1ヵ月近く前の記事についていきなりいろいろな意見をいただいてびっくりしている雨宮です。
— 雨宮@『日本人とドイツ人』新潮新書 (@amamiya9901) April 19, 2018
ご指摘いただいたように、精神疾患などで他人とコミュニケーションをとること自体がつらい、という方たちについては考慮していませんでした。反省するとともに、教えていただけてよかったと思っています。
わたしは「言いたいなら言えよ」と思ってしまう性格ですが、それができない、むずかしいという人もいることは考えておくべきでした。そういう方にとって、ヘルプマークは重要なのですね。ご意見、ありがとうございました。
— 雨宮@『日本人とドイツ人』新潮新書 (@amamiya9901) April 19, 2018
そのため、助けてほしくてもヘルプを声に出せない人への認知度を高めたいと思い、この記事を書きました。
使う側にもマナーは必要
先ほどの記事の執筆者である雨宮さんも、バセドウ病を患っています。
少し階段を上り下りするだけでも息切れしたり、手足の震えがあったりしたことがあるそうです。
そして優先席に座っていた時、目の前にマタニティーマークを着けている妊婦が立っていたことがありました。
妊婦は何も言わずに、お腹をさすったり、マタニティーマークを見せつけたりして、無言の圧力をかけてきたそうです。
これについて、雨宮さんはこのように語っています。
あのね、わたしは病気なんです。
赤の他人に配慮を求めるくせに、他人にも事情があるかもしれないって想像しないのかな?って思っちゃって。
あなたも大変だろうけど、わたしも大変なの。座りたいなら、自分で口に出してよ。そしたらわたしも、「わたしにも事情があるんです」って説明するからさ。
心や身体を病んでしまえば、自分のことでせいいっぱいになってしまうのは致し方ないことでしょう。
私も見えないものを想像することが困難な障害を持っているので、可視化されていない他者の事情を慮ることは苦手です。
ただ、この一節は的を得ていると思うのです。
もう一度書くけど、ヘルプマークが悪い、つけている人がオカシイなんて思ってない。わたし自身席を譲ってもらって助かったことがあるから、座りたい気持ちもわかる。
ただ、「マークをつけてるんだから配慮してもらって当然」ってナゾの上から目線はちがうかなってだけ。お願いする立場だよね、わたしたち。
ヘルプマークを正しく認知してほしいなら、着ける側のマナーは必要だと思います。
着ける側のマナーについては別記事で詳述しますが、そのマナーのうちのひとつが「配慮は当然と思わない」ということです。
(私の #ヘルプマーク ツイートも、その時の心象を出てくるままに綴っただけで、配慮を強制する意はありません)
配慮を受けられなくても、他人を攻撃しないこと。
そして配慮をいただいたら、可能な限り感謝を示すこと。
それが、ヘルプマークを着ける私たちに求められているものだと思います。
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