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カオス、迷い、過信、頼る

ここ数年は、他者とのシェア暮らしをしてきた。最近、暮らしのアップデートキャンペーン中で、その一環として、カプセルホテルやら、エアビーやらで、久々の1人暮らし体験をちょこちょこしてみている。昨晩も、超都会で、一人暮らしをしてみていた。
この一晩は、一言でいうと、「苦行」だった。(物件がどうとかいう話ではなく、私自身の話です)

しかし、それによって、様々な気付きがあったので、シェアしてみることにする。

カオス

少し、前置きを。
今、世の中は、カオスだ。目に映るわかりやすい現象としては、「新型コロナウイルスが大流行している」ということだけかもしれないけれども、このパンデミックにより、近年、人間の力では全く進むことがなかったことがどんどん動き始めている様子などを見ていると、このパンデミックは点の事象であり、この世界は、もっともっと大きな流れの中にいるような気がしてならない。

RADWIMPSの野田洋次郎さんがこんな発言をされていて、賛否両論、様々な捉え方をされているが、私はこの世界観に近い眼鏡で、今の世界の状況を見ている。(そして、私のこの文章自体も、否定的に捉える人がいるだろうけれど、何も発しないよりはマシという判断軸をもって、恐れずに書いてみることにする)

世界中でどれだけ大気汚染、環境破壊、動物の絶滅を食い止めようと叫んでも経済や人の欲望が優先されロクに進むことはない。でもなんてことはない。未知のウィルスによって地球も自然も今みるみる元気を取り戻している。この星にとって一番の害悪、菌は人類なんだと痛感させられる。でも諦めたくない。

今回の影響で、働き方改革的文脈でのリモート化は恐ろしいほどの速さで進んでいっているし、経済活動の停滞により、世の中に蔓延っていた、人間の濁った欲望を満たすためだけの無駄な会社はきっと消えていき、本当に大事なものだけに淘汰されていく時代が到来するのだろう。きっと、今後の投票率も、あがる。自分も含め、人は、人類が世界の中心的存在であるという考えを改め、大いなる自然のちっぽけな一部だということを認識し、その上で、人や自然との繋がりの大切さを再度思い出す。そんな流れも、もう既に起き始めている。

新型コロナウイルスは、一見、人間にとっては、「敵」にみえるかもしれない。(安倍総理も、明確に、敵と表現していた)もちろん、私自身も、感染拡大を防ぐために、全力を尽くしたいと思う。でも、このウイルスは、ただ「敵」というだけの存在ではないのかもしれない、という引いた視点も、持ち続けているべきなのではないだろうか。彼らは、世界の大きな流れの中で、現れるべくして現れた、「何か」なのかもしれない。


迷い

なんて、こんな風に、冷静に世界(もはや、宇宙?)のムードを感じる一方で、自分の行動に関しては、迷いに迷っている。それも含めて、カオス。自分が今暮らしている共同生活の拠点も、みんなで過ごす安心感はあるものの、クラスター感染の恐れも同時にある。1人で過ごす方がいいのかもしれないけど、1人だと不安もある。実家に帰る?でも、両親も、元気とはいえ高齢になりつつあるから、私よりも感染・悪化リスクが高い…共に過ごさない方がいいのかもしれない。人と人とを繋ぐ仕事をしているが、今は「人を繋ぐ」なんて、悪の象徴?でも、今こそ人の繋がりが大事という考え方もできる。大切な人と手を繋ぎたい、ハグをしたい。けれどもそれも控えたほうがいいのかもしれない。心がざわざわするから、自然がたくさんあって人が少ない場所にいて心を落ち着かせたい。でも、共同生活の拠点では、いろんな課題が浮上してきていて話し合いが必要。なにより、一緒にいたい気持ちもある。

私は、今、どこにいたいのだろう?どこにいるべきなのだろう?どこにいるのがイイカンジなのだろう?

最近冴えまくっていた直感が、今は、死んでいる。(涙)
そう、私自身、何を指針にして次の瞬間のアクションを決めたら良いのか、わからなくなっている。

一瞬一瞬が、重くて、長くて、濃厚。
たったの24時間後すら、遠い未来に感じる。

過信

そんな最中での、昨晩からの1人暮らし体験だったので、なかなかの苦行だった。(たったの一晩なのに!笑)1Rの小さな空間。暗め。都会のど真ん中。外の音(人の大きな声、ときには叫び声や怒鳴り声。車の音、工事の音、あとは、カラスの鳴き声...)が、かなり聞こえてくる。

下町生まれ下町育ちで、今までもほとんど都会暮らしで生きてきて、こんな感じの環境で暮らすことに、特に違和感なんてないはずだった。でも、昨晩は、どんなに大きな音で音楽をかけても、どんなに瞑想して心を落ち着かせようとしても、震えと涙が止まらない夜だった。

「安心が自分の中に在れば、自分はどこにいても大丈夫」という仮説が、過信だったことに気付く。いや、仮説は仮説のままだけれど、私は、自分の中にまだ確固たる安心を持てていないのかもしれない…と思った。自分を安心させてくれていたのは、自然であり、人であり、空間でもあったのだ、と。自分の立ち位置を思い知らされた気がした。私はまだまだ未熟者であり、修行僧なのだと。(別にそれはそれで良いし、修行の末に、自分で自分を安心させられる世界があるのかもよくわからなくなってきたが。修行よりも、もっと、頼ってもいいのかもしれない。)

いつも共にいてくれる人たち、そして共に場を作ってくれている人たち、いつも、本当にありがとう。


気付きを拡張してみると…

という、昨晩からの自分の身体感覚を自分の中に刻みながら、今思うこと。都内では、世帯数でいうと、1人暮らしが今最も多いと認識している。(今はどうなんだろう?少なくとも、2019年の年末にはそんなデータが出ていた)

世の中のムードに敏感な人は特に、昨晩の自分のように、ものすごく不安な気持ちになっているんじゃないかなぁ。元々苦しい状況を迎えていたような人は、ダブルパンチで、相当な打撃を受けているかもしれない。自殺、自虐、虐待、暴力…そういった類の危うい世界に足を踏み入れそうになる瀬戸際にいたような人は、今の状況に助長されそうになっているだろうということは、安易に想像できる。

そんな状況にいる人には、まず、冷静になってほしい。という願いをここで伝えておく。


できること

不安で不安でしょうがない人。私のように、次の瞬間のアクションを決めかねている人。たくさんいるとおもう。でも、実は、確実に出来ることって多分あって、ふと、冷静になると、確実にできることを思いつけるものだと思う。

冷静になれない人は…
瞑想、ヨガ、深呼吸、陽の光を浴びる、自然を感じる、音楽を聴くのもいいかもしれない。これを機に、Apple musicのプレイリストを充実させてみています。Apple musicの会員の方は、@aaairi1021で探してみてください。アガるプレイリストとか、勇気がもらえるプレイリストとか。いま、この瞬間、誰かと同じ曲を聴いてる!というだけで、力が沸くこともあるかもしれない。

人との繋がりが必要な人は…
対面で人と接触することは、控えたほうがいいのかもしれない。けれど、ネット環境さえあれば、感染のリスクなく人とコミュニケーションをとることがいくらでもできる。電話、Zoom、LINE、Facebook…いくらでもある。誰かに、「話したいから話そう」と、連絡してみてもいいかもしれない。

まずは自分を整えて、できることを、探そう。(私もまずは自分を整えるところから)なければないでも、良いと思う。


頼る

頼るのがへたっぴな人。甘えるのがへたっぴな人。一番苦しい思いをしているんじゃないかな。私もそうだから、よくわかる。

でも、今こそ、「頼る」とか、「甘える」とか、人類に必須の生存スキルを身につけるにはもってこいの良い機会なんじゃないかと思う。私も、チャレンジ中。(笑)


頼る先が見つからない人

私までDMかコメントください。今日は自分がざわつきすぎてるので難しいかもですが、明日以降、週末も時間あるので、30分くらい、オンラインでお話しましょう。


最後に

RADWIPMSの『Light The Light』という曲がとても力をくれるので、シェア。


彼らの、この曲に込めた思いは、こちら

書いてみて、最後に思うこと。

私は、世界のムードを感じながら、整えながら、頼り合いながら、できることを探しながら、偶然にもこの時代を一緒に生きている人たちと共に、波乗りしていきたい。

瞬間瞬間、迷いながらも、「イイカンジ」な選択をしていきたい。

皆さん、どうぞよろしくお願いします。


誰もが誰かのライフセーバーに 
コミュニケーションファシリテーター
加藤 愛梨

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