手段と目的
耳にすることがあるフレーズです「目的と手段は違う」と。
まさにその通り、目的と手段は違います、けれどもふとしたことで混同してしまうこともあります。
自粛の目的はなにだったのか
多くの人と意見を交換しています、”緊急事態宣言が終わったらどうなるのか”と。緊急事態ではないからみんなで飲みに行こうか、となりはしまいか、我慢したんだし旅行でも行こうか、とも。周知のことですが、緊急事態宣言が解除されてもウイルスが消滅したわけではありません。では、食料品の買い物以外は外出せずに家にいたのはなにのためだったのでしょうか。それは感染しないため、なぜいま感染しないことが重要だったのでしょうか。
医療崩壊を防ぐために僕たちは避難している
感染者が爆発的に増えることで、感染症だけでなく一般的な病気の治療にも影響を与えてしまいます。それぐらい医療の現場は逼迫しています。
ですからいまは医療負担とならないように、まずは自身が感染しないよう徹底して外出しない、人と交流しないという感染防止策を皆で守ろうとしています、そしてこれは手段です。目的は、医療崩壊を防ぎ適切な治療機会を万人が受けれるような秩序を維持すること。
緊急事態宣言期間の延長
手段を通じて目的を達成する、もし目的を達成するには当初のスケジュールである5月6日では不足ということであれば、今回ばかりは遠慮なく延長して欲しいと感じています。必ず、適切な医療機会を万人が受けれる常態にまで、まずは感染者を引き下げることを徹底して欲しいと願っています。中途半端な解除による悲劇だけは見たくはありません。
非常事態宣言の解除は安全の担保ではない
また非常事態宣言が解除されることで、生活者の感染リスクが消滅するわけではなく、感染しても治療機会は得られますよ、ということです。ですから3月くらいの日本の状況と感染リスクが劇的に変わる訳ではありません。
なのでなにかが変わったということではなく、爆発的な感染を一時的には抑制することができたということ、収束するということではないので注意は引き続き必要です。
自粛でなく避難ではないだろうか
ところで自粛という言葉のニュアンスからは、受動的な我慢を連想してしまいます。しかしながら本質は、台風や大雨や火事などと同じで未知のウイルスからの避難です。避難という言葉からは、能動的な自主選択を連想します。ですから事態の本質を理解すると、やはり自粛ではなく避難なのだと感じています。
連携して節度ある危機意識を持ち続ける
疫病(やくびょう)は避けるに限ります、逃げるが勝ちでもあります。ウイルスは自力では追ってくることはできないので、意識して避け続けることで安全はかなりの確率で担保されると思われます。大切なのは、緊急事態宣言が解除されても未知のウイルス感染リスクは決して0%にはならないという意識を持ち続けることだと感じています。
清く正しく冷静に
そして、それをできる限り正しく冷静に周りの方々と共有できればと考えています、決してヒステリックになったりせずに。どのような局面であってもいろいろな考え方はありますし、また必要でもあります。偏りすぎることは、必ず軋轢を生んでしまいます。それぞれを認め合い、できる限り協力し合えるといいですね。
ご理解をいただける皆さん、緊急事態宣言の解除は決して安全担保ではないということ、節度ある危機意識は持ち続けようと大切な人に伝えていただけないでしょうか。
私たちの人生の目的は心身ともに健やかであり続けることです。