宇都宮へ帰った。
仕事から帰り大急ぎでおにぎりを頬張りながら荷物の最終確認をし、ダッシュで駅へ向かう。本当はのんびり行くつもりだったけど、時刻表を見たら予定の30分前の電車に乗ればその後の乗り換えもスムーズで最終的に1時間ぐらい早く着くことがわかったので大荷物抱えて駅までダッシュ。汗だくで特急に乗り込み、ちょいと時間に余裕のない東京駅での乗り換えも無事成功、ついに、念願の、宇都宮到着。新幹線の窓からカワチ薬品の看板が見えて、本当に宇都宮に帰ってきたんだと実感が湧き、まだ着いてないのに泣いた。
栃木県民みんな大好き、カワチ。物心ついたときから何かとお世話になっているカワチ。なにか買うものあったらとりあえずカワチ行っとこ、なカワチ。
栃木を離れてからカワチの偉大さに気づいた。愛してるぜカワチ。
この記事でも書いた友人が迎えにきてくれた。さすがに疲れ果てて「何食べる?」に「なんでもいい」という一番困る答えをしても嫌な顔しない彼女に救われた。
彼女の家で夜中までだらだら喋り続けた。途中からきた友人(初対面)も交えてだらだらだらだら喋った。翌日の夜も彼女の家に泊まらせてもらって喋り続けた。
久々に会ったのに、5年ぶりなのに、先週も会ったじゃんみたいな空気。共通点なんかなくたって、自然とこういう空気になる関係が一番続くんだよね結局。
20代後半から30代前半というのは人生において割と重大な決断をすることが多い。故に会わない間にお互いいろいろあった。女性特有の悩みもある。お互いに結構きつい決断もした。それを重く捉えず気楽に話せる、そして共感をするのではなく、ただ受け止めてくれる友人がいることを本当にありがたく思う。
別れ際も「んじゃ、また」と来月また会うかのようなノリだった。来月会う気がするし、また5年後だろうなという気もする。
高校時代の友人にも会った。一年の時に出席番号が前後だった彼女とは二年でも同じクラスで、一時は金曜日にどちらかの家に寄ったまま流れで泊まり日曜の夜まで一緒にいるみたいなことをしていたぐらい仲良かった。が、なんとなく別の人と仲良くなり、彼女は三年の初日だけ出席して夏休みに入るタイミングで退学したので、それ以来ほぼ会っていなかった。卒業式の日に違うクラスの子に会いに来てたところですれ違っただけ。
そんな彼女がわざわざ連絡してきてくれたので喜んで会った。お互いの生活が違いすぎて面白かった。次から次へと話題は移り気づいたら何時間も話していた。今回は急に会うことになったのでふたりだったけど、今度は仲良かった数名で集まろうねと約束した。
実家の自室の片付けが今回の帰省のいちばんの目的。
今は兄が一人で住んでいる寂れた実家に帰り、近況報告したり映画やモータースポーツの話をしながら、学生時代夢中になって読んでいた競泳の雑誌を縛り、くたくたになるまで着古した服たちをぽんぽんゴミ袋に放り込んでいった。(ゴミ袋が足りなくなった。)
今は離れて暮らしている母も来てあれこれ話しながら夕飯の支度をして、ご飯食べて、片付けて、食後の団欒をして。我が家は私が小学校高学年の頃にこういう時間がなくなったので、とても懐かしい時間だった。複雑な思春期で思い出したくもないしとても辛い時期が続いたけど、またこういう時間をとれるようになってよかった。
宇都宮を離れる時。
駅まで送ってくれた母を見送った直後涙が止まらず、そのまま泣きながらお土産を買って店員さんに心配された。新幹線のきっぷを買うときも涙で券売機の画面がよく見えなくて、時間がないのに何度も戻るボタンを押してなんとか発車3分前に買えた。泣きながら改札を通り新幹線に飛び乗った。席に座り遠ざかる宇都宮を見てぼろっぼろ泣いて隣の人に凝視された。落ち着いた頃に大宮に着き、今は亡き大好きな祖父が昔大宮駅の新幹線ホームまで迎えにきてくれていたことを思い出してまた泣いた。(こんな人が隣だったら警戒するね、ごめんね、隣の人。)結局東京に着くまで泣いていた。
まさかこんなに泣くほど宇都宮が好きだったなんて思ってなくて自分でもびっくりしている。実家に帰るたびにうんざりして"鬱の宮"と言っていたのも忘れるほどに、宇都宮が大好きだ。東口がガラッと変わっても、家の近所のお店がなくなってても、すぐ会える友人が減っていっても、宇都宮は私のHOMEだということがわかった。
夫が駅まで迎えにきてくれたのが嬉しくてスキップで車に近づき、そーっと乗り込んだ。
家に着いたら夫がスキップしていた。
わたしたちはやっぱり夫婦だ。
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