“勘違い”からの大きな一歩
六本木ヒルズライブラリーのオフィスメンバーの一人、エンジェル投資家の吉田知洋さんに、ご自身のキャリアについてお話を伺いました。
エンジェル投資家としての目標
1987年生まれの吉田さんのキャリアは、ファミリーオフィスという意外な形から始まり、戦略コンサルティングファーム、投資ファンドを経て、30代でエンジェル投資家として独立されました。
そして、エンジェル投資家として、「次の時代を彩る価値を生み出す、キラリと光る原石を見出し、その秘めた価値を世の中に届ける一翼を担うこと」を目指されています。
その根底には、「もし、誰もが心躍る未来を描ける起業家/チームがいたとして、その志(事業)が最高の形で世に表現されないことは、世界にとって、もったいない」という想いがあり、この想いを吉田さんなりに実現すべく、投資家という道を選択されたそうですが、それは学生時代の体験が一つのきっかけになっているそうです。
複合性局所疼痛症候群(CRPS)という難病の日米格差
吉田さんが大学生の2010年頃に、親戚の方が「複合性局所疼痛症候群(CRPS)」という難病を患ったそうです。
CRPSは当時、米国では治療法が確立されていましたが、日本では医師の間でも認知度が低く、それ故に、難病を患う方々に適切な医療が行き届かない状態でした。
そこで吉田さんは、当時、日本で最もCRPSに詳しいお医者様を見つけ出し、インターネットの力を信じて、YouTubeで医師のインタビュー動画を公開する形で啓蒙活動をスタートしました。
2022年の現在、動画はメジャーなメディアの1つですが、2010年と言えば、東日本大震災を機にTwitterがメジャーになる前だと考えると、学生がお医者様にインタビューした動画をwebへ掲載するのはとても斬新だったと思います。
下記は当時の動画です。
難病とは言え、日本におけるCRPSの発症率(2万人に1名程度)は海外と同程度。日本の場合、認知度の低さ故に、海外以上に患者さんが救われる可能性が狭まっていました。そのため、この動画の情報は、CRPSで苦しんでいる患者さんのみならず、専門医にとっても役立ったそうです。そのような中、朝日新聞の記者の目に留まり、新聞記事として掲載された後は様々な波及効果があったようです。
例えば、日本の状態を知った海外の医療機器メーカーが、ビジネスチャンスと捉えて日本へ進出してきたことで、より治療環境が整ってきたことです。当時は意図していなかったものの、より大きな力を束ねることで、心躍る未来を生み出すことに貢献できた、この体験は、「明確な意志を以て、応用を効かせながら、大きな力を束ねる領域を広げていくことで、自分なりに世の中に貢献できることがあるのでは?」という想いとなり、今も仕事の原動力になっているそうです。
“勘違い”こそが生み出す最初の一歩
学生時代のこの体験が、吉田さんの志を育む原体験となりました。
一方で、自己の活動をより広く応用することを考えた時、「大義ある物事を成すために、自らの我慢や犠牲を伴うことは、確かに美しく尊いことなのかもしれない。でも、”誰かが無理なコストを払い続けて価値を維持する、不安定な仕組み”よりも、"時の経過と共に価値が積み重なる、確かな仕組み"の方が、より魅力的で、サステナブルな仕組みなのではないか?」という問題意識が芽生えたことも事実でした。
この想いが、吉田さんならではの独自性ある投資のあり方に繋がっているのではと感じます。
また、「何故、CRPSの啓蒙活動を始める最初の一歩を踏み出すことができたのか?」をお聞きしたところ、とても興味深い回答でした。
それは、下の3つに要素の奇跡的な組合せによって生まれたものとのことです。
WILL:「やるべき」、「やりたい」という志
CAN:「できる」という能力
FIT:その時の環境や状況などの自分との相性
この活動においては、WILLがとても強く、CANについて当時は「できる/できる以前に、やるしかない」と思い、「もう二度と再現できないほど、運が味方をしてくれました。良い意味で、若気の至りがなせる勘違いでした(笑)」と、吉田さんは説明されます。そして、3つ目のFITについては、「一緒にやろう!」と味方をしてくれた高校時代の友人にも恵まれ、これら3つの要素が軌跡的に整ったことが、最初の一歩に繋がったようです。
結果的には、“勘違い”が実際の一歩を生む原動力となり、成功体験に繋がったことになりますが、私は「志」の強さこそが、“良い勘違い”を生み出す原動力になっていたのだと思いました。
これからの吉田さんの様々なチャレンジを楽しみにしています。
アカデミーヒルズ 熊田ふみ子
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