「覚悟したっ」〜タクシー運転手の思い出〜
これはマジでやばい!もう覚悟するしかないぃぃ。今日はそんな話をしたいと思う。
札幌の街にも当然ながら「その筋の方」がいる。ススキノから中島公園あたりを拠点にホテル街や風俗街界隈でその方々をよく見かける。私たち一般人は直接関わることはまずないことだが、それでもその独特の雰囲気を感じると一瞬で「ピリッ」とした空気になり、私は「ごくっ」と喉を鳴らしてしまう。
夜9時すぎ。私はその日も相変わらずススキノ周辺を小刻みに流す手法でお客さんを探していた。そろそろ家に帰り始める酔いどれ客を掴むためである。
一人の男性が手を上げているのが目に入った。私は手慣れた操作でブレーキを踏み込むと同時にハザードランプを付け、男性の前でドアを開けた。
「近くてもいいか?」
明らかに「その筋の方」だ。どすの効いた声、パンチパーマ、光り系のジャケットなのだ。当たり前だが、光り系と言ってもジュリーがTOKIOで着ていたようなものではない。どちらかというとドラマ「とんぼ」の哀川翔だ。
「はい、いらっしゃいませっ」
努めて明るく爽やかに!これが私のモットーだ。どんな方でもドンとこい!緊張などするはずがない!という笑顔を見事に捏造した。タクシーに乗って3年も経つと紛いなりともこんなスタイルが確立されてきた。
「電車通りを南に行ってくれ」
男性はそう言って携帯で誰かと話し始めた。さすがその筋の方となると、電話の会話も一味違う。「わりゃあ」とか、「シノギ」がなんとかとか、「兄弟」がどうのとか、東映のヤクザ映画さながらの迫力で車内が一杯になった。その迫力に身を委ねながら電車通りを5分ほど走った。
「おーぅ、ここでいいぞ」
「はい、わかりました」私は爽やかに返事をしてご指定のビルの前で止まった。そして手慣れた手つきで「支払い」ボタンを押そうとしたが、
クワッァァァ!?
何ということだ!そもそも「賃走」ボタンを押していなかった。
賃走とは、お客さんを乗せた時に押すものである。そこからの走行距離と時間で金額が決まる仕組みである。そのボタンをそもそも押し忘れたまま走っていたのである。まぁ時々先輩からのやっちまった話で聞いたことはあったが、このお客さんの時だけはやりたくなかったミステイクである。
私はメーターに手をかけたまま小刻みに震え動けないでいると、
「おい!どうした、いくらなんだ」
「あ、はい、えーと、、、」
「あ?どうしたんだ?」
男性はだんだん口調が荒くなってきて問いただしてきた。
殺されるかも
何故かこんな妄想に駆られ言葉がしばらく出なかった。もう話しても話さなくても殺されそうである。とにかくーっ、正直に言わなきゃと意識を必死で保ち、
「すみませんでしたー!!このボタンを押すのを忘れてました!!」
私は車内ではあったが土下座に近い角度で頭を下げ、一発殴られてもいいと思って目をつぶった。
「あぁ?料金メーターを押し忘れたのか?」
「そうなんです。申し訳ありません。なので料金の方はよろしいですので!」
私は精一杯の対応でこの場をやり過ごそうとしたが、男性は間髪を入れず、
「ばかやろー!ただで降りるわけにはいかないだろー!」
なんで怒られてるかすぐに分からなかったが、無賃乗車するほど落ちぶれてねぇーという怒りなのだと思う。
「ちょっと事務所こいや!」
えーっちょっと待って!なんでそうなるん?こんな流れで事務所というところに行くとロクなことがないと昔から聞きますよ。うーっ絶対行きたくないーっ。そう思って「い、いや仕事中なのですみません」私は大体はどんなこともこのセリフで乗り切ってきたのだ。今回もうまく、、
「つべこべ言ってないで、おらっ!こい!」
恐怖というのは時に不思議な現象を起こす。気がつくと私は男性と共に事務所への階段を登っていたのだ。一時完全に意識が飛んでいる。
小さな事務所には若い衆が3人いて私に睨みをきかせている。それは殺気立った野生動物が、テリトリーに迷い込んできた軟弱な中学二年生を見る時の目である。タクシーで送った男性はこの小さな事務所の組長であった。日本刀らしき物が部屋の上部に飾ってあるのが見えた。若い衆たちは組長に対して頭を下げ敬意を示す。私もそれ風に頭を下げ組長の後ろについて入った。もうなんだか分からない状態である。
「まぁ座れや」
私は言われるままソファに腰をかけた。組長は暑くなったのか上半身裸になった。迫り出した腹の肉と控えめな胸毛が目の前にある。
もうここまで来ると覚悟するしかない。やはり指を詰めることになるのだろうか。その際はどこの指を落とすのが一般的なのだろうか。私はベース弾きなのでできれば演奏に影響が少ない右の小指なんかにしてもらいたいと思う。お願いしてみようかな。もうテンパり過ぎてこんなことしか考えられない。
しかしながら結果的には無修正のAVを見せられたり、軽い世間話をしたり、組長の腹の傷を見せられ武勇伝を聞かされたりした。帰り際にはセブンスターをワンカートンお土産にもらって、ついに一命を取りとめたのである。
組長としてはタクシー代を無料にするなら何かもてなさないと筋が通らないという思いがあったんだと思う。
タクシーに戻って深呼吸をした。なんか息をするのを忘れていたような気がしたからだ。そして下着が汗でびっしょりになっていることに気づく。もう今日は早めに上がろう。戦場から生還し故郷に帰ってきたすっかり疲れた勇者の気分で、もらったセブンスターを久しぶりに吸った。
ではまた。