おまけやふろくが主役だった頃
「じゃんけんぽん! グ・リ・コ・お・ま・け・つ・き・た・の・し・い・な」
「あ! ずるい!」
「ずるくない! グリコはおまけがあるもん」
じゃんけんをして、
グーで勝ったら「グ・リ・コ」で3歩、
チョキで勝ったら「チ・ヨ・コ・レ・イ・ト」で6歩、
パーで勝ったら「パ・イ・ナ・ツ・プ・ル」で6歩進める。
子供の頃、そんなじゃんけんゲームをやったことを、
ふと思い出しました。
グーで勝った時には冒頭のような、裏技も。
県立神奈川近代文学館で開催中の
「おまけ」と「ふろく」展。
友人の全く別件のfacebookの投稿で、
掲載されていた写真の背景に写っていた
企画展の看板に目が止まりました。
開催期間は9/24までということで、
急遽行ってみることに。
風景のおまけも嬉しい
県立神奈川近代文学館は、
港の見える丘公園の中にあるのですが、
ルート検索した時に出てきた、
東側から丘に登るルートに従って
向かいました。
桜木町駅からバスに乗り、
貯木場前というバス停で下車。
炎天下のバス通りを渡って丘の方へ。
目の前に立ち上がる丘に若干圧倒されつつも、
階段を登りながら、冒頭のじゃんけんゲームを
思い出しているうちに、気づけば登り切っていました。
そこにはメガネ橋があって、思わず写真を撮る。
変な方から来ちゃったかなあ、と思っていた後悔も
吹き飛びました。
橋の脇から登ると、神奈川近代文学館の本館が。
でもこちらは「閲覧室」となっていて、
展示があるのはここからさらに登ったところにある、
展示館の方。
どちらの展示もふろくではないけれど
早速入館すると、奥からゾロゾロと出てくる人たち。
この日は、おもちゃの鑑定士としても知られる
北原照久さんの講演があり、
それがちょうど終わったところだったのでした。
時間的には中途半端な時に来てしまったようです。
どうせなら北原さんの講演を聞いて、
基礎知識を入れるのが理想。
たぶんチケットは残っていないだろう、
と思って確認もしていなかったのですが、
ならばせめて、観覧者が少ない時間に
ゆっくり観たかったのですが。
少し人出が少なくなるまで、
しばし別の展示を眺めて時間を潰す。
そしてようやく、今回の企画展の方へ。
子供向けの雑誌に付くようになった、「ふろく」。
初期は双六が多かったようです。
その付録にも、脇に「奥付」が
しっかり明記されていて、
思わずそちらに目が行ってしまうのは
職業病でしょうか。
平面の紙によるものだった付録がやがて、
冊子になったり、
果ては組み立て式の立体物になっていく。
台紙から部品を切り取って、
切り込みに嵌め込んだり
糊付けしたりして作られた完成品を見ると、
「うわぁ、めんどくさそう」と思ってしまうのが、
いま現在の自分の感想でした。
ところが、ある写真を見た時にハッと気がつきました。
大きな輪ゴムで止められた、
付録でパンパンに膨れ上がった雑誌が並んだ本屋の店頭で、
それを眺めている子供の写真でした。
モノクロ写真なので、時代的には自分の頃よりも
前のものでしたが、自分も小さなころ、
はち切れんばかりになっている雑誌を
ワクワクと眺めていたことを思い出したのです。
決して器用な方ではなかったので、
ちょっとずつのズレでいびつなものになってしまい、
見本通りには完成しないことが多かったのですが、
それでも作ることを楽しみに思っていた時期が、
自分にもあったのでした。
子供雑誌の付録といえば紙製というイメージですが、
これはかつてエスカレートした「ふろく」に業を煮やし、
国鉄輸送関連の法律で制限がかけられたためとか。
この制限を受けなかったため、
さまざまなバリエーションの付録が付いていたのが、
独自の配送ルートを使っていた学研(旧 学習研究社)の
学習と科学。
自分も小学生の頃、愛読していました。
たしか小学校2年生の冬ごろ、
サンプルとして4月号がポストに投函されていたのが始まり。
それがあまりにおもしろかったので、
親に頼んで購読を開始したのでした。
考えれてみれば、自分にとってのサブスクの始まりでしたね。
これがあったので、紙製の組み立て付録を搭載した
小学館の学年誌からは遠ざかっていきました。
おまけみたいにおまけについて
一方で今回のもう一つのテーマである
「おまけ」の方はというと、
こちらはそれほどハマらなかった。
実はグリコはそんなに買った覚えがありません。
プロ野球にもハマらなかったので
プロ野球チップスも買っていない。
覚えているのはビックリマンシールですが、
買い始めた時はピークを過ぎてからというのもあり、
しっかりとコレクションした記憶はありません。
そういえば今回の展示では、ビックリマンは入ってなかったなあ。
展示の中で印象的だったのは、世相を反映して
おまけや付録が変化していったことですが、
中でも戦時体制に入っていく中での変化が
もっともインパクトがありました。
資源がどんどん不足していく中で、
物理的にやむを得ない変化がある一方で、
政府の「要請」により内容も
変えていかざるを得なかった。
ある少女雑誌の、表紙や付録で
読者である女の子の支持が厚かったイラストレーターが、
体が丈夫な子供たちを増やす、という
「目指すべき状況」にはふさわしくない、
という理由で身を引かざるを得なかった、ということも。
それを伝える編集長の文章には、
読者である子供達へのお詫びの言葉と共に、
そういう流れを作っている国に対する
痛烈な批判が込められていました。
柔らかな文章で、一見そうとは
わからないようにはなっていましたが、
ちゃんと考えればそれがわかるように。
おまけやふろくで子供たちが楽しめるのは、
何よりのことなのだと。
目的以外もおまけに楽しむ
展示を見終わって、来た時には下から眺めた橋、
その名も霧笛橋を渡って、港の見える丘公園の展望台へ。
その後は西側の谷戸坂を下って、
元町ショッピングストリート経由で石川町駅へ抜けました。
この辺も結構見所あるんだなあ。
じっくり楽しむのはまた改めて。