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31年間を振り返る自己紹介 2022年ver.

こんにちは!端谷祐人(はなやゆうと)です。
「ノンストップはなや」という名前で
知っている方もいらっしゃるかもしれませんが、
これが僕の本名です。

突然ですけど、皆さん毎日笑ってますか?
毎日を充実させて生きていますか??
普段、ルーティン動画などで
ノンストップに多動な生活を送っている僕ですが、
もちろん葛藤して落ち込む日だってあります。

今日は改めて僕の人生を振り返りながら、
どんな経緯で「ノンストップはなや」が生まれて、
どんな葛藤をしながら生きてきたのか、
裏側を自己開示していきたいと思います。


その前に、僕が何者かをまずはご説明させて頂きます。

1990年生まれ31歳。
・研究開発職
・パーソナルコーチ
・目標達成コミュニティ運営
 (2020年6月〜(株)GOAL-Bさんから事業承継)

あまり発信をしておりませんでしたが、
実は「研究者」という一面があります。

サラリーマンをしつつ、
一方個人事業主としては対人支援業をさせて頂いており、
最低限の収入を安定させつつ、
個人の活動でやりたいことをやっている、
という感じです。

とはいえ、順風満帆な人生ではなく、
毎朝吐き気を催して精神科医に通いながら
働いていたこともありましたし、

人生に絶望して
目の前が灰色の景色になっていた頃もありました...

今は好きな仕事をし、
好きな人と暮らし、
好きなことをして時間を過ごしているので、
毎日本気で笑って生きられています。

ここまで立ち直ってこれたのも、
コーチングを受け、
コーチングを学び、
コーチングを提供する側になって、
本当の意味で仕事(=人の役に立つこと)に向き合えたからだと思います。

「何が自分の大事な価値観なのか?」
「何が自分の強みなのか?」
「何が自分のやりたいことなのか?」
徹底的に内省したことで、
今までよりも随分生きやすくなりました。

自分がどういう人生を歩み、
どんなビリーフ(=自分の価値観、重要なこと)が形成されて、
何が引っかかっていたのか、
どうやって取り外したのか、
最近まで何を「葛藤」していたのか。

そんな自分の生き様をお伝えしたいと思います。

今壁にぶち当たっている人。
突破しようともがいている人。
苦しんでいる人。
悩んでいる人。
もっともっと向上したい意欲のある人。

そんな人たちに向けて、
参考になることも、
反面教師として学ぶこともできると思いますので、
ぜひ最後までお付き合いください!

【1】生誕

1990年8月12日
富山県砺波市にて生まれました。
「端谷」と書いて「はなや」と読む、
なんとも珍しい苗字の家庭の長男として産まれました。

父は高卒でお堅いインフラ会社の管理職、
母は地方公務員と真面目気質な家庭で育ちまして、

「絶対に嘘はつくな」

と誠実さを徹底的に鍛えられました。
(悪いことをすると頬をつねられる、
 でも嘘をつかず正直に謝ると許される、
 というルールがありました)

とにかく何でも試したい!
いろんな世界を見てみたい!
と思っていたので、

同級生の誰よりも自転車を乗りこなし、
小学生になるまで自転車に乗ってはいけないという
ルールを破って好き勝手に動き回っていました。

一方でビビりな性格は一面もあり、
地域行事の獅子舞がくると泣き喚いていました。

「獅子舞に参加しないか?」
と何度も勧誘を受けていましたが、
何かと理由をつけて断りまくっていたことも覚えています。

【2】小学生

そんな僕の小学生生活はというと、
「お勉強一筋」がアイデンティティでした。

もともと背が低く、
胃下垂で食べても太れない(というよりたくさん食べられない)、
ガリガリがコンプレックスで、
運動が超絶苦手でした。

一方で、努力をしなくても
授業を真面目に聞いていれば理解できる才能があったので、
テストの点数は軒並み100点。
親や先生からも「頭いいね〜」と言われていました。

真面目にしてテストで高い点数を取っていると、
クラスの委員長的なポジションにも推薦されたり、
生徒会長も任せてもらえたりと、
ありがたいことにたくさんチャンスが巡ってきました。

これが1つの生存戦略として確立され、
「勉強する」(行動)
  ↓
「頭がいいと思われる、チヤホヤされる、
チャンスが巡ってくる、1位という優越感」(良い見返り)

この方程式が出来上がっていたので、
いつも学内で1位を目指して勉強していました。

加えて単純に問題を解くのが好きだったので、
勉強も苦なく出来て、
テストの点数は常にトップ。

その結果、親も先生も喜んでくれる。
安心させることができる。
承認されることで、
「なんか役に立ってる!」
と自分の存在意義を感じられる。

こうして「優等生」アイデンティティが
小学生時代に作り上がるのでした。

【3】中学生

片田舎の学校だったので、
小学校と同じメンバーで中学校に持ち上がり。

中学生になると成長期と共に足が速く、
心肺機能が強くなり、
特に持久走で才能を発揮するようになりました
(1500mやシャトルランは学年1位)。

スタミナがついて、勉強も、部活も、
生徒会も全方位で活動ができるようになり、
この頃からノンストップに忙しくしてました。

そんな順風満帆だった生活に一石が投じられたのは、
ものすごく頭のいい女の子が転校して来てからでした。

彼女が転校して来てからというもの、
期末テストで1位が全く取れなくなり、
2位に甘んじる日々が続きます。

自分の「優等生」ビリーフがその状況を許さなかったので、
どうやったらテストで満点を取れるか、
先生に聞きに行ったりもしたし、

とにかく勉強時間を確保するために、
部活から帰ってきたら即寝て、
朝3時に起きて勉強していたこともありました(笑

でも、、、勝てない。
努力だけではどうにもならない壁もあるんだと、
軽く絶望したのを覚えています。

そこで次なる生存戦略。
「勉強(のみ)する」(行動)
  ↓
「1位になれずモヤモヤ」(悪い見返り)
  ↓
「勉強・部活・生徒会と総合点で勝負」(新しい行動)
  ↓
「すごい!とチヤホヤされる」(良い見返り)

この行動の裏で考えていたことは、
「勉強で勝てないのであれば、
 勝てるところで勝負をしよう
 自分は多動力があるから総合点で勝負をしよう。」
ということです。

そう開き直ってからは、
さらに全方位の活動に磨きをかけました。

中学でも生徒会長を務め、
部活動でも卓球部と駅伝部を掛け持ちし、
卓球部は部長、駅伝部ではエース区間を務めました。
もちろん勉強でも順位は落とさずキープしながら。

「そんなに行動できてすごいね〜!」
親や先生、友達からそうやって
承認されることが自分の存在意義の証明となっていました。

高校受験で進路を決める際、
①県内トップクラスの進学校
②県内3番目くらいで家から近い
の2択を迫られて、迷わず②を選択。

①を選ぶとチヤホヤされる可能性が低くなる。
優秀だと思われるために、勝てるところで勝負をする。
無意識に
「どうやったら勝てる(チヤホヤされる)か」
というのが判断軸になっていました。

非常にダサいですが、
当時はこれが自分を守るための生存戦略だったのです。

【3】高校生

高校ではサッカーと勉強に打ち込んでいました。

親の影響もありサッカーが元々好きだったのですが、
中学は人数が少なくてサッカー部がなく、
高校から未経験でサッカー部に入りました。

同期には市の選抜、
県の選抜選手などもゴロゴロいて、
みんなうまい。

1年目は当然公式戦に出るチャンスはなく、
練習試合でもラスト10分くらい使ってもらえるくらいでした。

幸い、陸上部で培った初速とスタミナには自信があったので、
前線にぽーんとボールを蹴ってもらって、
裏に抜け出してゴールを決めることに全力を注いでいました。
(・・というよりこれしかできませんでした笑)

勝てるところで勝負をしたい自分にとって、
未経験とか関係なく、
自分の唯一の武器を磨けばレギュラーになれそうだと
何となく思っていました。

その時に自分の中で誓ったゴールが、
未経験から3年の最後の大会でレギュラーを勝ち取る
というもの。

周りにいうと馬鹿にされそうなので誰にも言いませんでしたが、
本気でそうなりたいと思っていました。

それからというもの、
毎朝走り込んでスプリントを磨き上げ、
誰もやっていない中で率先して朝練もして、
体も細い方だったので
練習後に地道にフィジカルトレーニングもして...

次第に自分の行動に感化されたのか、
同期や後輩も一緒に
朝練やトレーニングに参加するようになりました。

自分としては、影の努力で
レギュラーを勝ち取りたかった思いもあるのですが(笑)、

自分が先に行動して周りをエンパワーすることで、
結果的にチームの士気向上に貢献していました。

「ああ、こういう形でも人の役に立てるのか」
と気づけた瞬間です。

しかし個人としては、
上手な後輩が入部してポジションを奪われたり、
3年に上がるまでAチームとBチームを行ったり来たりしていました。

もちろん何度も落ち込んだし、
諦めて部活を辞めようと思ったことも何度もありました。

でも自分の「優等生」ビリーフが何度も何度も、
「ここで諦めるなんて自分らしくない」という声と共に、
自分を奮い立たせてくれました。

諦めずに泥臭く練習に励み続け、
練習試合でも徐々に存在感を出せるようになり、
そして迎えた高校3年の最後の大会、
高校総体のレギュラー発表。


「9番、端谷。」


名前を呼ばれた瞬間、超絶震えました。
心底、めちゃくちゃ嬉しかった!!

しかも憧れの、
ストライカーの証である9番。
涙が出そうになりました。

試合はというと、
初戦、開始10分くらいでゴール前でフリーで抜け出すも、
蹴ったボールは大きく枠を外してしまい得点は奪えず。

続く2回戦では開始早々に
相手DFのチャージを受けて肉離れをして退場、
と散々な結末でした...笑

それでもチームとしては
目標としていた県ベスト8を達成し
(創部以来、最高の成績だったみたい!)、
自分も多少なりと貢献できたので、
大きな達成感と自信を得ました。




一方、勉強はというと、
近い学力を持った学生が揃っていたので、
入学早々のテストの順位は中位くらいに落ちました。

「あ、またここで1番になれないかも・・」
と察して、
目標を下げて地方国立大学くらいを狙えればいいか、、、
と思っていました。

高校1年の6月、ある出来事が起こるまでは。





同じ高校に進学していた幼馴染みが、癌でこの世を去りました。

彼とは小学校から勉強も、部活も、
いつも切磋琢磨し合っていて、
お互いを高めあえる唯一の存在でした。

彼はとても野心家で、
「将来医者になる!」
と熱く語っていました。

その様子を側から見ていて、
「いいな〜!自分も何か情熱を掲げるものをみつけたい!」
と羨ましく思っていました。


そんな彼が中学1年の頃に骨肉腫を患い、
入退院を繰り返すようになります。
面会もNGと言われるほどひどい状態でした。

しかし彼は病気をものともせず懸命に勉強を続け、
自分と同じ高校に見事に合格。
そのガッツに何度も自分は励まされていました。

「あいつが苦しい中、
 こんなに頑張っているんだから、
 俺も頑張ろう!」と。


そして高校に入学して僅か2ヶ月後、
彼は息を引き取りました。

当たり前に隣にいた存在がいなくなると、
コンフォートゾーンが完全にぶっ壊れて、
本当に何も手がつかなくなりました。

学校は行くものの、
ずっと上の空で試験勉強も全くやる気が起きず、
最初で最後の赤点も取りました。

しかし、ふと思い立ちます。

「いつまでもこんな状態であいつが喜ぶと思うか?
 思わないよな。
 あいつの分まで、今を精一杯生きよう。


そうして、彼の思いを継ぐ形で、
高校1年の夏に国立大医学部を目指すことに決めました。

当然模試でもE判定で、現状の外。
親からも身の丈に合ったところにしておけと言われていました。

しかし決めた目標に対しては、
なんとしてでもやり抜きたい
と思い、
今までの勉強への甘さを捨て、
人が変わったように勉強に励みました。

周りにも「俺は医者になる」と宣言し、
思い込みの力や外圧などとにかく使えるものは何でも使って、
モチベーションに変えていました。


さらにどうやったら
もっと質高く勉強時間を確保できるだろう?と考え、

部活後→疲れた状態で図書館で21時まで勉強、ではなく、
部活後→即帰宅して就寝→朝3時に起きて勉強、
というルーティンを試したりしていました。

脳筋ですが、
とにかく勉強時間を確保する作戦により、
高3でようやくC判定まで上げました。
ただそれでも足りません。

正攻法では勝てない。だったらどうする。

富山大学医学部には地域枠というものがあり、
センター試験8割と面接試験のみで
2次試験が免除される制度がありました。

そしてこの地域枠を獲得できるのは、
200人の同学年の中で1人のみでした。

「これしかない!!」

これまでも、1つのことで突き抜けるよりも
総合点では勝てるエフィカシーがあったので、
地域枠の獲得こそが、唯一の勝てる道だと確信していました。

地域枠の獲得に向けて、
通常の模試の採点だけなく、
学校の期末テストなどで上位を取る、
生徒会活動にも力を入れる等して、
とにかく多動で内申点を稼ぐ作戦に出ました。

そしてこの作戦が功を奏し、
見事に200人中1人の推薦枠を勝ち取りました!!

その後は5人以上の先生に面接指導をして頂いて、
とにかく実戦練習を積み重ねて対策しまくる日々。

そうして高校3年の12月に、
センター試験に先んじて
地域枠の面接試験が行われました。

各高校から選抜された学生が集まる中、グループ面接。
「うわーみんな優秀そう。やべー」
とか色んな思いが巡り、
めちゃくちゃ緊張していました。
が、これまでの練習の甲斐もあり、
面接試験自体はなんとかうまく乗り切れました。

「これならいける。」

確かな手応えを感じ、
あとはセンター試験が取れればというところ。
二次試験の勉強は一切せず、
とにかくセンター対策に集中していました。

「とにかく、あとはセンター試験を乗り切れば、、、!!」

そう、今思えばここでゴールが近くなり、
少し気が抜けていたのかもしれません。



迎えたセンター試験本番。
まさかの国語で過去最低点数を叩き出し、
医学部の足切りラインの点数に届きませんでした。

答え合わせの瞬間、
目の前が本当に真っ暗になり、
大きな絶望感を味わいました。
(今も思い出すだけで吐きそうになります)


ここで、浪人して再び医学部を目指すか、
今のセンターの点数でギリギリ行ける大学を目指すかの
2択に迫られていました。

当時は「浪人=落ちこぼれ」みたいな認知があり
(全然そんなことないのですが)、
レールから降りるのが非常に怖かったので
優等生ビリーフに従って
なんとか現役合格できそうな大学を探しました。

そこで見つかったのが旧帝大である名古屋大学。
旧帝大というネームバリューだけが
優等生ビリーフを慰めてくれる唯一の拠り所だった
ので、

「ここに行きたい!」

とすぐさま思いました。

それまで全く予備校など通ってこなかった
(通わない自分かっこいいと思っていた)のですが、
背に腹は変えられん!と、
親に懇願して1週間集中の予備校に通い、
名古屋大学の受験対策に取り組みました。

その甲斐もあって、見事に現役合格。
なんだか、ほっと一安心しました。


最終的に学校の成績では、
理系の中で主席で卒業(全体では200人中2位)。

高校入学時には中位だったのが、
3年間でトップに食い込めるようになったのは
本当に大きな自信になりました。

そうして部活と勉強に打ち込むあまり、
いい感じの子がいたのに告白もできず、
なんともストイックに過ごしてしまった、
非常に自分らしい高校時代を終えたのでした。

【4】大学生・大学院生


医者への道を諦めてからはというと
特に次なる夢もなかったので、
しばらく淡々とした日々を過ごします。

親が公務員だったことから公務員を勧められ、
「特に夢も見つからないし、公務員でいいか〜」
と考え、

初めての一人暮らしに苦戦しながらも
親に迷惑をかけないよう留年しないことだけを目標に
真面目に大学に通う日々。

ここでも優等生ビリーフは発動し、
「どうせ目指すなら官僚!国家公務員!」と考え、
国家公務員の仕事をどうにか見学できないかと探していたところ、
議員インターンなるものを発見。

「これはうまくいけば実際の職場を見学できるかもしれない!」
と考えてすぐさま応募。
見事内定を頂きます。

議員インターンでは議員さんの普段の活動に同行させて頂き、
国会での弁論の聴講、
議員さん同士の会食に同席、
選挙活動の手伝いなど、
色々経験できて、
とても新鮮でした。

そして目的だった霞ヶ関への出張も果たし、
農水省の人たちと話す機会を設けて頂きました。

しかし役所の方々とお話をする機会を頂きながら、
なんとなく、
「自分のやりたいことはこれではない気がする、、」
と考え直すようになります。


また、人生初のアルバイトで歯科助手を始めます。
男性では珍しい職種ですが、
医学部に落ちても医療系の仕事を諦めきれなかったこと、
院長がたまたまJリーグのチームのドクターをされていて
意気投合したこともあり、見事に採用。

器具の洗浄や治療のサポートなど、
黙々とやる作業が性に合っていたのと、
憧れていた医療現場での仕事で
人の役に立つ実感が得られること、
たまにプロサッカーチームの歯科検診に同行できたりと
刺激的な日々を送っていました。


さらに、
アルバイト先のドクターからフェスの魅力を教えて頂き、
音楽フェスにやキャンプにハマるようになります。

自然に自分の身体を委ねながら、
フェスの空間に没入し、
自分の精神を解放するのが心地よく、
「自然と共生する」ことが
人生の重要なテーマになっていきました。



一方で大学生活は、
単位を取りこぼすことなく順調に大学3年まで進学。
自分が所属する農学部では
3年生から学生実験がスタートします。

林業に関わる学科だったので、
山に入ってフィールドワークをしたり、
木こり体験をしたり、
葉っぱの種類を覚えたり、
樹木成分を抽出する化学実験をしたりと、
幅広く体験しました。

大学4年に上がるタイミングで、
研究したいテーマがある研究室を選ぶことになるのですが、
当時は地球温暖化が社会問題になっていて、
バイオマスエネルギーが一大ブームになっていました。

自分も「自然と共生したい」想いから、
なんとか地球温暖化の社会課題を解決に携われないかと考え、
植物由来の燃料の研究ができそうな研究室に進みます。

そんな想いを教授に伝えたところ、
最先端の設備を用いて植物を研究するテーマを頂き、
また幸運にも実験をやればやるほど新規性のある結果が出て、
国際学会で発表したり、
論文投稿も経験できました。

黙々と研究すること、
自然科学の理論をもとに謎解きをすること

純粋に楽しかったので、
将来ずっと研究を仕事にしたいと考えるようになります。

ただ大学に残って専門性を極めていくよりも、
研究をやりつつ、時には営業をしたりと、
幅広く総合点で勝負をするのが勝てる方法だと思っていたので、
「修士卒」⇨「民間企業への就職」の道を選びます。

植物由来の新しい価値を創造する研究ができそうな企業で
周りからチヤホヤされるために
企業のネームバリューがあることが
当時の就職活動の軸でしたが、
ご縁あって国内首位の製紙会社に内定を頂くことが出来ました。

【5】社会人初期

意気揚々と名古屋から上京。
東大、東工大、早稲田。慶應、横国、神大、九大と、
高学歴かつ優秀な同期に囲まれて
これから始まる社会人生活に期待半分、不安半分といった感じでした。

入社後の配属希望を伝える面談では、
植物由来の研究に携われそうなチームへの配属を希望しました。
が、希望叶わず。
配属されたのは今年から新設したばかりの水事業チームでした。

正直、めちゃくちゃショックでした。。。
他にやりたいことがあるのに、
興味のない分野に時間と労力を割かなければならず、
自分の人生を他人に握られている感覚。

しかし優等生ビリーフが邪魔をして、
レールから降りるのが怖いので
会社を辞めるまでには至らない。

本当に、仕方なく、自分を殺して、
我慢をして仕事をしていました。
というより、仕事は我慢をするものだと思っていました。


ただありがたいことに、
配属されたチームでは研究だけでなく、
客先常駐で顧客に合った水処理技術を開発したり、
国内外も色んなところを飛びまわったし、
水処理薬品を売るために営業をしたり、
本当にいろんな経験をさせて頂きました。
総合点で稼ぐ自分のスタイルにはとても合っていたように思います。

しかし、当時は心の片隅で
植物由来の研究がしたいと思っていたので、
心の底からやりたい仕事をやっているとは思えていませんでした。

そんな仕事でも、
慣れていくと普通にこなせるようにはなってきました。
そう。怖いもので不思議と「こなせる」ようになってくるのです。

キャリアプランもなく、
いつしか、ただ無難に勤め上げることだけが目標になっていました。

無難に生きる。
それこそが、
「自分は優秀でなければならない!」という
幼少期からずっと築いてきたビリーフ、
自分自身を守るための生存戦略だったのです。

周りから優秀だと思われなければならない。
無能だとバレてはいけない。

非常にバカらしい話ですが、
本気でそう思っていたので、
困ったり分からないことがあっても周りに質問ができず、
(そんなことも分からないのかと思われたくない)
社内で孤立するようになっていきました。



そうして2018年12月、事件が起こります。
とある重大なミスをしてしまい客先から大クレームが。
上司から呼び出され、大叱責を受けました。

幼少期からずっと大事にしていた
優等生ビリーフがたちまち崩壊し、
学生時代に培った自信は失われ、
自分は仕事ができない人間だとレッテルを貼られた気分でした。

この時期は本当に毎朝えずいていましたし、
日常が灰色に見えていました。
鬱病の一歩手前まで来ていたと思います。

でも鬱病だとは認めたくない。
認めてしまうと、
自分は強く優秀な人間ではないという認知になり、
完全に自分が壊れてしまいそうな気がしたから。



「このままじゃまずい。なんとかしてメンタルを強くしよう。」
「2019年は、自分を革命的に変える1年にする!!!」

そう強く決心し、
藁にもすがる思いで
メンタリストDaigoさんの「超集中力」と、
Testosteronさんの「筋トレすれば人生の99%はうまくいく
という本を手に取りました。


メンタルを強くするために
本に書いてあったことを忠実に聞いて、
毎日読書をし、
朝と夜に20分の瞑想をし、
ジムに通ってパーソナルトレーナーをつけて筋トレも開始。
親の遺伝とストレスで薄毛もかなり進行していたので
AGA治療にも通い始めました。

人は追い込まれているときは
モチベーションとか関係なく
一心不乱にやるべきことをやるようになるのですが、

とにかく現状の自分を捨てるためなら何だってやる覚悟だったので、
惜しみなく自己投資を続けたし、
馴れ合いの関係性だった人たちとの関係性も切って、
人が変わったように努力をし続けました。


とにかく自信が欲しい。
何者かになって、自信をつけたい。
何者かになって、周りに流されない、確固たるメンタルを持ちたい。
・・何者かにならねばならない!!!

そうした強迫観念で自分を追い込んだ甲斐もあって、
6ヶ月後には仕事で使う資格もたくさん取得でき、
筋トレやAGA治療の効果も出始め、見た目が変わってきました。

目に見えた成果が出始めて
「やればできるんだ!!」と自信を取り戻し、
その自信は非言語で周りにも伝わるようになります。


すると今度は、仕事でもチャンス到来。
水処理チームから、
元より希望していた植物由来の研究ができるチームへ
異動が命じられました。

初めての部署異動、
そして長らく居座ったチームからの異動だったので、
最初は戦力外通告されたような気持ちになりましたが、

幸運にも、新しいチームでは上司や同僚にも恵まれ、
かつ自分が元からやりたかった仕事ができる環境だったので、
メンタルも見事にV字回復。

仕事の成果にもかなり高評価を頂けるようになり、
初めて自分にも部下がつくようになりました。


半年前は、
自分は仕事ができない人間だというセルフトークが
常に鳴り響いていました
が、

マインドを変えて見た目を改善し、
好きな仕事を、好きな人、環境で行うようになると
無理なくパフォーマンスが発揮されるようになり、

「なんだ、意外と俺できるじゃん。」
と、長らく失っていた自信をようやく取り戻していくのでした。


【6】GOAL-Bさんとの出会い


2019年のはじめくらいから、
「副業」というワードをよく耳にするようになります。

会社でサラリーマンとして勤め上げること、
さらには同じ会社で定年まで働くという、
いわゆる昭和的な固定観念があったのですが、

「そうか、お金の依存先を増やせばもっと自由になれるのか。」
と気づき、
副業について色々調べたり、
ロールモデルになりそうな人を探し始めます。


そんなある日、運命的な出会いを果たします。
YouTubeのおすすめ動画で
AKIOBLOGさんのルーティン動画が飛び込んできました。

朝ちょっと早く起きて、
カフェでブログを書き、
ビシッとスーツを着て仕事に行き、
定時帰宅してジムに行く。
それが月曜から金曜まで繰り返される動画でした。

「うわ、これこそ自分の理想の生活だ。
 チャンネル登録者1000人?
 全然有名じゃないけど、
 いい目標見つけた。チャンネル登録しておこう。」

1週間後、その動画は瞬く間に有名になり、
AKIOBLOGさんは副業サラリーマンとして
一躍時の人になっていきました。

「普通のサラリーマンだった人が、
 いきなりこんなに人生好転するんだ・・(°_°)」

とその時の衝撃は今も忘れません。



乗るしかない、このビックウェーブに!!!!

そう考えてAKOBLOGさんを徹底してパクることから入り、
YouTubeやブログを見ながら、
自分も筋トレ日記や、
私生活の内容をブログに投稿し始めました。

しかし、ありきたりな内容な上、
初心者のブログなんて当然誰も見に来ません。
まずは100本あげることが大事だ!と言われていましたが、
どうにかして周りと差別化できないかと悩んでいました。

すると2019年9月、
AKIOさんがGOAL-Bという会社を創業してまもない頃、
オンラインパーソナルトレーニング事業ローンチが発表されます。
5名限定で価格は10万円。

ピーンと閃きました。
これから伸びるであろう会社の、
新しい事業のレビューをブログで書けば、
誰もやってないし、見にくる人が増えるかもしれない!!

創業したての会社の
全く実績も何もないサービスに10万円を払うなんて、
普通の感覚では「やめとけ」なのかもしれませんが、
自分の直感ではいける確信がありました。

何の躊躇いもなく、
オンラインパーソナルトレーニングに10万円を投資。

まさにこのビックウェーブ飛び込み作戦が、
大きく人生を動かす決断
となります。


10月からオンラインパーソナルが開始し、
初回のカウンセリングで
トレーナーのなぎらさんからこんな質問が。

「はなやさんは筋トレを通して何を実現したいですか?」


パッと思いついたのが、
筋肉隆々、腹筋バキバキのかっこいい身体になって
自信をつけたいということ。
さらになぎらさんから質問。

「自信をつけた後は何したいですか?」


今まで考えたことがない質問に頭を悩ませましたが、
思いついたのは、
仕事もプライベートもイキイキと働く自分でした。

「副業で収入を得ながら、
 余裕を持って本業に取り組む人になりたい。
 そのためにブログを収益化したい。」

ありたい姿に向けて
自分が今何をすべきかがはっきり見えて、
エネルギーに満ち溢れた感覚に包まれました。

やることが明確になった後の自分の行動力は凄まじく、
6ヶ月後に収益化目標だったのが、
カウンセリング1週間後にアドセンス合格し、
早くも収益化を達成するのでした。


「コーチングすごい!!もっと知りたい!!」
これがコーチング初体験の感想でした。


11月にはGOAL-Bさん主催のコーチングワークショップにも参加。
コーチ体験を初めてさせてもらいました。

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クライアントの話を傾聴し、
深掘りしていくことで、
クライアントの顔が晴々としていったのを今でも覚えています。

他人の人生をサポートすることって、
こんなにもやりがいと喜びに溢れるのか。

とにかく「自分が」「自分が」で、
優等生であり続けることに執着し、
勝てるところで勝負することを生きがいにしてきた自分には、
今まで体験してこなかった感情でした。


コーチングを提供する人になりたい!!
そう決断し、やると決めた以上、
ちゃんとした場所で学びたいと思い、
CTI(Coaching Traning Institute)というスクールに通い始めました。

さらになぎらさんの勧めで、
当時はまだ参入者も少なかった
YouTubeを始めることにしました。

さらに、当時はまだGOAL-Bさんのサービスだった
目標達成会議にも参加し、
(週末にその週の行動を振り返り、来週の行動目標を立てる会議)

コーチングで目標の大まかな方向性を決定

目標達成会議で行動目標を立ててPDCAを回す、
というルーティンを確立。


一方のボディメイクでは順調に身体が絞れていたので、
なぎらさんとも相談し、
ここらで1つ大きな実績づくりのために
ベストボディジャパンに出場する決断をしました。

自分には到底縁のない世界だと思っていたので、
決断する際は震えるほど怖かった。

それでも、
「絶対はなやさんならできます!!最後まで絶対サポートします!!」
となぎらさんが背中を押してくれました。
なぎらさん、本当にありがとう!!!

本業もコーチングもYouTubeも目標達成会議もボディメイクも、
全てこなすというゴールを達成するには時間が全く足りなかったので、
職場まで片道1時間半かかっていた千葉の独身寮から、
片道30分のアパートに引っ越しました。
そして家の隣にはエニタイムフィットネス。


オンラインパーソナルを始めて10月〜12月の動き方が、
我ながら凄まじかったので、
なぎらさんから「ノンストップはなや」という二つ名を頂きました。

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まさに現状の外のゴール設定とは、
今までの自分を変えないと
到底達成できないようなゴールのこと。

僕自身、
①自分には縁がないという認知を変えて
 ベストボディジャパン出場の覚悟を決め
②住む場所を変えて、元の自分には戻れないように釘を刺し
③最後に「ノンストップはなや」という
 新しい自分へとアイデンティティを更新しました。

1年前の2018年の12月にはどん底まで落ちていた自分にとって、
信じられないくらいの逆転劇でした。


目標が定まってからは、
これまで以上に自分の生き様を発信することに注力しました。

ジムに行きたいのに、
仕事終わりは混みすぎてて
自分の思い通りのトレーニングができない...

だったら朝3時に起きてジムに行ったらいいじゃん!
その後は朝活でコーチングの勉強や提供に時間を当てられる!

効果的に時間を使う欲求が強すぎた結果
朝3時に起きて、本業やら副業やら全力で生きる、
ノンストップに生きる男のルーティン が始まるのでした。


3月のベストボディジャパン本番が近づいてくると、
東京から大阪のGOAL-Bのジムまで足繁く通い、
なぎらさんにポージング指導もしてもらいました。

この当時は減量末期の極限状態もあってか、
応援してくれる皆さんへの感謝の気持ちが溢れすぎて、
誰かと会うたびに号泣していました(笑


そして迎えたベストボディジャパン当日。
なぎらさんも朝から(なんなら前日の夜から)同行してくれて、
たくさんの応援してくれた人の期待を背負って臨みましたが、
結果は予選敗退


結果は伴いませんでしたが、
これほどまでに大きな挑戦をしたことが
今までの人生でなかったので、
本当に大きな自信となりました


当時のチャンネル登録者数が500人程度ながら、
このYouTube動画が1.5万回再生を突破し、
コーチングのクライアント様は急増、
YouTubeの登録者数も1000人を突破して
広告収入が入るようになり、
副業サラリーマンとしても大きく飛躍することができました。

4月からはGOAL-Bさんから
目標達成会議の事業を引き継ぐことになり、
「自分に務まるのか・・集客できるのか・・」
と不安いっぱいの中、コミュニティの運営も開始。
しかし、今日まで素晴らしいご縁を頂きながら、
メンバーの皆さんと最高の環境をつくることができており、
なんとか3期目を迎えています。

GOAL-Bさんと出会い、
今までの自分を思い出すのが難しいくらい、
本当に大きな変化を起こすことができました。
出会ってなかったら今の自分はありません。
改めて、感謝を申し上げます!!!!!

【7】転職、コーチングスクール、そしてこれから。


割といい感じになってきた中で、
唯一モヤっとしていたものが、本業の仕事でした。

本業以外のところでも収入が得られていて、
自由に仕事を選んでいいとしたら、
今の仕事を続けるか?
と何度も自問していました。

仕事とは、人の役に立つこと。
今、自分は人の役に立てているのだろうか?
自分が本音でやりたいことを、
仕事として選択できているのだろうか?


その当時、
居心地が良かったチームは解散になり、
自分はまた別のプロジェクトにアサインされていました。
そこは、水事業でもなく、植物由来系でもなく、
全くの新しい分野。

正直、全く興味のないところだったのに加え、
過渡期でかなりコミットが求められる部署で、
土日も、連休も自由に休みが取れる環境ではありませんでした。

週末はコーチングや目標達成会議の仕事でパンパンだったので、
せっかく軌道に乗ってきた副業を辞めて本業にフルコミットするか、
会社を離れるか、の2択を迫られます。


「せっかく大企業に勤めたのに、本当に辞めても大丈夫だろうか?」
「収入が入らなくなったら生きていけるのだろうか?」

このときに自分の行動を阻害していたのは、
・優秀だと見られていないといけない。
・お金がないと生きていけない。

という生存戦略でした。

副業で会社の給料と同じくらい稼いでいたにもかかわらず、
レールから外れること、収入の不安定さにビビりまくります。

この頃は非常に不安定な状態で、
朝起きるのも辛く、
会社でもトイレに籠りきりで、
精神科医で処方してもらいながら
なんとかギリギリで仕事をしていました。


それでも、
・自分の事業のお客さんを絶対にサポートしたい
・自分の力で状況をコントロールしたい
・これから伸び上がる場所(個人事業)にBETしたい
という気持ちが勝り、

自分らしくあるために、
ビビりながら上司に会社を辞める旨を伝えました。

上司にも同僚にも引き止めていただいたのですが、
今やっていること、これからやっていきたいことを伝えて、
前向きに送り出していただきました。

実に5年半、
長く居過ぎたなと思うこともあるのですが、
今思えば非常にいいご縁を頂いて、
たくさん仕事の経験を積ませていただきました。
社会人として未熟だった僕を、
厳しくも育てていただいた会社には感謝しかありません。
本当にありがとうございました!!!


そして会社を辞めた直後、
ご縁あってMindset Coaching schoolの
3期先行メンバーとして2020年8月からスタート。
(自己投資額、約80万円。。。)
徹底的に、自分の価値観と向きまいました。

その中で出てきたのが、これまで何度も出てきている
・優秀だと見られてないといけない
というhave to、

・勝てるところで勝負をする
・バランスを取る、総合点を取る
・効果的な行動をする
・自律する、コントロールする

というwant toでした。


そして5年半も継続していた本業でも
want toを深掘ってみたところ、

・法則性を紐解く、謎解きをする
人の(特に後輩の)背中を押すサポートをする
・想定し得ない新しいことを経験し、幅を広げる(海外出張など)
というwant toがあることが分かりました。


マッキンゼー流最高の社風の作り方で紹介されている
働く動機をスコア化するToMo指数という考え方があるのですが、

Play:仕事そのものを楽しめている
Purpose:仕事の成果に価値を感じている
Potential:仕事によって自分の成長を実感する

という3つの直接的動機があります。

これらに自分のwant toを当てはめると、

Play:謎解き要素がある
Purpose:社会課題の解決や、人の生活をより良くしたい
Potential:自分の知識や技術のアップグレードにつながる

これらが満たされる仕事こそが、
自分のやりたいことだと気づきました。

そして、その軸で仕事を探して唯一見つかったのが、
今まさに取り組んでいる、
家庭用浄水器の開発に関する仕事でした。

「水処理」というこれまでの知見を生かし、
生活になくてはならない「水」を向上させる
プロダクトの開発(謎解き)を通して、
人々の生活をより良くできる仕事は、
めちゃくちゃやりたい仕事だと気づきます。


「この仕事を獲得したくてしょうがない!」
「絶対に自分のものにする!』

そう決意したら、
後は転職エージェントから情報を引き出し、
面接対策を徹底的に練り上げました。
そうして素敵なご縁を頂き、
見事に転職を果たすことができました!!

幸運にも現職ではチームメンバーにも恵まれ、
取り組みがいのある謎解きの仕事にも
チャレンジさせて頂いており、
さらに残業も減って自分の時間を確保しやすくなり、
個人事業との両立も以前より楽になりました。

こうして紆余曲折ありながらも、
研究の仕事のwant toが明確になり、
仕事(人の役に立つこと)ができていると
自信を持って言えるようになりました。


そしてこれはコーチングにも当てはまります。

ベストボディジャパン出場の経験など
自分が体感した現状の外のゴールの感覚を活かしつつ、

人のビリーフの謎を解く(Play)、
人の人生をより良くすることに繋がる(Purpose)、
マインドの理解が進み、自身のレベルアップにも繋がる(Potential)


ので、まさに自分が心の底からやりたいと思える仕事だと気づきました。


「コーチという職業機能を手にしたい!」
「絶対にこのスクールを卒業したい!」

正直、スクール同期には有名企業の経営者、役員、
インフルエンサー、アスリート、、、
普通に生きていたら接点が無かったであろう
すごい人たちばかりで気後れしていましたし、

校長先生も愛に溢れすぎてめちゃくちゃ厳しくて、
フィードバックもらうのが死ぬほど怖すぎたし、
何よりここでも優等生ビリーフが邪魔をしていたのですが、

自分が優秀であろうとなかろうと、
もうどっちでもいい。
皆それぞれ才能があって生きているパラダイムが違うのだから、
比較することに何の意味もない。
そんなことより、
コーチングの理論を正しく理解(=謎解き)したい!!

という思いで、
何度もレポートを書いては
校長先生や同期にぶった斬られて落ち込み、
めげずにまたレポートを書いて、
というのを繰り返して、
6回目でなんとか合格を果たしました!!(落ち過ぎですね笑

こうして研究者、そしてコーチ(目標達成会議の運営も包括)と、
自分だけのwant toに根差した職業機能
手に入れることができました。


コーチングスクールを卒業した後は
全方位でバランスを取りたい欲求に従って、
今まで蔑ろにしていた領域もアップデートしています。

仕事においては先述した3つの仕事、
・浄水器に関する研究開発職
・プロコーチ
・目標達成会議の運営

特にコーチングにおいては、
この2022年7月からは新しくご縁を頂き、
お世話になったGOAL-Bさんのパートナーコーチに就任しました。

趣味においては、
サーフィン、空中ブランコなど色々やってみた中で、
今一番want to にしっくりきているのがARスポーツのHADO。
まずはこれに存分にハマり、日本一を目指します。

家族・パートナーにおいて、
大切にしたいパートナーを見つけ、
今まさに同棲を始めたところです。

生涯学習において、
これから変化が急速に早く、
不確実な未来が続いていく中で、
揺るぎない教養を身につけることは必須だと考えているので、
世界史、宗教、哲学といった
自然科学をちゃんとマスターしていきます。

これらを支える健康・美容面において、
まず第二の脳と言われる腸をハックするところから開始し、
腸に優しい食事に切り替え。
そして夢を叶える「動ける身体」を手に入れるため、
筋膜リリースやファンクショナルトレーニングも開始。
そして良質な睡眠を取るために
Fitbitなどのデバイスで睡眠管理をしつつ、
CBD・メラトニンといった睡眠補助サプリも積極的に摂っています。


そして、僕がこれからやりたいことは、
人のビリーフを読み解き、
24時間人生に「没頭」できるようにデザインしていくこと。

ストレングスファインダーで
人によってそれぞれ強い資質、弱い資質があるように、
人生を通底するwant to、
強くこびり付いているhave toも人によってバラバラ。

これをハックすることができれば、
自分のやりたいことに夢中になれ、
まさしく「没頭」できるようになると確信しています。

この、人によって異なる「没入条件」をビリーフから読み解き、
いつでもフロー状態に入れるようにデザインしていきたい。


仕事とは人の役に立つことであるが、
無理して人の役に立とうとする必要はないと思っています。
というより、
一歩間違えると自己犠牲というhave toを含む可能性があるからです。

僕の大好きな言葉に、
「自己中心的利他」という言葉があります。

これは、
自分の好きなこと、
やりたいこと、
得意なことをやっていたら、
結果として誰かの役に立ってしまっていること。

僕の場合、
謎解きは純粋に行為が楽しい。
そしてそれをやっていると、
結果として誰かの生活を良くすることに繋がったり、
誰かの背中を押すことに繋がると信じています。

最近またYouTubeも再開していますが、
どうすれば動画の成績(クリック率や視聴維持率)が
良くなるだろうか?
と試行錯誤して仮説検証をしています。

その謎解きの過程で、
結果多くの方にご視聴いただき、
自分の生き様でエンパワーメントできている要素があると思っています。

だからまずは、
自分が「やりたい!」とピンとくるものをやってみる。
その生き様は、波及して誰かの人生を後押しする。
自分がまずその体現者となります。


最後にまた言わせてください。

毎日、笑っていますか?
毎日を充実していると自信を持って生きていますか?
一度きりの人生、なんとなく過ごすことだってできるけど、
どうせなら自分が息を引き取るその日まで、
笑って過ごしてる方が最高じゃないですか。

悩んだり、クヨクヨすることだってありますよ。人間だもの。
でも人の一生って決まってて、僕らの時間は有限なんです。

過去や現在は、あなたの未来に一切の影響を与えない。
いつだって変われるんです。この瞬間から。
変わりたいと願うなら、今すぐに行動しましょう。
絶対に面白い未来が待っています!!

最後まで読んで頂いて、ありがとうございました!!








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