数年ぶりにドラゴンラージャを読み直す
フチが魔法の秋のブーストを得て旅をして得られた結知見に対して、カールは自分で本を読んで思考を巡らせてるだけでたどり着いてるのあらためてやべー人だな。まあ、カールはちょっと特権階級として村の人とは距離があるがゆえに目の前のリアルな犠牲だけに囚われない考え方ができるってのはあるかもしれないけど。
一巻の酒場のくだり読んですぐに十二巻に飛びました。
この時点のフチはカールの弁は分からんでもないけど母の死のこともあるし到底受け入れることのできない話だと思ってるけど、十二巻分の旅をして「アムルタットへの復讐心をすてた」と本心から言えるようになった。この一巻から十二巻のフチのアムルタットへの考え方の変化こそがまさに「人間が変化した」さまであって、読者にとってはフチの旅を追いかけてきた積み重ねあってのカタルシスで脳汁ドバドバなんだよなーーーーーーーーーーーーー!!!!
てか、一巻で〈サントレラの歌〉でカールとアムルタットについて問答して、十二巻ではまた同じ場所でアムルタットと問答してるの堪らないな… ただの少年であるフチがアムルタットと堂々と話してる姿がまさに十二巻分の旅の積み重ねだよ…
れ一巻の時点では「人間に害のあるやべードラゴン」みたいな存在だったアムルタットを「子孫への贈り物」とする認識の変化に改めて涙が出そうになる。
フチは作中におけるドラゴンラージャではないけど、ドラゴンと問答するシーンは鮮烈に存在するからある意味タイトル回収でもあると思った。
あと、一巻のフチと十二巻のフチを比べると十二巻のフチは明らかに「これは誰それが言ったことだが〜」という話が多い。アムルタットとの会話でも出てきたけどフチにおける「私の中にいるあなた」が旅を経て多くなったということよね。それこそザ・知識人のカールから、旅の途中で出会った人たち、それにヘルタントに帰ってきて話せた父親やらいろんな「フチの中にいるあなた」をフチは大事にしているということで、それをそのままアムルタットにも言っているのがいやーーーーーーー物語作りがうめぇーーーーーーーーーーーー!!! イヨンドまじで天才よな…
フチはドラゴンラージャの物語での旅を終えても、伝説の冒険者になるわけじゃないし、人間やめることもないし、たぶんジェミニと地元でロウソク職人やるんだろうなって思う。フチの中にある誰かは増えたし、考え方は変わったけど、フチはドラゴンラージャのやべー旅を経てもフチであることは変わらないんだな…
テーマのまとめがうますぎる…
これから間の巻を読み直します。
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