吐き出し
※この記事はあくまでアブラムシとは一切関係なく誰かが書き連ねた文である。
管理職について
この4月から社会人5年目となる私は一番小さな単位ではありますが、管理職としてチームをまとめることになりました。
誰かに認められること、必要とされることの現れとして、出世は分かりやすい指標であり、ある種の目標ではあったので嬉しかったのは間違いないです。
事実、「管理職になる」と言われた時はこれまでの仕事は間違っていなかったという安堵、
そしてずっと証明したかった、"推しが与える糧は間接的に誰かを助ける糧になる"という事を自ら体現できたという実感は何事にも代えがたいものでした。
私の自論には「長は先導者でもあるべき」という想いがあります、誰かを引っ張るような強い想いは行動とともに長が見せるべきだという考えからです。
学生時代には柄ではないですが、生徒会長や体育祭の委員長なんて役職を勤めた経験もあります。
その時から私は長という役割に向いていないことに気付いていました。
勉強に部活(orサークル)に恋愛と、沢山の事に真剣だった仲間のためによかれと思ってやっていたこと、先導者としてやるべきと考えていたことを実践した結果、
「もっと自分を頼って欲しい」という言葉や、「好きでやってるなら任せておけばいい(意訳)」という言葉は自分のあるべき長の姿を曖昧にさせるには充分でした。
なんとなく気付いてはいます。
私の持つ想いは、誰かを突き動かす程には足りないことを。
内心、誰かに自身の仕事や責任を任せられるほど他人を信用できていないことを。
そしてそんな想いが自分のまとめるメンバーにも伝わってしまっているということも。
それだけでなく、私は誰かを評価するという行為そのものから逃げ続けてきました。
私は誰かを評価できるほど、できた人間ではないですし、
その人の半年や一年を決められるほど、その人のことを知ることはないと思っています。
管理職としては避けられない評価が酷く億劫です。
これから上手くいかないことがある度、これまで感じた感情を思い出したり、誰かの期待を裏切ってしまうことが怖くてたまらないです。
私にとって管理職というラベルは行動も感情も縛り付ける枷です。
これから
とは言うものの、この一年は自分についた役割はどうにか付き合っていかなきゃならないもので、
いつまでもこのままじゃ管理職に選んでくれた人や、応援をしてくれている推しに示しがつかないのは分かっています。
だから吐き出すのはこれ限りにして、内でいくら何を思っていたとしても、
これからは新しい挑戦や、苦手を克服するためにチャレンジする一年であることを楽しんでいる、そしてそんな挑戦をし続けられていることを推しに感謝するアブラムシであり続けようと思います。
うだうだとネガティブな私が出てきてしまいそうなのでこれで終わりにしようと思います。