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ORENGE RIUM ~裸電球の恋~

前回のこの記事の続き。
恋話です。

世界で一番悲しいクリスマスを過ごしたという僕の片思い相手の浩美ちゃん。
僕が浩美ちゃんへの告白をクリスマスに取り消したことで、世界で一番悲しくさせてしまったのなら、それって・・・。

「私の家の宗教のことってまだ話してなかったよね」
「宗教?」
「そう、○○って知ってるでしょ。うちはその宗教に入ってるの、私が子供の頃から。
クリスマスとか初詣は禁止されてるから、クリスマスもあぶらくんに誘われてたけど断ったのも宗教が理由」
「そうなんだ、でも初詣はこうして来てるじゃん」

「だからね、今も内心は本気で怖いの。
ものすごい決心して来たんだからね。
クリスマスも会いたかったけど我慢してたらあんなこと言われちゃってさ。ずっとあぶらくんは付き合ってほしいって言ってくれてたけど、私はまだ早いとか言って断ってたでしょ。
あれってあぶらくんがまだうちのとこに入ってないから、まだ早いっていう意味だったの。
未信者とは結婚しちゃいけないからさ、私の中では付き合うことも駄目だった。
でもさ、一生懸命信心してあぶらくんがうちに入ってくれることを願ってたのにさ、クリスマスにあぶらくんを失っちゃて、初めて信心していることが嫌になっちゃた」

浩美ちゃんは神様と僕への思いを天秤にかけて、僕をとることを選んだ。
もう失いたくはないと、僕からの初詣の誘いに応えてくれた。
その信心というものは、子供の頃から根付かされた強力なもので、
何か良いことがあっても悪いことがあっても、信心が足りていたとか足りなかったとか、すべてが信仰の結果だと思うようになってしまっているらしい。
熱心に信じればどんな病気でも治ると、そんな馬鹿げたことを本気で信じている、信じさせられている。
理性では馬鹿げていると思ってはいても、信仰に反することへの恐怖の感情が強すぎて、自分の本当の気持ちを押し殺してしまう。
浩美ちゃんは僕にそう説明してくれた。
説明しながら、怯えていることが伝わってきた。
その気持ちは分かるような気がした。
僕も過去に宗教に信仰を抱いたことがあったから。

「ほんと馬鹿みたいでしょ。でもそれが信仰なの。
それから私は抜けられなかった、抜けられなかったからあぶらくんと付き合うことも出来なかった。
でももうやめた。
ブルーハーツで、ごめんなさい神様よりも好きです、ってセリフがある歌があるでしょ、今はあの歌の気持ちと同じ。」


クリスマスの時の決心と覚悟も大変だったけど、今度のもなかなかのものだ。
なんせ相手は神様だ。
きっと人間よりも強い。
彼女の信仰が良いものなのか悪いものなのかは断言は出来ない。
ただ彼女の本当の思いは守りたい。
その思いが信仰と相反するものならば、僕は彼女の神様と喧嘩をする。
神様への恐怖に打ち勝って鶴岡八幡宮の鳥居をくぐった彼女の思いに、
僕は応えたかった。
同時に過去の自分の信仰にも落とし前をつけようと思ったのかもしれない。

彼女にとって初めての神社、初めての初詣。
お賽銭を入れてお祈りをする時に、
「なんかうちの宗教の題目唱えちゃいそう」
そう言って浩美ちゃんは笑った。
あの時二人は、きっと同じことをお祈りした。
この日から、僕と浩美ちゃんは恋人同士になった。


彼女の父親は宗教組織の上役で、母親も当然信者。
絵に描いたような理想的な信仰家族だったはずなのだが、その内実は
父親の暴力と、信心が足りないことへの恐怖に支配されていた家族だったようだ。
「お前は信心が足りない」
いつもそう言って母親は怒鳴られ殴られていたらしい。
僕と付き合い始めて数か月経った頃、浩美ちゃんは母親を連れて家を出る決心をした。
宗教と父親から逃げ出す決心をしたのだ。
浩美ちゃん母娘は、横浜市戸塚区の家から大和市の古アパートに引っ越しをした。
大和市は僕が住む街だ。
僕を頼って大和を選んだのだと思う。
責任は重大だ。
僕が二人のサポートをしなければ。

引っ越して来たアパートに初めて行った時、部屋の様子を見て僕は驚いた。
いかにもな昭和な感じの古い風呂無しのアパート。
その部屋には家財道具が無かった。
床には布団と数個のバッグだけ。
天井からは裸電球がぶら下がっていた。
部屋は二部屋あり台所も狭くはなく、広さとしては申し分なかったのだが、
夜逃げ同然で逃げ出してきた二人には、物が何も無かった。
物が無い。これから届くことも無い。
その事実に呆然としたことを覚えている。
部屋には電話も無かった。
携帯電話なんか無い時代だ。
この何も無いところから、二人は始めなきゃならなかった。

浩美ちゃん母娘は、同じファミレスで昼間に働き始めた。
僕は会社の帰りに、毎日アパートに通った。
時にはアパートに泊まって、そこから会社に行ったこともあった。
休みの日には一緒に買い物をしたり、洗濯機も無かったから僕の家で洗濯をした。
夜には三人で一緒に銭湯に行ったりした。
浩美ちゃん母娘と僕と、まるで三人で暮らしているみたいだった。
でも電化製品は、お金が無くて買えなかった。
その頃僕の家も、蒸発した父親が残した借金で火の車だったからだ。
米は鍋で炊いた。
鍋で炊く米は旨い。
夜ごはんを浩美ちゃんと二人で作ることがとにかく楽しかった。
デートなんかする余裕は無かったけど、毎日が楽しくてしかたがなかった。
いつも夢を見ていた。
夢ばかり見ていた。
神様のことなんか、すっかり忘れていた。

ある日、浩美ちゃんの母が一人でアパートにいた時に、父親と宗教の人たちが突然アパートに来て、母を連れ戻してしまった。
母の手紙が残されていて、とりあえずは家に戻るけどまたここに帰ってくるから待っていてほしい、という内容だった。
それから浩美ちゃんの母親は、アパートに帰って来ることはなかった。

家に戻った母親と、浩美ちゃんは何度も電話で話をしていた。
父親は、言動と行動を改めると謝罪をしたようだ。
彼女の心も揺れていた。
やるべきことは何なのか、この先どうしたいのか。
彼女は僕とこのアパートで暮らしたいと思っていた。
でも母親を守るのは自分だとも思っていた。
根強く残っている信仰から抜けきれない思いもあった。
結果、彼女は家に帰ることを選択した。

僕は彼女の選択を受け入れた。
彼女と一緒に住むことを僕も望んでいた。
一緒に生活をしたかった。
近くで彼女を支えたかった。
でも僕は僕で実家の問題があった。
母と弟を残して実家を出るわけにはいかない。
僕の収入無しでは、母と弟は生活が出来ない。
浩美ちゃん母娘のアパート暮らしは、突然終わった。


アパートに残されていた家財道具は、といってもいくつかのバッグに入る程度の量しかなかったのだが、彼女の両親が取りにくることになった。
彼女は立会いたくないと言ったので、その日は二人で横浜でデートをした。
デートを終えて夕方にアパートに戻ると、部屋の中には何も無かった。
二人で料理をした台所もきれいに片付いていて、残されていたものは天井からぶら下がっている裸電球だけだった。
薄暗い部屋に裸電球を灯して、窓を開けて外を眺めた。
窓の外には隣の家の壁。
隣の家の壁とアパートの窓枠で三角形に切り取られた空が、夕焼けでオレンジ色をしていた。
言葉がなかった。
何も話せなかった。
何もない部屋は、これでもかと言わんばかりに「終わり」に満ちていて、
上手く言葉が出てこなかった。
ただ彼女を愛おしいと思った。
好きで好きでしかたがなかった。
「終わり」の感覚を終わらせたかった。
僕は彼女にキスをしようとした。
僕はまだ彼女とキスをしていなかった。
手をつないだり腕を組んだり、朝まで同じ部屋で過ごしたりしたけど、
なぜかキスをしていなかった。
ごく自然な思いで彼女の肩を抱き寄せてキスをしようとすると、
彼女は体を離して逃げた。
キスから逃げやがった!
こんなにいい場面で終わりのムードに酔いしれている時だというのに、
二人のファーストキスから逃げやがったぞ!
「えっ?逃げるの?なんで?」
思わずそう言った僕に
「あはは、今日はよしとこ(笑)、また今度ね」
そう言って彼女は笑った。

結局彼女とはキスをしないまま、恋人関係を解消した。
振ったのは僕のほうだ。
理由はいろいろあったのだが、簡単に言ってしまえば、
僕が裸電球みたいな恋を求めてしまったからだ。
あの何もなかったあの部屋での恋が、とても純粋できれいだったから、
あの最後のオレンジ色の光に満ちていた部屋が恋愛のピークみたいなもので、僕はあの部屋みたいな無駄が何もない純粋無垢な裸電球みたいな恋を求めてしまった。
そんな恋愛なんて、出来るわけないのに。

別れた後も僕と浩美ちゃんは相変わらず仲が良かった。
しばらくして浩美ちゃんに新しい彼氏が出来た。
シンペイという名前の一つ年下のその彼は浩美ちゃんと同じ宗教だった。
そしてどういうわけか、シンペイと僕は仲良しになった。
元カレと今カレが二人で一緒にライブに行ったり、僕がギターを教えたり、二人で旅行に行ったりもした。
二人で彼女のことを語り合っていた時に、結婚はしないの?とシンペイに尋ねたら
「まだ経済力が無いから、結婚はもう少ししてからにします。
苦労をかけたくないし、子供も欲しいから、もう少し収入が増えたら結婚します。」
とこたえてくれた。
よかった、シンペイは俺みたいな人じゃない。
裸電球を求めてしまうような人じゃなくて、ちゃんとした灯りを求める人だ。
シンペイなら裸電球なんか求めずに、灯りに映える花を部屋に飾ってくれる。
家族らしい家族を夢見てくれる。

それから数年後に、浩美ちゃんとシンペイは結婚した。
二人の女の子も生まれた。
家族4人で幸せになった。
僕が小学生になる長女のランドセルをプレゼントした後に、
トラックの運転手だったシンペイは、
静岡の東名高速で単独事故を起こして死んだ。


5年程前に、浩美ちゃんに孫が出来ておばあちゃんになったお祝いで、
久しぶりに彼女に会った。
あのアパートでの最後の日のことを彼女に聞いてみた。
「なんであの時キスから逃げたの?
あーあ、キスくらいしときたかったよなぁ」
それを聞いた彼女はひとしきり声を上げて笑った後に、こんなことを言ってくれた。
「なんであの時逃げたんだろうね。自分でも分からないよ。
あんなに好きだったのにね。
でもあの時キスしないでよかったと思うよ。
あの時キスしたてら、きっとシンペイとは結婚しなかったし、孫を見れることもなかったはず。
シンペイは最高の夫で父親だったし、あなたは最高の恋人だったよ。
キスをしなかったから、私はその二つを手に入れられたの。
幸せ者だよほんとに。」


「浩美ちゃんさ、あの時のアパートの部屋ってものすごく綺麗なオレンジ色に見えなかった?
夕焼けと裸電球の光の色で、俺ものすごくきれいなオレンジ色だった記憶があるんだけど」
「そうだったかなぁ。あんまり覚えてないけど、オレンジ色だったかもね」
「でんぱ組.incの曲にオレンジリウムって曲があるんだけどさ、その曲聴くとあの時のことを強烈に思い出して、マジで泣けるよ」
「でんぱ組?アイドルかよ。キモイな(笑)。ロック魂はどこいったんだよ(笑)」
「いやマジでいい曲だから、今度検索して聴いてみて」

後日、浩美ちゃんからメールが来た。
「オレンジリウム聴いたよ。
なにあれ、まいった。泣けたよ。
すごいいい曲。
思い出したけど、あの部屋すごいオレンジ色だったよ。
ほんとにきれいなオレンジ色だった。
涙が出るほどきれいだったよね。
もう絶対に忘れないよ。
ありがとう」

俺も絶対に忘れないよ。
どうしようもなくきれいなオレンジ色だったあの部屋は、秘密の箱で宝物だから。


「心のなかに灯るものがあれば
暗闇でも迷わない
信じ続ける ORENGE RIUM
もっと 強くなるの
この場所 いつも忘れないよ ~ORENGE RIUM  でんぱ組.inc」


※浩美ちゃん本人は、僕がnoteに書くことを了承しています。
 本人からの感想が楽しみです。

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