マリーゴールド
今から30年位前、僕が20台前半の頃、暇さえあれば京都に一人旅に行っていた。
高校の頃に学校が嫌いで不登校になっていた僕は、よく鎌倉に散策に行っていて神社仏閣が好きになり、その延長で京都も好きになった。
京都関連の本を読み漁ったり、京都が舞台の渡辺淳一の官能的な小説をを読んで京都を学んだ。
そして京都に月に一度は一人で旅に行く、いわゆる京都オタクになっていた。
そんな京都オタクの僕が夏のある日、京都の大原の田園地帯を歩いていると、麦わら帽子を被って一人で歩いている女の子を見かけた。
僕と同世代に見えたその女の子は麦わら帽子がとてもよく似合っていて、麦わらの帽子の君が揺れたマリーゴールドに似てると思った僕は(嘘)彼女に声かけようと思ったけど、せっかく孤独を味わいたくて一人で京都に来てるのだし、もし声をかけて冷たくあしらわれたりしたら一人旅が台無しになると思って、声をかけずに麦わらの彼女を遠くから見ていた。
大原で観光で見る場所はそれほど多くはないから、麦わらの彼女とは同じルートを歩くことになる。
僕は歩きながら、ずっと視界の隅で彼女を見ていた。
見ずにはいられなかった。
大原の風景の中で見る麦わらの彼女が素敵すぎて、目が離せなかった。
何度も声をかけようと思っては思い直して、
少し近づいては距離をとって、
彼女のことを見ていることは気付かれないように、でも存在は気付かれるように、
麦わらの彼女を見ながら大原を歩き続けた。
結局僕は彼女に声をかけなかった。
それでいいと思った。
京都には女の子と出会うために来てるんじゃない。
縁があればまたどこかで会えるだろうし。
でもやっぱり彼女は素敵だったなあ。
彼女のことが頭から離れない僕は、夜に行った四条河原町の土産店で麦わら帽子を買った。
明日の京都はこの帽子を被って歩こう。
どこかで彼女と会えたらいいな。
麦わらの彼女とは会えるはずがなく、寂しく楽しく京都一人旅を満喫した僕は、帰りの夜行バスのバス停に行った。
そこに麦わらの彼女がいた。
帰りの夜行バスが彼女と一緒だった!
目が合った僕は、驚いてあれこれ考える間もなく自然に彼女に近づいて声をかけた。
大原で一緒でしたねと声をかけたら、彼女もすぐに僕のことを思い出してくれた。
「麦わら帽子・・・」
と言われて、初めて自分が麦わら帽子を被っていることを思い出した。
彼女も麦わら帽子を被っている。
似たような麦わら帽子を被っている、まるで恋人同士だ。
まさかあなたに影響されて買ったんですとは言えないから、夏だからね、とか適当なことを言ってごまかした。
二人で並んでバス停のベンチに座って、バスが来るまで話をした。
彼女は大学の何かで京都のことを調べに来ていて、大原には調べものとは別で遊びに行ったとのこと。
京都オタクの僕は、京都のうんちくをあれこれ話し続けた。
彼女も京都のことをいろいろと質問してきて、僕は知識総動員で必死に答えた。
話しが弾んだ。
ずっとバスが来なければいいのに、なんだったら席が隣同士ならいいのに。
彼女は映画が好きだと言った。
好きな映画を尋ねたら「ベルリン・天使の詩」だと言った。
驚いた。僕もベル天が大好きだったから。
彼女も驚いていた。
京都の大原で見かけた人と、偶然帰りの夜行バスが一緒で、偶然大好きな映画も同じ。
しかもそれがベルリン・天使の詩という、決してメジャーではない映画。
二人で熱くなりながらベル天のことを語り合った。
運命みたいなものを感じた。
今の俺たちを天使はこっそり見てるんじゃないかな、なんて恥ずかしいことを言った僕に、彼女は、
「天使はいるよ、見てるよ」と言ってくれた。
僕は彼女に恋をした。
夜行バスが休憩でSAに止まる度に、二人はバスを降りて休憩時間いっぱいまで外で話をした。
真夜中のSAのベンチで、麦わら帽子を被った二人。
お互いが佐野元春ファンだということを知って、また二人で盛り上がった。
彼女は「瓦礫の中のゴールデンリング」という歌詞が好きだと言った。
僕もその歌詞が大好きになった。
どんどん彼女が大好きになった。
バスが東京駅に到着した。
バスを降りた僕たちは、お互いにお礼を言った。
じゃあまたね、と言ってどちらからともなく手を挙げて
ハイタッチをするように手を握り合った。
そのまま連絡先を交換することなく、僕らは別れた。
なぜあの時連絡先を交換しなかったのか今でも分からない。
縁があれば会えると思っていて帰りのバスで会えたから、
また縁があればどこかで会えると思ったのかもしれない。
恋心はそのままに、僕は自宅に一人で帰ってきてしまった。
それからずっと、外出する時は麦わら帽子を被って出かけた。
映画やライブに行くときも、いつも麦わら帽子を被っていた。
彼女に見つけてほしかったからだ。
彼女は早稲田近辺に住んでることは聞いていた。
東京を歩いていれば、麦わら帽子をかぶっていれば、きっとまた彼女に会える。
京都にも何度か行った。
当然麦わら帽子を被って。
東京でも京都でも、彼女とは会えなかった。
秋になっても僕は麦わら帽子を被り続けた。
紅葉真っ盛りの京都にも、麦わら帽子を被って行った。
さすがに彼女と会うことは半分あきらめていたが、どうしても麦わら帽子は被っていたかった。
あきらめていながら夢は持ち続けていた。
紅葉の大原に行った。
初めて彼女を見かけた時以来の大原。
あの頃は木々の緑が美しかったけど、今は紅葉で真っ赤だ。
三千院の隣の実光院に入った時に、絵画のような紅葉の景色の中に
彼女がいた。
間違いなく彼女だった。
一人で歩いている。
でもあの時の彼女とは一つだけ違っていた。
麦わら帽子を被っていなかった。
当り前だ、紅葉の時期に麦わら帽子を被ってる人なんていない。
でも僕は、麦わら帽子を被っていた。
突然麦わら帽子を被っていることが恥ずかしくなった。
彼女に見透かされると思った。
ずっと今まで麦わら帽子を被り続けていいたことを、彼女に全部
知られてしまう。
あんなに会いたかった麦わらの彼女を前に、麦わら帽子を持って
僕はすくんでしまった。
隠す場所も捨てる場所もない。
麦わら帽子を持ったままの姿を、彼女に見つかるわけにはいかない。
僕は急いで三千院からバス停への坂道を駆け下りた。
バス停の待合小屋みたいな壁に、都合よく釘が刺さっていて、その釘に麦わら帽子を掛けた。
もう僕のではない、偶然誰かがそこに掛けた忘れ物の麦わら帽子。
その麦わら帽子が掛かったバス停で彼女を待った。
帰りのバス停はここしかないから必ず彼女はここに来るはず。
でも彼女は来なかった。
最終のバスが来ても、彼女は現れなかった。
麦わら帽子をバス停に残したまま、僕は最終バスに乗った。
紅葉が大嫌いになった。
あれから30年の間、結局彼女と会うことはなかった。
それからいくつかの恋をして、彼女のことを思い出すことも少なくなったそんなある日、車のラジオからマリーゴールドという曲が流れた。
初めて聞くその曲を、いい曲だなと思って聴いていると、麦わらの帽子のきみが、という歌詞が聞こえた。
えっ?麦わらの帽子?
マリーゴールドって何?
車を停めて急いで検索して、あらためてマリーゴールドを聴いた。
鮮明に大原の景色が心に浮かび上がった。
懐かしいと笑えたあの日の恋。
彼女は俺に恋をしてくれてたのかな。
分かれる時に握り合った手を、思い出したりしてくれたのかな。
大原で見かけてから東京駅で別れるまで、ずっと天使が見守っていてくれたような、そんな暖かい思い出を、雲のような優しさでそっとぎゅっと、
抱きしめて、離さない。
あれから僕は一度も麦わら帽子を被っていない。
麦わら帽子を被って京都の大原に行けば、必ず彼女と会えるはず。
決して試すことのないその「おまじない」を、
ずっと心に秘めて離さないでいたい。