自画自賛じゃなくて自画自”省”が大事
「自画自賛」ではないのでご注意。ちなみに「自画自省(じがじせい)」はコレ、自分で勝手に作った造語です。
内容的には、絵を作る人向けの話しに見えるかもしれない。でも、絵作りに関わらずこの思考サイクルは役に立つはずなのでデザイナーさん以外にも読んで頂きたい内容。
筆者はゲーム業界で絵作りのディレクションする仕事をしている。
要は、目の前にある絵が「いいのか?」「そうでないのか?」を判断する仕事。ずっと「イイネ!」って言って済めば楽なんだが…物事そんなうまく運ぶわけない。
前もって「イイネ!」状態に導いてあげる [指針作り] と「イイ?あ、デモナイネ…」って場面で「じゃあ、どうする?」[修正指示]を求められるのがディレクション。
「イイネ!」ばっかり言ってていいのはクレイジーケンバンドの横山 剣くらいなもんよ。
■自画自省が足りない人のパターン
今日の本題、自画自省のない絵が出来てしまうとどうなるか?
ディレクション側の人、ディレクションされる側の人、どっち側にも”あるある”ないくつかの事例をご紹介しようと思う。
●自分ではお手上げなのでとりあえず…
「自分で考えようね。」と思ってしまう人。
色々言い訳っぽいことを添えて絵を見せて来る人。
「何か引っかかってるんだけど意見貰えませんか?」って質問なら分かるし、一緒に考えたい。
盲目的に一旦できたこととして「チェックお願いします」って判断を人に委ねちゃうと良くない。このやり取りって結局、チェックする側、される側、双方にメリットが無い。
こういう出し方、思い当たる人は少なからずいるんじゃないかな?
富岡さんが言ってるほど大げさじゃないまでも…ある意味デザイナーとしての生死にかかわる問題だったりはするのよ。
煮え切らないものを出し続けたら信用も失って行くし成長もしない。
相談したり人の知恵を借りるのは大いに結構。でも最後は間違っててもいいから自力の自画自省を経て出して欲しいな。
●「やれることはやった」ではダメよ
「全然できてないじゃん。」って思ってしまう人。
決められた時間内にそれなりの手間をかけた。たっぷり時間をかけて絵の密度はあるし見て下さい。
それって実は単なる時間切れよね…
自画自省する気なし。ただがむしゃらに手を動かしただけ。これは一番やばいヤツ。
このパターンはディレクション側がかなり手を動かさなきゃならない。だったら最初から頼まないよ…
この人を医者に置きかえたら「手はつくしたのですが…残念です」って展開。手を出したんならちゃんと救ってあげて。
せめて何をやるべきか考えてから手を動かそう。で、結果を自分で評価しないと終わったって言えないはず。
●何となく分かってたくせに…
「実は何となくダメなの分かってたでしょう?」と疑ってしまう人。
なんか自信あるとこと無いとこの差が激しい。手が入ってるとこと入ってないとこの差が激しい…迷いがそのまま出ているよ。
分かる問題はしっかり濃い文字で、とりあえず埋めた自信のない問題はヒョロヒョロで薄い文字の答案用紙みたいな。
相談してくれたらアドバイスするし…まず、自画自省でちゃんと向き合って欲しい。
■美大受験のデッサンは画力じゃない
筆者は東京芸大デザイン科に入るために一浪した。
伸び悩んでいた一浪の冬、ちょうど今くらいだったかもしれない。
受験間近で「はっ!」となった記憶がある。
それまで認識すらしていなかった壁を自分で乗り越えた瞬間だった。
越えるまでは自分がそれまでぶつかっていた壁の存在すら分かっていなかったのに。一度越えたら見えるようになる不思議な壁。
その壁がどうも謎のバイアスだったようだ。
これは、この後に書く確証バイアスっていう厄介なもの。これを越えることに慣れたらもう壁は見えなくなる。
慣れるまでは、
「毎回こんなに気を使わなきゃいけないの?」「続くか?こんなの…」
って思ってしまうくらいの負荷がかかる。
でも慣れたら自分のものになるし意識は要らなくなる。
それまでは我慢。
鬼滅で言う全集中常駐みたいなものだ。
次に、デッサンを通してこの負荷が何かを書いてみる。
うまい人(常駐してる人)、うまくない人(悪い全集中してる人)を対比してご説明しよう。
●何回も離れてみる
うまい人とそうでない人の差は描くテクニックではない。
これを言うと「またまた〜」って言う人は多い。
でも事実なのです。
鉛筆と練りゴムだけで描くシンプルな石膏デッサン。振り返っても描くテクニックなんて便利なものは思いあたらない。
多少、陰の調子を出すのに手やティッシュで落ちつかせるとか練りゴムで描くみたいなものはある。でもカンが良ければ天然でもそれっぽくやってしまえる程度のもの。
実績として現役合格者が一定数出ていることがその証拠だろう。
・うまい人の特徴
一番分かりやすい差は、座っている時間。
うまい人ほど座っている時間が短い。ちょっと描いたら離れて確認。
その繰り返し。これがうまい人のルーチン。
自分の絵とモチーフを色んな角度から検証して、今まで入れた手とこれから入れる手に考えを巡らせる。
同時に制限時間の使い方も計画済みだから慌てる必要はない。
お尻も痛くなったりしない。
・うまくない人の特徴
うまくない人ほど座りっぱなしで、やたとら手を動かす。
なんか音だけ凄い。その一手が本当に意味ある一手なのか?
たぶん考えずに手を入れることで安心している盲目の状態。
制限時間いっぱい手を入れたらなんとかなると盲信して突き進む。
硬い箱椅子の場合、おしりも痛くなってくるはず。
●確証バイアスを跳ねのける
確証バイアスは認知バイアスの一種で、↑のように都合の良い解釈で目の前の状況判断を見誤ってしまう心理状態。
座りっぱなしでデッサンを続けられるのは、こういう心理に陥ってしまっているから。
やっぱり時間をかけて手を入れた自分の絵は可愛くなってしまう。
ここまで描いたのに消すなんて…って気持ちも分かる。
でも形が合わないまんま自分の絵を愛でていても一生デッサンは上達しない。
この確証バイアスと向き合う姿勢が、うまい人とそうでない人の分かれ道になる。
・うまい人の特徴
うまい人はあの手この手で客観視しようとする。
なるべく自分を信じないように。
絵をイーゼルから離して部屋の片隅に置く。
で、距離を離して絵を眺める。鏡を使って左右反転した絵を確認する。
しばらく自分の絵を伏せて見ないようにして目の新鮮さを取り戻す。
一服でもしてすべて忘れる。
このように、あの手この手使って
「細かいこと考えないで描いちゃいなよ」
「そんなことしてたら時間切れになっちゃうよ」
「多少の形の狂いなんて許容範囲だよ」
そんな悪魔のささやきに必死にあらがう。
・うまくない人の特徴
わざわざ説明するまでもなく↑を実践せず、悪魔のささやきに従ってしまう。
確証バイアスに支配されている状態。
これが、うまい人とそうでない人の差。
テクニックの話しじゃないのがお分かり頂けただろうか?
■自画自省無くして自画自賛はない
自画自省を繰り返して、どんだけ身内の欲目みたいなものを一生懸命振り払っても逆立ちしてみても誰が見たって絶対コレいいよね?
ってなってこそ初めて自画自賛に至れるんじゃなかろうか。
そもそも自画自賛できる人って、大丈夫?って思っちゃうとこあるけど。
自画自省を常日頃からやって、さらに他人の目で研磨されて、世の中から評価されてを繰り返して行くサイクルこそ作り手の成長だと思う。
そういう人こそ自画自賛することもないんだろうけど…
だからこそ安易に「これでイイヨねっ?」ってものを出し続ける人は、どこかで終わってしまうんじゃなかろうか。
~を経(へ)て、ずっと~を経(へ)続けるって、成長記録的な楽しさも物を作る楽しさの本質の1つかもしれない。
こうしてnoteに拙い文章を書いていることも根っこでは同じ気がしないでもない。
■余談だけど…
昔ダウンタウンさんの「ごっつええ感じ!!」(分からない世代も多いか…)
松本人志さん演じる”世界1位さん”(何の世界1位かは不明)が入院中の子供をお見舞いにやって来るってコントがあった。
メジャーの選手が入院中の子供を励ますために予告ホームランを打つ的なお話しのパロディー?
感覚的には、こういうことなんだけど分かるかな…
シュールなコントとはいえ、「経(へ)られる前に経(へ)ろ!」っていうのセリフは案外深い…