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キャリアのドアノブ

これから社会に出る人、悩める現役社会人にも効く"薬"のような文章。
内田樹さんの「内田樹の研究室」をご紹介。
筆者にとっては、何かモヤモヤした時に手を伸ばす常備薬的な存在。

今日は内田さんの文章のを拝借しつつ「職業」について考えてみる。

■キャリアのドア

内田さんの「仕事力について」より
記事は2012年…もうそんな昔の記事だったのか。そりゃ自分も歳とるわけだ…アーカイブ自体、1999年から続いてるってのもスゴい。

映像業界からゲーム業界に転職して数年、

「これで良かったんだろうか?」

という迷いが振り払えずにいた。やっぱりどこかに未練が残っていてモヤモヤしていた。

映像業界では、凄い監督さんとお仕事をご一緒させて頂いた。
今では世界的な映画監督になっている監督さん、その絵コンテや演出の仕事ぶりも近くで見ることができた。その後、自分も絵コンテマンとして作品に関わり演出的な仕事も経験したし、プライドのようなものがあったのかも。

当時の自分からするとゲーム業界で知った風なこという人に苛立ちを感じ…

「お前に演出の何が分かんだよ。このド素人が!」
(当時の僕の心の声)

とか一丁前にそんなこと思っちゃったり。

もちろん誰も悪くないし、独りよがりに苛立って…今考えると我ながら気持ち悪い。お前、何様だよって感じで、なんかホントに恥ずかしくなってきた…

そんな時に何を思ってか手に取った本、

●評価と贈与の経済学

https://amzn.to/357c4eC

という本を読んで内田樹さんを知った。

本はどちらかいうと岡田斗司夫さん目当てだったはず。本の内容や当時思ったことは残念ながらあまり覚えていない。noteがあれば良かったのに…

これをきっかけに内田さんのサイトを見るようになった。

そこで出会ったのが「仕事力について」という記事。
以下、一部抜粋。

「キャリアのドアにはドアノブがついていない」というのが僕の持論です。キャリアのドアは自分で開けるものではありません。向こうから開くのを待つものです。そして、ドアが開いたら、ためらわずそこの踏み込む。

「仕事力について」より

もちろん自分のバックボーンによって、ある程度絞り込む必要はあるだろう。家業を継ぐとか突然、街角でスカウトされるような場合以外は。

お仕事って職に就く時もキャリアが開く時も最終決定は求職者ではなく他者だ。だからここで言うキャリアのドアをガンガン叩いても開くかどうかは分からない。

●天職って何だ?

これから社会人になる学生さんや転職を考える社会人。
みんな考えるけど答えのない「天職」って何だろう問題。
僕は未だに自分にとっての天職が何かは分かっていないと思う。

内田さんはこうも言っている。

仕事というのは自分で選ぶものではなく、仕事の方から呼ばれるものだと僕は考えています。「天職」のことを英語では「コーリング(calling)」とか「ヴォケーション(vocation)」と言いますが、どちらも原義は「呼ばれること」です。

「仕事力について」より

また「仕事力について」より

この「呼ばれること」が大事なんだと思う。今のあなたの仕事はあなたの選択肢の中の一つだったかもしれない。他にも無数にある選択肢から自分で絞り込んだ選択の内で「呼ばれた」っこと。確率論的なことを抜きにしても単にそれは凄いことだと思う。

自身の評価は自分じゃなかなかできるものではない。
あなたの今の仕事はあなた自身の自己評価で決まったのではなく誰かがあなたを評価して「呼びたい」と思ってくれたから。
人や仕事があなたを「呼んでくれた」って考えてもいい。

それこそが「天職」なのかもしれない。
だから「天職」かどうかなんて悩むことではなく、もう”決め”の問題なのかもしれない。

この「仕事力について」に出会った瞬間にある意味、開眼した気がする。
それまでのモヤモヤはなくなり「呼ばれた」と思ったことに素直に答えて行くことが自分の「天職」と考えるようになった。

それ以来、映像だのゲームだの、自分の専門分野が何か。
気持ち的にやりたいの?やりたくないの?ってことに囚われにくくはなったかな?
いや、正直「いやだな~」って思うことくらいはある。

でも今は肩書きや業界なんか何でも良くて「呼ばれた」ならば、それに「答える」ことが自分の仕事だと思っている。

またまた引用だが「仕事力について」では

歯科医によると、世の中には「入れ歯が合う人」と「合わない人」がいるそうです。合う人は作ってもらった入れ歯が一発で合う。合わない人はいくら作り直しても合わない。別に口蓋の形状に違いがあるわけではありません。自分の本来の歯があった時の感覚が「自然」で、それと違う状態は全部「不自然」だから嫌だという人は、何度やっても合わない。それに対して「歯がなくなった」という現実を涼しく受け入れた人は「入れ歯」という新しい状況にも自然に適応できる。多少の違和感は許容範囲。あとは自分で工夫して合わせればいい。

「仕事力について」より

とある。納得。

昔の僕は、ここで言うずっと入れ歯を作り直している状態だった。
こればっかりは人の自由なんで天職を繰り返すのも止めはしない。でも人の人生、さらにキャリアの賞味期限はそれ程長くない。
ほどほどにしておきましょう。

■最後に~学ぶ力・3カ条~

最後に、働く人全員持っていて損はない3か条。
これまた内田先生を引用してのご紹介。

●その1・・・飢餓感を持つ

自分自身に対する不全感。自分が非力で、無知で、まだまだ多くのものが欠けている。だから、この欠如を埋めなくてはならないという飢餓感を持つこと。

●その2・・・メンターを見つける力

その欠如を埋めてくれる「メンター(先達)」を探し当てられる能力。メンターは身近な人でもいいし、外国人でも、故人でも、本や映画の中の人でもいい。生涯にわたる師でなく、ただある場所から別の場所に案内してくれるだけの「渡し守」のような人でもいい。自分を一歩先に連れて行ってくれる人はすべてたいせつなメンターです。

●その3・・・愛嬌

オープンマインド。人をして「教える気にさせる」力です。素直さと言ってもいいし、もっと平たく「愛嬌」と言ってもいい。

●まとめると…

(1)学びたいことがあります。(2)教えて下さい。(3)お願いします。

という文章になります。

1や2よりも何気に3の ”愛嬌” が一番難しいし、重要な気がする。
可愛がられる人って得だな~って思うけど、やっぱり最終的には "人柄" が問われる。
でも可愛がられるだけが愛嬌じゃないし、表現は人それぞれ。

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