千葉さんと私(米澤)の自己紹介


千葉 訓道さんのプロフィール

NHKの取材を受ける千葉さん 2021年@飯舘村

 東京で二十数年間単身赴任の生活を送っていた千葉さんはAED(自動体外式除細動器)を日本で普及させたヒューレット・パッカードという外資系の企業戦士だった。総務部門から溜まった有給休暇の消化指導を受けた千葉さんは、2011年3月11日、奥様の実家である福島市に戻っていた。この日は千葉さんの誕生日なのだ。まさに、バースデイケーキを買いにいくためお孫さんを抱き上げた瞬間 東日本大震災に被災する。定年までまだ少しの時間はあったが第二の人生は福島の復興と誓い会社を早期退職する。
 最初に飛び込だ先は、テレビのニュースで知った土湯温泉(福島市)の立て直しを進める加藤勝一さんだ。再エネにはまったくの門外漢であったが、加藤さんと千葉さんは名コンビとなり結果2015年に(温泉)地熱発電と小水力発電のふたつの民間発電所を立ち上げた。
 その後、会津喜多方の大和川酒造の九代目当主佐藤彌右衛門と出会う。彼からもっと可愛そうな村(放射能被災で6年間全村民が避難した村)を助けに行こうと誘われた。そして、2014年9月 飯舘電力は設立。村民の小林稔(現会長)を社長とし実務をこなす専務として今の飯舘電力を築き上げた人物である。

米澤 一造 自己紹介

NHK番組から切り抜き 飯舘電力(福島事務所)

 2019年2月 前職の富士通ソーシャルシサルサイエンスラボラトリ(現在は富士通株式会社)を退職を契機に飯舘電力にジョインする。前職時、社会課題の実践フィールドとして飯舘村とかかわりがあった。ある日、千葉さんとのご縁ができ現在にいたる。
 弊社は、社会課題を解決するソーシャルビジネスとし飯舘村から放射能被災の脅威や安全なエネルギーの必要性を発信している。しかし新型コロナウィルスの感染拡大によって視察はすべてキャンセルとなってしまった。その代替策としてバーチャル視察は誕生。北海道や九州といった遠地の方の参加や子供と一緒に参加などの広がりやコロナが落ち着いたら一度は現地を訪れてみようという呼び水になると期待している。
 実を言うと、千葉さんをはじめここまで時間を費やし試行錯誤を繰り返し完成した作品とライブの開催は自分の貴重な財産だと思う今日このごろです。
えっと、制作秘話がまとめりましたらお知らせします(^^)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?