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語る人・聞く人・話し込む事


序文

会話をする。

人とする。
自分と対話する。
何かに語りかける。
独り言を言う…。

違うように見えて結局の所、相手がいてこそ会話は成立する。

人と話すにしても、自らに語りかけるにしても、何かに語りかけるにしても、形は違えど全ては一緒だ。

会話をしている。
話をしているのである。

色々な会話と呼ばれる代物の種類…。

自問自答。

これも無論、会話の種類の一つなんじゃあなかろうか。

自らに問いかけ、言葉を組み立て答えを導き出す。

仕事においても、趣味においても、何をするにしても自問自答をする場面が誰にもあるはずだ。

これで良いのか…
もっと違う方法があるんじゃないか?…

悩ましいものでもあり、楽しい時間でもあるのかな。

自問自答…

何かを創作する上でも自らに問いかけ、答えを導き出す、いや作品を完成させると言った方が良いのか。

そう…

作品を作り出す工程においても自問自答は必要な事なのだと私は思う。

その自問自答の先に見える、そして聞こえる作品からの声…。

何を必要とし、何を削ぎ落とし、鈍角にしてほしいのか、はたまた目いっぱいに尖った鋭角にしてほしいのか…。

そんな訴えかけてくるような声に耳を澄まし、創作に向かう。

成る程、作品を世に問うかどうかは分からないが、声なき声を拾いあて、具現化することこそが会話をする事の醍醐味なのかもしれない。

よく、作品の、言葉のフィーリングが向こうから降ってきた、訴えかけてきたなんて聞く事があったりするけど、常にその事を意識し一生懸命に会話をしていた事によって、両者の対話が成立したことで「降ってきた」のではなかろうか。

そうやって考えると会話の結晶こそが優れた作品の本質なのかもしれない。

会話をする。
話をする。
語りかける。
話しかける。
話を聞く。
耳を傾ける…。

全てが大事なことだ。

そして人とも、自分とも、物とも、動物とも、巷に溢れる歌や色々な作品達、創作の声、内なる声、湧き上がる衝動やフィーリング、その全てと会話をし、話し込む事によって1つの大きな流れの全容が見えてくる…。

全ての会話の集合体をまとめる。

果てしないことなのかもしれない。


1冊の本がある。

全ての声を拾い上げ、話し込みじっくりと会話をした記録…

「ブルースと話し込む」

感想 ブルースその1


ブルースという大きな流れの中で様々な会話を記録し、ブルースに関わってきた人々はどのようにブルースと接してきたのか、心の奥底から湧き上がる感情や情景をどのようにして表現したのか、そして暮らしや行いとどのように関わり、自らと、時代と、時間と、そして人と話し込みブルースを紡いできたのか…。

1つの音楽のジャンルを、関わってきた方々の言葉を元に深く考察すると同時に人生において「話す・聞く」という事がいかに大切かを教えてくれる本だとも思っている。

BRUES…。

著者ポール・オリバーが1960年本国イギリスからブルースの原点、アメリカに渡り南部や北部を旅して回り、数々のブルースシンガーやまつわる人々にインタヴューを敢行し、数年の時を経てインタヴューが編集されて1965年に本は出版された。

本は1996年版を追加された箇所がある。

フィールド・トリップを行った1960年はブルースがフォーク・ソングとして脚光を浴び、世に広まっていた頃。

それは本国アメリカだけではなく、イギリスでもブルースは広まっていった。

ビートルズやローリング・ストーンズ、アニマルズやエリック・クラプトンにジミ・ヘンドリックスにレッド・ツェッぺリンなど後世に名を残すバンドやシンガー達のインスピレーションの基にもなっていくブルース。

そんな時代に収録された貴重な記録。

数々の有名・無名ブルースシンガー達…。

その生の声を拾い上げ、ブルースというものは一体何なのかを突き止めようと試みている。

インタヴューではマディ・ウオーターズやジョン・リー・フッカー、ライトニン・ホプキンスやリトル・ウォルターなど有名なシンガーにインタビューをされており、他にも世には出ていないがブルースを歌い、違う仕事で生業を立てているシンガー達の声も収録されている。

多種多様な方々…。

それだけにいかにブルースが心の奥底から湧き出る…、自らの深い部分から率直な思い、言葉を紡いでいるかがよく分かる。

そう、音楽と生活の歩みがリアルに繋がっているのだ。

プロのシンガーに、元シンガー、ストリートシンガーや、農夫やシェア・クロッパー(折半小作人)、材木場で働く者もいればホテルの守衛や盲目の方までたくさんの方々の生の声。

人の職業と人生に数あれば、多くの経験がある。

見て
聞いて
体を動かして
手足を操り
話し
聞いて
生涯を歩む。

日頃自らに起きている事…。

浮世の酸いも甘いもどうしようもない事も、悲喜こもごもな揺さぶりやぐらつきを、ブルースという媒介で絞り出すように空間に昇華させる。

よく言う十二小節で一回しの形式、ターンアラウンドを冒頭と最後に入れ、スリーコードでペンタトニックスケールを使う。

そして音階のブルーノートが感情を揺さぶる音になっている…。

(他にもあるとは思いますが、ご容赦を!)

音楽的な特徴はそうかもしれない。

そのうえで先人達が体内に蠢いていた「ブルース・フィーリング」を音楽に乗せてつま弾き、声帯を震わせてブルースを歌うという行為が技術や形式云々だけではない部分を本は訴えかけてくる。

インタビューは1960年。

インタビューに答えてくれた人々は1900年代初頭に生まれた方や前半に生まれた方など世代はバラバラだ。

1番若くて1930年代だったっけな。

ブルースが生まれたのは1900年代初頭位とも言われている。

ワークソングやフィールド・ハラーの発声に民衆に根付いていたバラードに教会霊歌、土着の流行り歌などが混ざり合い、ブルースの雛形は形成されていった。(多分)

そしてギブソン社のギター生産がブルースの普及を助けた面もあり、(ブルースをやるにはギターが持って来いだったから)ブルースは広まっていった。

広まった理由はそれだけではない。
そういった側面もあったという事で…。

インタビューの内容では歴史的な出来事を経験したからこそ語られている場面もある。

第一次世界大戦での移住で移り住むようになった。
世界大恐慌の危うい時は…
禁酒法の時分の密造酒を提供していた先で…

など。

教科書に出てくるような歴史的な出来事の真っただ中で、当時のリアルな空気感が語られる言葉に出てくる。

その激動の出来事の最中にどのようにブルースと向き合い、どのような場所で演奏してきたのか。

ブルースのあらゆる現場


荒っぽいような場所で、場末の酒場のような雰囲気の場所で…。

そのような場所でも人々の心情に訴えかかるようにしてブルースは聴く者の心をとらえていた。

安酒場や、飯盛り場、ピクニックに週末のパーティー会場、バレルハウスにジュークジョイントボックスのような場所で演奏者はプレイをしていた。

一つの場所で留まっているわけではなく、あちらこちらに出向きこれがブルースを広めていった一つだとも言われている。

そういった場ではブルースを好んで聴かれる。(色々ですが…)

労働で疲れた体と心にすっと入り込むようにその音は体の内側を捕らえていく。

本を読んでいるとそういう場での演奏場面が想像できるようなインタビューも伺える。

ギターで、ピアノでブルースやブギを刻み聴衆は一時の安らぎの時間を得る…。

そして、著者のブルースを巡る旅路でのインタビューは様々な場所で行われている。

ブルースの熟成地と言われる南部(ミシシッピやテキサス)から、北上してゆきシカゴからセントルイスの方まで…。

当たり前の事を書くかもしれないが、場所が変われば必然的にインタビューの内容も変わる。

ミシシッピでのインタビューの内容で多いのは農園の事や、小作人の生活内容など。

綿摘みをしながら、仲間達とフィールド・ハラ―などを歌い仕事に勤しんだり、小作人の苦労話や、南部田園地帯の田舎の週末には教会でブルースマンが歌っていた思い出話など。

そしてミシシッピ出身のマディ・ウオーターズのインタビューでは、子供の頃に自分でギターを作ってみたりなどしていたらしい。

決して上等なものではなかったそうだが、興味深い事に予測だがマディだけではなく、恐らく一般的に人々に楽器で演奏するという音楽行為が広く浸透していたんじゃないかと思われる。

クラークスデイル辺りのジュークや、土曜の晩のフィッシュ・フライ(フィッシュを揚げて売って、その後は朝までどんちゃん騒ぎ!)などでハーブを演奏したりしていたマディ。

こういった週末の民間でのイベントはパーティーや、農園でのダンスのイベントなど色々な場所で催されていた。

様々な場所で人々に歌われ、熟成されて味わいを醸してゆくブルースという音楽。

ミシシッピ辺りの小作人達などの生な苦労のインタビュー話は、当時の事を知る上でも誠に貴重な資料とも呼べる。

その暮らしぶりや人々の心情を本を通して原体験のように感じてみると…

どのように音楽が熟成されていっているのかが、本を通じて時の流れの香りと共に、心奥に深く沈み込んでくるのである…。

ブルースは様々な場所で演奏された。

医師という名の「先生」達が一座を組んで旅をして、街ごとに出し物をしてショウを催していた「メディシン・ショウ」(薬を買ってもらうための催し物)では、プロのブルース・シンガーや、ソング・スター(様々なジャンルを演奏するシンガー)達が雇われていたそうだ。

中々プロのミュージシャンの演奏などを目に、耳に見たり聴いたりする機会がなかった時代。

こういったショウは演奏家の演奏を間近で感じるチャンスの一つであったりしたらしい。

ストリングバンドやジャグ・バンドも同行して一緒に演奏をしていたそうだ。

こういった多くの演奏家達の活躍の場として劇場がある。

多くのシンガーや芸人達にも職を与えていた劇場主契約エージェンシー(シアター・オウナーズ・エージェンシー 略してTOBA)のような劇場や、ミンストレル・ショーに、そういった場で活躍していたブルース・シンガ―達(アイダ・コックスやマ・レイ二ーなど)が独立して自らの一座を率いたテント・ショーなどで演奏していた。

こういったエンターテイメントの世界に関わってきた方々のインタビューも掲載されており、管楽器などをバックに煌びやかなショウ・ビズの中でのブルースやジャズ・ブルースなどの回想やショー自体の回想もなされている。

アイダ・コックスやマ・レイ二ーなどクラシック・ブルース歌手と一緒に演奏した時の思い出や、夜通し演奏して…などインタビューの内容は当時の現場を見てきた人だからこそ話せる熱量のあるものだ。

ショーの種類によっては多種多様のエンターテイメントを求めらえるものや、ひたすらにやり続けなければならないなど難しい面や高度な技術を必要とする時もあった。

そのような劇場やショウ・ビズの舞台でブルースがエンターテイメントとしての土台を築きあげていく。

色々な劇場やショウで多くのショウ・マンと競うようにして技術を磨き上げ、それが人々を熱狂させる…。

生きていくために音楽という技術を磨き上げていかないといけない。

それは現代よりもひょっとしたら肉迫した事実だったのかもしれない。

今よりも通信機器や技術が発展していない時代。

通信動画やテレビが無い時代には、実際に目に見て耳に聴いて記憶をする、そして自らの技術にするという事が今よりも本能的に鋭敏だったのではなかろうかと思う節もある。

目で盗む、見て覚える、それがまさしく命がけだったのではなかろうかと。

たくさんの優れたピアニスト達の演奏を目の当たりにして、インスピレーションを受けて…

セントルイスのブッカー・T・劇場でのブルースコンテストでのことなど、楽しむように必死さが伝わるインタビューもこれまた貴重だ。

このようにエンターテイメントでの後に繋がるショウ・ビズ世界の原風景の一部を覗かせてもらえるようなインタビューも秀逸だと思う。

後にエレキ・ギターが登場し、シカゴでバンド演奏を軸とした「シカゴ・ブルース」が構築されるような、そこにいきつく脈々とした伝統の流れを感じさせてもらえるインタヴューの種類…。

個々にインタビューがされているように見えて、しっかりと点と線が繋がる内容になっていると自分では思っている。

シカゴ・ブルースはロックの雛型。

シカゴ関連のインタビューでは、マディ・ウオーターズのミシシッピから上京したての頃の話や(先輩ブルース・シンガーのビッグ・ビル・ブルーンジーに助けてもらった事など話している)、そのマディに目をかけてもらいショウ・ビズの世界に入ったリトル・ウォルターや、ジェイムズ・コットンのインタビューなども記載されている。

シカゴに流れているブルースの熱気みたいなものを感じるには、やはり当時を生きた人々の生の声は貴重だ。

マジック・サムが戻ってきて、マディ・ウオーターズやバディ・ガイがレギュラーで朝4時まで演奏している…

そんなクラブが当時には常在している、考えただけでも凄いことだ(*'ω'*)

シカゴに出てきた、もしくはシカゴで生まれ育ったものでも努力し、あらゆる場所で演奏をしてチャンスを得、先輩シンガーに世話をしてもらったりなど有名シンガーになる過程の話など、これもまた興味をグッとそそされる。

荒っぽい話や、仲間達との演奏にまつわる話、マディやバディ・ガイのことなどシカゴ・ブルースの証言みたいな側面もあり、熱量を帯びたフィールド・トリップがいかに構成を考え、苦心して作られたのかというのが伺える。

感想 ブル―スその2


一つの場所で留まらず、旅をするようにして(実際に旅をしたブルース・マンも)縦横無尽にあらゆる場所で演奏され伝統を築きあげていくブルースという音楽。

疲れた時、どうしようもない時、彼女にふられた時、面白くない時、お金を失った時などまんじりともならない思いを抱えた時にあのフィーリングが舞い降りてくる。

一つ言えるのはブルースは辛い・悲しい事だけを歌っているわけではない。

歓喜の瞬間もある。

ブルースはいい方向に考えさせてくれる。ブルースってのはあんたの感じ方であって、気分をよくしてくれるもんなのさ。

ブルースと話し込む 190ページより

インタビューではいかにブルースが自らの心、感じ方が大切なのかを教えてくれる。

ブルースと話す…。

それはいかに全身で、皮膚で、心で受け止めた世のあらゆる事象を感情で整理し、咀嚼し言葉として発し、あくまでも聴衆に聴かすのではなく気分を、生身の自分を表に出すということなのかもしれない。

生身に、白昼にさらけだした迫真ある自らをどう感じるかは聴衆次第。

一般に人っていうのは、歌われている曲をあくまで自分用に解釈して、歌っている奴の感情だとは思っていない。聴き手の人生のある部分を突いてきたなとかたぶん感じるのだろうけど、それは同時におれの、歌い手のうまくいってないところでもあるっていうわけなんだ。



ブルースと教会音楽、これはまったくの別ものですわ。もしある男が傷ついたと感じて教会系の歌を歌うとしたら神に助けを求めていることになりますね。これは全然別のことですが、ブルースを歌うということになると、だいたいはその本人の中から出てくるものでして、わかりますかね、その人間は誰かに助けを求めているわけじゃないってことです。誰かにしがみついているわけじゃなくて、感じていることを表現していることを表現しているだけなんです。



ブルースは心を組み立ててできるってわけじゃない。さあ、ブルースを歌おう、そう言うのなら感情を持って、体の中に何かがないといけない。それでこそそれを外へ出してくれることができる。




ブルースと話し込む 209ページ、210ページ、217ページより

いかにブルースが心の音楽なのかという事が伝わってくる。

自らの感情と向き合い、教会系の音楽とは違う一種の感情昇華をブルースは歌い人、そして聴く者の隣に寄り添ってきたかがよく分かる。

生活に根差した音楽…

そうなると尚更に感情の造形というのは大切だ。

そして誰しも複雑ではあると思う。

それに加えて色々な人生経験…

独特の言葉にならない多面性を帯びた感情というのは、歓喜の瞬間だけを知っていては中々表現できないもの。

それはひょっとしたらブルースだけに限ってではないのかもしれない。

あらゆる事で言えるのかも。

仕事でも、創作でも…。

光と陰を知ってこそ人の凄みは増すというもの。

そしてその表現はきっと人にとって親身に感じるのであろう。

本には実際にブルースの歌詞を書いている箇所もある。

朝起きて 目が覚めた ブルースがドアに立っておる
こんちくしょうめ
朝起きたら ブルース立ってるドアんとこ
言うことにゃ 〝一緒にいようと来たんだぜ、もうどこにも行きゃあせん〟
そんだから言い返し〝ブルース!〟 こう言ったんだ 〝ブルース、ほっといてくんねぇかい?〟
ほんとによう
言ったんだ〝お願ぇだから一人にしてくんろ〟
わしが生みゃれてからずっとだぜ おまえに追っかけらたまんまでよ


ブルースと話し込む 3ページより

本の序盤に出てくるマンス・リプスカムという方のお言葉。

ある意味ブルースは常に心の中に宿った感情とはまた違う「何か」なのかもしれない。

深い部分での何かとの対話…。

ブルースとは果たして何なのか、ブルーな世知辛い事を、やってらんねぇよという感情を深い部分でお酒や聴き手と共にくゆらせるものなのかもしれない。

気持ちを揺り動かされ、深い部分にあるブルース。

一方で…

B・Bキングはよく言っていた。「ブルースというと、すなわち悲しい歌だという人がいますが、それは間違いです。ハッピーなブルースはいくらでもあります。」と。

ブルース百歌一望  6ページより

そう、人生の悲喜こもごもを一手に引き受け、ジャズに西洋音楽にと携えて人々を魅了する素晴らしい音楽なのだ。

ブルースを人との対話、そして自らとの会話を介して接してみるとブルースというジャンルを通して、ブルースにまつわる事のみならず…
人との対話
自らとの会話
聞く事
見る事
感じる事
咀嚼する事
表現する事
その重要性に気付かされた気がする。

いかに自らの生活から生まれてきたものなのか、そして人々との交流により深いものになっていったのか、身近なものなのかがよく分かった。

本で得た感想と姿勢は何かを生み出す「創作」という面でも、そして日々の暮らしを営むうえでのヒントになるのかもしれない。

試行錯誤を繰り返し、向き合い、対話・会話をする事によって生まれた先人達の貴重なインタビュー…。

全ての本質は自己との対話、そして人との広意義語での❝CONVASATION❞なのだろう。

良い本への旅の時間を頂いた。

最後に…



最後にB・Bキングがその昔ショウのオープニングで弾いていた「Everyday I Have The Blues」を!!

宜しければご視聴下さい!

記事を最後まで読んで頂き誠にありがとうございます!













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