学振舐めプ体験記 ~業績無し、1日で書いた申請書が一次採用内定に至るまで~

はじめに

査読有り論文は無く、締め切り前日から執筆作業を始め、締め切り30分前にギリギリ提出した誤字まみれの学振DC2申請書。当然採用内定なんて期待できるはずもなく、結果通知日には「不採用Bか?Aなら嬉しい。Cも全然ある」と思う始末。採用内定、この4文字を見た瞬間、嬉しいなんて到底思えず、何故この申請書で倍率7倍を勝ち抜いたのか?と混乱が脳内を支配した。

今では混乱も多少落ち着き、学振特別研究員に選ばれた実感も湧いてきた。最低限の労力しかかけてないからこそ、採用に最低限必要な要素が少しずつ見えてきた。採用内定者には公開されない審査員の評定が開示請求から明らかになったので、不採用であったDC1の評定と比較して採用に至った要因の分析をしてみる。

とは言っても私は申請書を通した経験が少なく、良い申請書とは何か分からないことだらけである。でもこれだけは言わせてほしい。

提出しなさい。

まだ遅くない。出来ることをしよう。出来たはずのことが出来なかったとしても提出しよう。

「2月には申請書の準備は始めているものだよ」などというブログの意見、順調に申請書の執筆を進め校正作業に入っている周囲のライバルたち。そんな中、やらなきゃいけないと焦ってばかりで学振申請書の執筆作業が進まない人、そもそも手をつけてさえいない人も多いであろう。この記事はそんな貴方にささげるものである。


学振舐めプ体験記

DC1

それなりに時間をかけて作成、提出した。業績は全く無かったが、業績がなくても全然通りうる分野であったし、申請書を通した経験もあったので自信があった。研究対象も野心にあふれたもので、かつ進捗も順調であったため、研究計画にも手応えがあった。申請書の体裁にもこだわった。出来ることは全部やった。なので採用内定か、せめて不採用A(不採用者の中で上位20%)であろうと思っていた。

しかし現実は非情で、不採用。しかも不採用B(不採用者の中で上位20~50%)。自己評価との乖離を突きつけられ、絶望した。どうすれば採用内定を得られるか想像もつかなかった。特に次のDC2については、査読あり論文を間に合わせることは不可能であったため諦めの気持ちが強かった。

DC2での業績

良い修士論文を書けた。修士論文の内容をもとに論文(査読なし)を書いたし、複数回講演する機会をいただいた。ただ、査読あり論文を出版するには到底至らなかった。博士1年の中ではまずまずだと思ったが、DC2は博士1,2年合わせてでの審査のため、やはり苦しいと思っていた(今はあまりそう思っていない)。

DC2の申請書提出まで

申請書制作に全く着手出来ていなかった。焦りばかりが募り、精神的にも参っていって、時間ばかりが過ぎた。現実逃避でティアキンやっていた。

こんな有様であるため、事務チェックも指導教員チェックも当然受けることはなかった。引き伸ばし癖を最大限まで発揮し、気づいたら最終締め切りまで残り1日で申請書は真っ白であった。

締め切りまでは24時間もないわけで、友人に作業通話をつないでもらいつつ夜通しで作業した。正直記憶が欠落している。締め切りは朝9時であるが、ファイルの最終更新時間が8時31分であったため、相当切羽詰まっていたものと思われる。ネットの不具合などがあったらお終い。全くお勧めできない。

なお、締め切りギリギリまで誤字チェックをしていたが、日を置いてないため当然不十分であり、後で見返すと誤字や記法の不統一な点が複数ヶ所あった。ダメダメである。

申請書の戦略

なんとか申請書を用意しないといけないが、DC1のものをそのまま出してもなんの利益にもならない。しかし1から作る時間もない。なのでDC1の申請書をベースに、改良を試みることにした。時間のない中で、意識したことは以下の2点である。

  • 見た目の分かり易さより、文章の分かり易さを優先する。

申請書において一番大事なことは地の文章の論理展開の明快さであると考えた。講演の経験から、自身の研究についての理解度および説明能力が向上していたため、DC1の申請書での説明の中に不明瞭で必要性の薄い情報が混ざっているように感じることが出来た。その点について、より本質的な情報を提示することに努めた。その一方で、体裁の面は拘る必要性は薄いと決め打った。DC1の申請書にあった図も消して、ほぼほぼ文章のみ、強調も太字のみにした。これは来年の申請のための実験的な意味合いもあった。

  • 自己アピールの対象を研究者としての活動、スキルに一本化する。

業績の少ないDC1ではどうしても研究活動とは直接関係のないことから自身の長所を引っ張り出してきて研究者としてのアピールにこじつけることになりがちだと思う。それはしょうがないことではあるが、講演歴、論文執筆、研究者との討論など研究活動で埋めるのが一番である。(少しずれた内容での)受賞歴を消してまでして、アピール内容を研究活動に一本化した。

つまり、どちらの面も私にとっては搦め手を使わずシンプルにやってみようということである。無骨な申請書でどのような評価になるかを見て来年の申請に備えよう、という気持ちであった。

結果的にはDC1の申請書から変えたところは4割程度であった。変更しなかったところは、「今後研究者として更なる発展のために必要と考えている要素」「目指す研究者像等」。研究の位置づけも8割は変えていない(ただ、これは残り2割で大きく良化したと思う)。

結果発表

何も期待しておらず、現実を突きつけられるのは嫌だなという気持ちしかなかった。審査結果の表示のボタンを押す前も「不採用A,B,C、どのアルファベットかな」という気持ちしかなかった。なので、審査結果の画面にAでもBでもCでもない結果が載っていて非常にびっくりした。喜びというよりはショックに近かった。採用内定の文字を見たあと、1時間は屋外のベンチで憔悴していた。多分、知らない人が見たら不採用だったのだなと思うであろう姿だった。一応、人様に報告するときはネガティブな気持ちを抑えて報告をしたが、喜ぶにはまだ状況を消化しきれていなかった。

数日たって大学から採用内定者への事務連絡が来て、ようやく採用を実感し喜びへと変わっていった。来年は申請書を出さないでいいんだとも思った。ただ、良い申請書とは何かという問の答えが自分の中で全く分からなくなってしまい「申請書イップス」に苦しむかもなと感じた。だから審査員評定を開示請求することで、どこが評価されたか確認した。

申請書の評定

研究計画の着想およびオリジナリティ(絶対評価)、申請書から推量される研究者としての資質(絶対評価)をもとに総合評価(相対評価)によって評点がつけられる。総合評価は5点、4点、3点、2点、1点が1:1:1:4:3の割合でつけられる(この割合は数年前までは1:2:4:2:1であった。数年前に比べて今の評点の付け方は上位20%~90%の中間層が1点落とす形になっており厳しくなっている)。審査員6人の評定の平均点が開示される。

DC1の評定

  • 審査結果 不採用B(不採用者の上位20~50%)

  • 研究計画 2.83

  • 資質   2.67

  • 総合評価 2.67

DC2の評定

  • 審査結果 一次採用内定

  • 研究計画 3.67

  • 資質   3.50

  • 総合評価 3.83

開示を見ての雑感

開示を見て、まず総合評価が高いと思った。平均が 3.83 と 4 に近いスコアが出ていたのはびっくりした。6人の評定の分布として考えられるのは 4,4,4,4,4,3 や 5,4,4,4,3,3 や 5,5,4,4,3,2 であり、少なくとも6人中4人が上位20%と評価したことになる。おそらく一次ボーダーラインよりは高い、少し余裕のあるスコアであろう。

内容を見ると、研究計画と資質、共に向上している。これは上記に挙げた「見た目の分かり易さより文章の分かり易さを優先する」「自己アピールの対象を研究者としての活動、スキルに一本化する」戦略を評価していただけたと認識している。(分野によるかもしれないが)体裁よりはまずは文章や論理展開、研究の面白さなんだろうと感じた。DC1から 6 割据え置きの研究計画書でも説明さえしっかりしていれば研究計画が 1 近く伸びるのだなと感じた。でも誤字は反省している。これで減点されていたらつまらなすぎる。

あと、絶対評価が1弱だけ高くなるだけで評価がガラリと良化したと感じた。DC1では上位50%程度だったものが、DC2では(少なくとも)上位15%に入っていることになる。よって申請者の評点は団子状態になっているのであろうと推察される。

最後に言いたいこと

学振の審査において、どのような審査員に当たるか、各審査員がどのような評点をつけるかは時の運の要素も強いと思える。ならば、出してみないと評価なんて分からないといえるであろう。評価は運ゲーの側面も強いが、出すか出さないかのみは申請者が制御できる。だから私は「提出しなさい」とはじめに言ったのである。

申請書作成中は精神的に辛いことも多いであろうが、今からでも採用可能性のある申請書は十分に用意できる。こんな舐めくさった体験記など鼻で笑ってもらって、気負わず適度に頑張ってほしい。

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