ミッドサマー/ディレクターズカット版(ネタバレ考察)
私はこの作品に【へレディタリー】と同じ血が流れているように感じた。
まずこの映画を観て感じた疑問と、その疑問に関する考察を挙げてみる。
疑問① 90年に一度の祝祭
90年に一度…さらに彼らが72歳で必ず自死するという事は、1回の祝祭に "ホルガ" の住人全員が初参加という事になる。果たしてこの祝祭は何年前から続いていて、今年で何度目なのか?毎回出席者が一新される祝祭がそんなに長く続くとは思えない。
考察
住人全ての年齢が、実は100〜200歳を優に越えている?
疑問② 崖から飛び降りた2人の老人
"アッテストゥパン" と呼ばれるこの儀式で命を絶った2人の老人…パックリと割れた体から流れ出る血液の量が異様なほど少なかったと感じたのは自分だけだろうか?まるで初めから体内に血液など流れていなかったかのように…
考察
住人は人間ではない?異星人…もしくは【へレディタリー】同様、悪魔か?
【ディレクターズカット版】を観て改めて思うが、②に関して、やっぱり異常なほど血の量が少なくはないだろうか!?医学的なことは解らないが、人間の血液の量というのは歳を重ねるにつれ、あれほどまで減るものなのだろうか?
ただ今回、疑問部分にさらなる追疑問…というか、もしかしたら設定が破綻してるのかもしれないと思わせる部分が出てきたのはそこではなく、72歳で自死する儀式 "アッテストゥパン" そのものに関して…
話の流れから、てっきり90年に一度の祝祭の日にだけ行われる儀式なのかと思っていたが、クリスチャンが投げかけたマヤへの質問の答えで、それが違うと判明。
クリスチャン「君はあの儀式を何回ぐらい見たの?(うろ覚え)」
マヤ「その年齢に到達した人は必ず行う儀式だから、もう何回も見てきたわ(うろ覚え)」
正直言うと自分の求める答えは…「初めてよ。当たり前じゃない。だって90年に一度なのよ」…だったのだが、完全に意表を突かれた。
そうなると "アッテストゥパン" に関してだけは、祝祭に関係なく年一とかのペースで行われている全く別の独立した儀式で、90年に一度の祝祭の日だけはそれを合同で行う…という事なのだろうか?
正直「それは違う!」とハッキリ否定できる要素はない。ただ、本当にそれでいいのか?まあ違和感しかない(笑)
ただ実はその違和感だらけの設定の穴を、ある一つの設定を追加するだけで埋めることができる。ただそれはあくまで、考察②が真実である事がまず大前提となるのだが、それを踏まえた上で結論から言うと…
※総合考察
彼らにとっての1年が、人間の90年に相当する…
つまり人間界での90年という周期に、彼らは1つ歳をとる…そう考えれば、彼らにとって祝祭は太古の昔から年に一度開催されていて、その中の一つの儀式として "アッテストゥパン" が行われるのもごく自然に思える。
ちなみにその場合、彼らの周期でいう72歳を人間の年齢に当てはめると、6480歳という事になる。
ただそれには考察②が絶対条件になるのだが、逆に考えれば、この事が考察②を裏付ける証拠にもなる…とも言える。そしてそうなると "ホルガ" の住人の容姿に関してだが…
彼らの姿が最後まで人間に見えていたのは、実は "ホルガ" にたどり着く前に食べた幻覚作用のあるキノコや集落で食べる食事、吸わされる煙に原因があるのか?終始楽園のように見えていたあの場所も…さらにいえば「白夜」そのものも全て幻覚の可能性もありうる。
時おりたかるハエは、幻覚作用が少しずつ薄れてきた証なのかもしれない。そう考えると、実際のあの場所がどんな地獄絵図なのか…想像しただけでゾッとする。
実際この祝祭で行われる儀式の一つ一つが、どこか人間の "祭り" を模した別の何か…という印象を受けるし、別の見方をすれば、その "祭り" の起源という印象も受ける。そこに "生贄" というシステムが加われば、それが悪魔の儀式である事の証明のようにも思える。
さらにクライマックス付近で行われるクリスチャンと住人マヤとの性交の儀式の場にいるのが13人の女性…13という数字が666同様に「悪魔の数字」と呼ばれている点でも符合する。
もしあの場に山羊の頭を持ったバフォメットさえいれば、思わず笑ってしまうようなあの場面がまさに悪魔の儀式そのものに変貌するのだが、それはいなかった。(その代わりオープニングに登場するタペストリーには、熊と並んで山羊も描かれている)いや、いなかったのではなく、実際には幻覚によって人間の姿に見えていたのかもしれない。
ただ見えている全ての人間が幻覚なのかといえば、住人の何人かが「この祝祭は90年に一度」と口にしている事を考えると、住人の中にはダニーたちのような人間の生贄…外の血を連れてくるための遣いとなる悪魔崇拝者である人間も、ペレを含め数人含まれている可能性もあるし、さらに、彼らが人間を装うための定型文と化した文句なのかもしれない。
【へレディタリー】同様、「悪魔崇拝」というあくまで人間が行う儀式程度のものではなく、悪魔そのものが行う祝祭(生贄の儀式)という印象を強く感じるし、魔術や予言で使用される "ルーン文字" が描かれた石版の存在も、90年に一度悪魔をこの地に呼び寄せるためのツールのように感じた。
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