どんなにいい車に乗ってても、その行動が台無しにする事もあるんだよ。
先日、コンビニに停まったレクサス。
漆黒でピカピカに磨かれていて、思わず目で追ってしまった。
(※イメージぴったりの素敵なお写真、お借りします)
ボディーに映り込む景色、傷ひとつない感じ。
タイヤの溝もしっかりしている。ホイールも綺麗。新車かな?
フロントガラス越しにスーツ姿の中年男性が見えた。
車が好きなのかな?これから大切に乗っていくんだろうなぁ…と、ぼんやり考えながら通り過ぎようとしたとき、少しだけドアが開いた。
そして見てしまった。
その男性がごみの詰まったコンビニ袋を、隙間からポイ捨てするところを。
そしてそのまま、走り去っていった。駐車場に残された、真っ白な袋。
・・・うわぁ、残念。それまでの印象が一転する瞬間だ。
紳士的に見えていた中年男性は、此処で”単なるマナーの悪いおっさん”に変わる。折角いい車に乗っているのに、レクサスのイメージが悪くなるような事しよってからに・・・!
自転車を脇に停め、その袋を拾ってコンビニのごみ箱に入れた。
たった10メートルくらいだ。それを捨てに歩く時間すらないというのなら、そのお綺麗なレクサスの中にもう少し置いといて、自宅で捨てればいいものを。
どんなにいい車、靴、スーツ、時計、etc...で身を固めようとも、纏う本人の中身がこれじゃぁ、色々とお察ししてしまう。所詮は鍍金でしかないという事だから。
【良いモノ】を揃えることで自分のステータスが上がっていると勘違いしている人は、意外に多いと思う。(というかよく遭遇する)
それらを自慢しながら迫ってこられても、私の中でそういうのは全くステータスとはならない。良いモノは良いモノ。あなたはあなた。
本当に伴っている人は、普段からのふるまいにも自然と滲む。そういう御方を見ると、男性でも女性でも「素敵な人だなぁ」と思う。似合っていると思うし、何より持たれたモノが幸せだろうなぁと思う。だからこそこういうシーンを見ると、レクサスが可哀想に感じてしまう。
話は変わるけれど・・・
よく知らない人の自然体を感じ取るには、食事に行くのが手っ取り早い。
美しい所作とかテーブルマナーとかそういう点ではなく、店の人間に対する態度を見れば大体想像できるからだ。それが高級店であっても、定食屋であっても、ラーメン屋であってもだ。
好意のある相手に気を使ったり優しくしたりしてくるのは、ある意味あたりまえであって、幾らでも装えるものだから参考にはならない。
見るべきは”全く知らない相手(店の人間)にどう振舞うのか”なのだ。
人としてのあれこれができている人なら、良いモノを纏っていなくても自然に素敵だと思う気持ちが芽生える。そういう人間との付き合いは楽しいし、得るものが多いし、長い縁になる。
話は戻って、レクサス。
別に、コンビニで少し見かけただけの相手に何の縁もないわけだけど…
その関係ない私に、”あのおっさんは色々と小さくてツマンナイ男だろうなぁ…絶対一緒に食事したくないタイプ"とか想像されてしまっているのです笑
実際の彼がどういう人間か知らないし、何の関係も無いけれど。
ちなみに友人のレクサス乗りは、とても良い人たちです。
だからこそ余計に、強めのがっかりを感じてしまったのかも知れませんが…(; ・`д・´)何の車にせよ、ポイ捨てはダメよ。
というお話でした。