やめとけ20代の早期退職FIRE生活の失敗とやりたいことがないその後
20代で富裕層になった。
サラリーマンを早々に辞め、やりたいことを仕事にした結果、人生は充実し、20代で資産も富裕層のカテゴリーまでになりました。
ただ、ある時から「働かない生活」となり、日に日に幸福度が下がっていきました。
今回は「やめとけ」と言われる「FIRE生活のその後の末路」の話。
働かなくなった自由な生活がもたらした成功と失敗、SNSでは言えない裏と表の経験談を赤裸々にまとめていきます。
▼ 前回のnote
■ 自由な生活を実現する戦略
サラリーマン時代は「苦痛ばかり」の働き方でした。毎朝5時に起床、車で駅へ行き、田舎にもかかわらず満員電車に詰められ、往復3時間弱かけて通勤していました。
業務後も上司との飲み会や社内接待をするのが当然で、週末も取引先とのゴルフや接待、資格試験の勉強に追われていました。「やりたくないこと」に時間を費やす毎日にストレスを感じ、この状況を無駄だと感じるようになりました。
この状況を打破するためには、自分が進化しなければなりません。
フリードリヒ・ニーチェが『ツァラトゥストラはこう語った』で『超人』の概念を提したように、普通の人間感を克服し、自らの価値を創造し、自己を超越しなければこの状況を抜け出せないと感じるようになりました。
「超人」になるべく、自分自身を限界を超え、より高い存在へと進化する必要がありました。
転機は、サラリーマンを辞めて「やりたいこと」を仕事にする道を選んだことです。当時、仕事を辞める前は、「やめとけ」と多くの人から忠告されました。むしろ、否定的な声しかありませんでしたが、何も気になりませんでした。フリーランスとして独立し、サイドFIREを実践しながら、得意なことを徹底的に伸ばす一方で、苦手なことは極力行わない「苦痛をなくす」戦略を取りました。
必須の業務でも、事務作業や確定申告などは得意な人に委託し、決算処理は税理士に任せるなど、効率化を図りました。
この「苦痛をなくす」選択により、自分の好きな仕事に集中でき、生産性が向上しました。限りある人生の貴重な時間を「やりたいこと」に使うことで、のびのびと仕事ができた結果、仕事も資産も順調に成長しました。
20代のうちに富裕層の域に入り、普通に暮らせば一生働かなくてもよいくらいの資産を築きました。
■ 人生は短いからこそやりたいことをする
紀元前1世紀、古代ローマの哲学者セネカは『人生の短さについて』で「人生は短いのではない。私たちがそれを短くしているのだ」と述べています。この洞察は、2000年以上経った今でも色あせていません。
限りある人生だからこそ、時間を無駄にせず、自分が価値あると思うことに集中すべきです。他人に時間を奪われないよう、自分の人生を自分でコントロールするセネカの教えです。
「やりたくないこと」「苦痛なこと」をしないことで、確かに人生は有意義になります。ただ、この考えを突き詰めると、思わぬ落とし穴に陥る可能性があります。
成長の機会を逃すリスクがあるのです。これが、自由な生活を送る上での重要な分岐点となりました。
■ 苦痛のない生活は「楽」を選ぶ
「苦痛のない」選択を追求した結果、徐々に「楽」な方向へ流れていきました。
自分がやりたい仕事ができ、資産も伸びていく状態は理想的なカタチでした、ただ、ストレスがない生活を選ぶうちに、働くことそのもの疑問を持つようになりました。これが、自由な生活がもたらした予想外の結果でした。
行き過ぎた効率化は、皮肉にも怠惰へとつながりました。「もっと楽にならないか」「もっと苦痛を除去できないか」と、あらゆるものを排除しようとしたのです。
例えば、取引先とのやりとりのメールを返信するのも億劫になったり、人に会ってコミュニケーションを取るのも面倒になったり、新しいことを始めることすら無駄なのではと感じるようになってしまいました。最終的には、働くこと自体が苦痛になったのです。
苦痛のない生活を追求した末に待っていたのは、「退屈」でした。食べて寝るだけの完全なリタイア生活状態です。一見、理想的に思える自由な働き方が、実は落とし穴だったのです。
■ より本質的な問いとの葛藤
苦痛のない生活は「バーンアウト状態」をもたらしました。仕事の大切さは理解しているのに、働く意欲が失われてしまったのです。
この状態に至った最大の要因は、「資産が増えたことで反骨心がなくなった」ことでした。
『人間は乗り越えられるべき何かである』とニーチェが言ったものの、経済的な余裕ができたことで、その「乗り越える」意欲を失ってしまったのです。「超人」になるにはほど遠い状態となりました。
FIRE生活の典型的な落とし穴である「社会からの疎外感」「目標の喪失」「孤独」などは、ある程度想定内でした。だからこそ、サイドFIREとして仕事を残しつつ、やりたいことをする生活を選んでいたのです。
ただ想定外だったのは、より本質的な疑問に悩まされることでした。「今あるモノで満足できるのに何を生み出す必要があるのか」「資産があるのになぜ働く必要があるのか」「本当に自分がやる必要があるのか」と、反骨心がなくなり、これらの問いに答えられない日々が続きました。
要するに、「もう働かなくても一生生きていける状態」になってしまったがために、「全てのことにやる意味を見失ってしまった」のです。「やりたいことがない」と思える状態になってしまいました。
例えるなら、空腹が満たされた後は何も食べたくないと思う感覚に似ています。ドーパミンが満たされてしまえば、新たな刺激を求める意欲が失われてしまうのです。
「やりたいこともなくなった」「もう働かなくていいかな」と思った瞬間から、働けなくなりました。自由な生活は、ある程度の満足感を味わってしまえば、幸福にも不幸にもなり得る両刃の剣だったのです。
■ 働かない生活の末路は食べて寝るだけ
全てのことにやる気が起きない「食べて寝るだけの生活」は、思いのほか無意味でした。
極端に言えば、寿命が尽きるまで毎日を同じように過ごすだけの感覚です。これが本当の幸福なのか、大いに疑問を感じるようになりました。
ここ数年、僕の生活は極めてシンプルでした。好きな時間に起き、少しだけ仕事をし、食事をとり、散歩し、読書し、そして眠る。理想的に思えるこの平穏な日々は、毎日続けると退屈です。
変化のない毎日から逃れようと、月に一度は海外旅行に出かけました。しかし、下調べもろくにしない表面的な観光と、観光客として接待されている感覚になる浅い人間関係は、むしろ空虚さを深めるだけでした。
確かに、働くことを辞め、自由な生活を送ることは、体を休める上で重要です。しかし、それが永遠に続くとなると、生きる喜びを感じられなくなってしまうものでした。
■ 人生は苦痛と退屈の振り子
アルトゥル・ショーペンハウアーは主著『意志と表象としての世界』で、人生を苦痛と退屈の間を揺れ動く振り子に例えています。
「苦痛」を取り除くと「退屈」が生じ、「退屈」を避けようとすると新たな「苦痛」に直面する。これが人生の宿命だというのです。
僕自身、この思考を身をもって体験しました。まさに、20代で自由な生活となり、苦痛のない日々を手に入れたはずでしたが、その先に待っていたのは退屈でした。
ショーペンハウアーは、この退屈を克服する方法として「労作」を提案しています。『意味のある仕事や創造的な活動』に没頭することで、退屈を乗り越えられるというのです。
僕にとって、このnoteを書くことはまさに「労作」に向けての実践です。大衆受けを狙うのではなく、限られた人にしか伝わらない、このニッチな情報を赤裸々に届けることに意義があると考えています。
結局のところ、人生の充実感は苦痛と退屈のバランスを上手く取ることにあります。適度な挑戦と、それを乗り越える喜びが重要です。そのサイクルを繰り返すことで、真の充実感が得られるのです。
セネカがいう自らの人生を短くさせず、ニーチェがいう「超人」を目指して、ショーペンハウアーのいう「労作」を創造する活動をする生き方を体現します。
だからこそ、noteへ今の想いを赤裸々にまとめながら、また新しいことを始める準備をしています。応援してください。
▼ 初回のnote