
1993年のオーストリア・モーツァルト №31〈ザルツカンマ―グート №4〉
1993年7月、転職のはざまに2週間の自由(失業)期間ができて、これはチャンス。リュックを背負ったエコノミーな個人旅行で、憧れのオーストリアへ行きました。
今年はちょうど30周年、当時はスマホはもちろんなく、携帯電話すら一般にはまだ普及していなかった時代。世の中随分変わりましたね。
旅行中の日記がこの『旅日記』の元ネタです。写真も交えて旅のあれこれを思い返しながらつづっていきます。そんな、よしなしごとにお付き合いいただければ幸いです。
ザルツカンマ―グート♪ №4(ルエクの散策と夕食)
1993(平成5)年7月16日(金)夕方
広い湖。しばらくベンチでボケッ。案内書にある、ルエクの集落をめざして岸伝いに歩いていった。フランツ・ヨゼフ皇帝の名を戴く遊歩道を行った。(※1)

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ザンクト・ギルゲンから歩いてルエクの街へ行きました
湖畔の素晴らしい景色に癒されました
ここは湖畔の避暑地だ。しずかな環境の中にいくつもの別荘が並んでいた。引き返してブラブラして、入りやすそうなカフェレストランを見つけてそこで夕食をとった。(※2)

すてきなウェートレスに夕食の注文をした時の伝票
サラダ、スープ、メイン、飲みもの、デザート しめて169シリング
チップも渡しました ニッコリ

ウォルフガンク湖の観光周遊船
あしたはこれに乗ってザンクト・ウォルフガンクの街へ行こう
現地はまだ16日ですがカメラの日付は日本時間の17日に替わりました

ルエク集落のベンチでのんびり、まったりしている夫婦連れがいました

ウォルフガンク湖の白鳥の夫婦
こちらに気づいていますが近づいても逃げません
仲がいいようすでした
さっき、ポスターで見たが、8時半からブラスの演奏会があるらしいので野外会場へ行った。やがてバンドの音が聞こえてきて、それがだんだん大きくなる。(※3)

しずかな湖畔の風景でした

山側の景色ものどかでいい感じでした

フランツ・ヨゼフ皇帝遊歩道がいぃ―い感じでした
むこうから行進がやって来た!広場に整列した一行はシンバルのジャーーーンでその行進を終わり、観客の盛んな拍手に迎えられてステージへ上がった。(※4)

ウォルフガンク湖畔の何げないけど癒される景色

フランツ・ヨゼフ皇帝遊歩道沿いの素敵なお家でした

――つづく――
※1 景色を見ながら、何とも言いようがない気持ちのよさを感じながら歩きました。国民に愛された皇帝フランツ・ヨゼフ1世とはどんな人だったのでしょうか。
フランツ・ヨーゼフ1世(ドイツ語: Franz Joseph I.、1830年8月18日 - 1916年11月21日)は、オーストリア皇帝(在位:1848年 - 1916年)。ハンガリー国王などを兼ねた。
68年に及ぶ長い在位と、国民からの絶大な敬愛から、オーストリア帝国(オーストリア=ハンガリー帝国)の「国父」とも称された。晩年は「不死鳥」とも呼ばれ、オーストリアの象徴的存在でもあった。皇后は美貌で知られるエリーザベトである。後継者となった最後の皇帝カール1世は統治期間が2年に満たなかったため、しばしばオーストリア帝国の実質的な「最後の」皇帝と呼ばれる。
※2 レストランの屋外に設えてあったテラスでゆったり夕食を摂りました。二十歳ぐらいの素敵なウェートレスの女性に注文を告げて、こころをこめてチップも差し上げました。
※3 もう夜の8時ごろなのにまだ昼間のような明るさです。屋内にいるのはもったいない。観光客も、たぶん地元の方も会場周辺に集まってにぎわっていました。
※4 土地ごとに自慢のブラスバンドチームがあって練習をかさね、シーズンにはステージ衣装を着て毎晩のようにコンサートをするのです。いいですね。すこし離れた場所から演奏しながら行進してきて、会場に到着してコンサートが始まるスタイルです。
※現在も活動を続けている、ユング・ザンクト・マリエン楽友協会 (jstm.at)
聖マリエン楽友協会(MV JSTM)は、1966年に聖マリエン楽友協会の青年バンドとして設立されました。
ヨーロッパ(ドイツ、イギリス、フィンランド、オランダ、イタリア、クロアチア、スウェーデン、チェコ共和国、ハンガリー)での数多くのコンサートツアーで、多くの友情とパートナーシップが築かれました。
※標題画像は、湖畔の街ハルシュタットです。
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