1993年のオーストリア・モーツァルト №25〈ザルツブルク №17〉
1993年7月、転職のはざまに2週間の自由(失業)期間ができて、これはチャンス。リュックを背負ったエコノミーな個人旅行で、憧れのオーストリアへ行きました。
今年はちょうど30周年、当時はスマホはもちろんなく、携帯電話すら一般にはまだ普及していなかった時代。世の中随分変わりましたね。
旅行中の日記がこの『旅日記』の元ネタです。写真も交えて旅のあれこれを思い返しながらつづっていきます。そんな、よしなしごとにお付き合いいただければ幸いです。
ザルツブルク♪ №17(ノンベルク修道院を訪れる)
1993(平成5)年7月15日(木)午後
近くのカフェで昼食を食べて、両替しようとマカルト広場の銀行にはいるとパスポートがないと無理と断られた。ホテルの金庫に置いてきたのだ。けちな銀行に用はない。昨日の銀行へ行くとしよう。(※1)
そのシュペングラー銀行へいったら2時まで昼休みだったので、「カフェ・バザール」でひと休みしてモーツァルト・ケーキをミルクで食べた。ケーキにまでモーちゃんの名が付いている。商売々々。(※2)
この銀行はよい。僕の顔をおぼえていた係の男性が会釈してくれた。(※3)
今度はノンベルク尼僧院を目指して橋をわたった。小道と石の階段をたどって行った。ここはよい。小高い場所にあるので眺めもいいし静かだ。サウンド・オブ・ミュージックのマリアはここにいたのだった。(※4)
トランプ家の子供たちがマリアに会いたくてここまで訪ねてきたのだった。しかし、雨も止まず足も痛かったのでホテルへ戻った。(※5)
――つづく――
※1 細かく両替すると、手数料の分だけ交換率が下がるのですが、安全上現金をなるべく持ち歩きたくないので仕方ありません。
※2 モーツァルトのことを、親しみを込めて「モーちゃん」と呼んでいます。ザルツブルクは、モーツァルトの生誕地で名高い街。観光地ですから、モーツァルト・チョコレートをはじめとしてキャラクターグッズ的なお土産の商品や、その名を冠した店や菓子なども数えきれません。
※3 このような対応は、旅にある身にとっては嬉しく、また琴線にも触れることです。
※4 お城のある「メンヒスブルク」の丘の東の端の小高い場所に修道院はあります。ここは女子修道院なので、尼僧院とも呼びます。映画では、トランプ大佐への恋慕の情と、神に仕える自らの立場の間で悩みを抱えたマリアが、トランプ家を去って修道院に戻っていました。
※5 映画では、マリアを慕う子供たちが訪ねて来る感動の場面です。さあ、ホテルへいったん戻ってこのあと教会コンサートの予定です。
※標題画像は、モーツァルト生家の看板です。