連載小説『ヰタ・セクスアリス・セーネム』一章 グラビアアイドル(五)
友人や知人の話で骨折のことをよく聞く。やれ指だ、肘だ、腕だ、脚だ。
とっさのとき機敏に反応できないからだろう。若いころならなんなく避けられた災厄。それが今となっては避けがたい魔物のようにまとわりつくことがある。我々世代にありがちなことだ。思うほどにはからだがついてこない。
骨折部位や本人の骨密度によっては、へたをすればそのまま寝たきりになったって不思議じゃない。そんな不幸は願い下げだ。話を聞くたびに、気をつけようと思っていたのに。つい油断をしてしまった。歯がゆい、情けない話だ。と、順平はうなった。
でも、起こったことは帳消しにはならない。受け入れて、治療にはげまなければと、肩から吊るした三角巾を見ながら思った。
医院の先生から一番近い整形外科の病院を紹介してもらって翌日そこへ和美と一緒に行った。副院長でもある順平の主治医の診立てだ。
「ギブスで固定一カ月、リハビリが一カ月から二ヶ月。治るまで二三カ月かかる。まあ、ちゃんと治しますから」
「どうぞよろしくお願いします」時間はかかるがもとに戻れそうなのでホッとして、夫婦ともども頭を下げながら言った。
完全骨折の場合、その何倍もの期間がかかるそうで、しかも、手術で固定用のボルトを何本も入れたり大変だ。それを思えば、まだ運がよかったのかもしれない。
「あんたも魔がさしたね」和美がずけずけ言う。
「そう言うおまえも気ぃつけや」順平もお返しをする。
「治るまで右手使われへんから不便やね」ちょっとしんみりと和美。彼女もこれからの大変さを感じているのだ。
「いいや、左手鍛える絶好のチャンス到来や。ここで一句。『速攻で、治って見せよう、ほととぎす』」カラ元気で自分と和美にカツを入れようと順平。
「あほっ、ギブスはずれるまでは大人しぃしとかなあかんねんで」という和美の言葉には「わかった」としか言えない順平だった。
病院玄関を出たところにベンチがある。ならんで座って帰りのタクシーを待ちながら、順平と和美はそんな会話をした。これからの不便な日常と、通院の煩雑さを思うとつい重くなるこころ。少しでもそれを軽くしようとしたかったのかもしれない。
タクシーに乗った順平は窓から空を見上げた。何の変わったところもない初秋の空だったが、いちどにいろいろな思いがこみ上げて胸が突かれる気がした。
稲垣純也 さんの画像をお借りしました。
最後までお読みいただきありがとうございました。記事が気に入っていただけましたら、「スキ」を押してくだされば幸いです。