1993年のオーストリア・モーツァルト №16〈ザルツブルク №8〉
1993年7月、転職のはざまに2週間の自由(失業)期間ができて、これはチャンス。リュックを背負ったエコノミーな個人旅行で、憧れのオーストリアへ行きました。
今年はちょうど30周年、当時はスマホはもちろんなく、携帯電話すら一般にはまだ普及していなかった時代。世の中随分変わりましたね。
旅行中の日記がこの『旅日記』の元ネタです。写真も交えて旅のあれこれを思い返しながらつづっていきます。そんな、よしなしごとにお付き合いいただければ幸いです。
ザルツブルク♪ №8(モーツァルトの生家を訪れる)
1993(平成5)年7月13日(火)
朝7時半ごろ自分で目を覚ました。朝食をダイニングで済ませて出納帳の続きを書き上げて、はがきをホテルの近くの郵便局から投函した。(※1)
さあ、2日目だ、と飛び出した。おっと雨だ。傘を取りにホテルへ戻った。まずはモーツァルトの生家。近づくにつれ、感激に涙が出そうになって困る。(※2)
入るとき住家との共通券を買おうとして、発音がうまく通じたので喜んでついおつりを受け取るのを忘れて呼び止められた。また失敗。(※2)
彼が触ったであろう階段の手すりにふれ、家族と住んでいたという4階から順路に従ってゆっくりみて回った。(※3)
生まれた部屋(※4)に入り、展示品に見入った。有名な肖像画や彼が弾いていたピアノ(※5)やヴァイオリンなど、写真で見知っていたものも多かったけれど実物を見て感銘を受けた。
――つづく――
※1 高級ホテルというわけでもなく、一般旅行者用だったので、朝食はシンプルな、パン、オムレツ、チーズ、ハム、ベーコン、ヨーグルト、ミルク、オレンジジュースといったものでしたが、おいしかったことを覚えています。
※2 夢にまで見たザルツブルクそして、モーツァルトの生家にいま、まさに自分がいるのだということやら何やらで頭が真っ白になっていたと思います。
※3 重厚な木の手すりでした。一段一段踏みしめて歩いて昇り、上階から見学しながらゆっくり降りていきました。
※4 モーツァルトも、モーツァルトの姉も、産屋に設えられたこの部屋でお母さんのおなかから産まれ出たんですね。お父さんが部屋の前を行ったり来たりしているのが目に見えるようです。
※5 当時は今のようなピアノはありませんでした。チェンバロや、クラヴィコードが一般によく用いられ、ピアノの前身のフォルテピアノが、改良を加えられて発達していく過程の時代でした。
※標題画像は、モーツァルト生家の看板です。
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