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連載小説『青年と女性達』-十九- 心ばえ
十九
おちゃらの行儀見習いが決まった日、鷗村の碁の相手をしながら幾許かの話を純一はした。
胸底から沸々と湧き出す創作熱の泉。観在荘での詩歌人、文士、画家や彫刻家等から受ける芸術的な刺激。先日大村と同道して感銘を受けた歐村の講演、そして数々の著作。
「今何を書いているんだ」と歐村が聞いた。
「はい、前作とは異なり現代を舞台とした人間の活動のあり様を、余り浪漫的主情に傾かない写実的な視点で書いております」
「書けたら見せてみよ」
「はっ、有難うございます。制作が捗ります」
嬉しかった。一気呵成に書いた前作では吟味する意識すら飛ばして書き切った。が、本作は少し状況が異なる。慎重に言葉を選び、読者の事も考えながら書いている。
これで良いのか、こんな調子で、こんな文章でという疑念、迷いが時々純一の心を過ぎる。誰かに見てもらいたい、そう思っていたところに、願ってもない先生からの申し出だった。
そうする内に奥様がおちゃらを伴って客座敷に戻ってきて云った。
「お待たせしました。あなた、お文さんは呑み込みが早くていいの。とても助かるわ」
「おお、そうか。で部屋も案内したのか」鷗村が聞く。
「ええ、決して広くはありませんが、小奇麗にしてあるのでお文さんも気に入って頂いたみたいよ、ねえお文さん」と奥様。
「はい。私には勿体ないくらいのお部屋です。お気遣い頂いて有難うございます」とおちゃらが嬉しそうに云う。
「小泉さん、お文さんに会うのにいちいち拙宅を訪ねるのはご不便かも知れませんわね。非番を決めて上げますから二人でお会いなさいな。ねえ貴方」と夫人が云うと、鷗村も「そうだ、そうするが好い」と合わせて云った。
――好いのだろうか、一年間は二人して会えないものとまで覚悟していたが――
せっかくの鷗村夫妻のご厚意だ。純一は甘えることにした。おちゃらの頬も緩んでいる。しかし、躾はしつけだ。
「お心遣いに感謝の言葉もございません。喜んでそうさせて頂きます。しかし、お文には決して甘やかす事なく厳しく躾けて遣って下さるようお願いいたします」と純一がここぞとばかりに力を込めて云った。
「どうぞ、お願いいたしまします」とおちゃらも神妙になって云った。
「純一さんとお文さん。お似合いねえ、貴方」と夫人が微笑んで鷗村に云う。
「おお、似合いの美男美女とはこの二人のことだろう。己の制作にも何かの参考にさせて頂こう。なあ、お前」と同意を求めるように鷗村が夫人を向いて云う。
純一は鷗村邸を辞去した時、今日の師の言葉を思い出し胸に染みて、湧き出でる涙を禁じ得なかった。おちゃらも大丈夫だ。奥様についてしっかりと勤め挙げてくれるに違いあるまいと思えば頬が自然と緩んできた。
見上げると、空がどこまでも青く広がっていた。
――二十へ続く――
※画像は「リカ」さんのものをお借りしました。
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