1993年のオーストリア・モーツァルト №12〈ザルツブルク №4〉
1993年7月、転職のはざまに2週間の自由(失業)期間ができて、これはチャンス。リュックを背負ったエコノミーな個人旅行で、憧れのオーストリアへ行きました。
今年はちょうど30周年、当時はスマホはもちろんなく、携帯電話すら一般にはまだ普及していなかった時代。世の中随分変わりましたね。
旅行中の日記がこの『旅日記』の元ネタです。写真も交えて旅のあれこれを思い返しながらつづっていきます。そんな、よしなしごとにお付き合いいただければ幸いです。
ザルツブルク♪ №4(ホテル ノイトール、着いてびっくり。)
1993(平成5)年7月12日(月)
ノイトールではおばちゃんの人が受付で、パスポートを出したら返してもらえず(後で返してくれた)しばらく、ボーとしていたら部屋は2階だという。(※1)
自分で持っているよりなんぼか安全だろうと思って2階へ上がった。ちょうど昼ごろなのにもうチェックインができるとはありがたい。
部屋も清潔でよい。建物の外観もすっきりしておりよい。ところがロビーや廊下のデザインが奇抜でクリムトで代表されるいわゆる「ユーゲントシュティール(アールヌーボー)」の手法なのだ。(※2)
壁はてかてかのピンクやブルーに塗られ、ロビーや廊下のランプはアームがぐにゃぐにゃ曲げられている。壁には余り美しいとはいいがたい絵が掛けられている。
せっかく古都に来たのにこれでは落ち着かないな。ホテルを替わろうか‥‥‥でも2泊の予約を日本からしてきたのでまあ我慢しよう。(※3)
――つづく――
※1 親しみを込めておばちゃんと言ってます。初老の、ひとあたりのよい親切ですてきな女性でした。
※2 シンプルな外観とは大違いの、ノイトールの内装に最初驚きました。でも、芸術的なセンスにふれているうちに、いいなぁと思うようになりました。
※3 居心地がよかったせいか、当初2泊の予定を2泊追加して、結局4泊しました。
※ ドイツ語の読みと翻訳は、おもに「google翻訳」を参考にしました。今回記事化するに際して、なぜか写真に撮った看板などのドイツ語が気になって30年ぶりに逐一の翻訳となりました。退屈な向きはお流しあれ。
※標題画像は、モーツァルト生家の看板です。
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