新社会人、上京、同棲。
私が借りた初めての部屋では、苦しいことばかりだったかもしれない。
ここしかないと決めていた会社。
大概の確率で大阪出身なら大阪勤務だったのに
私だけ東京勤務と告げられた。
突然の上京が決まった私にとって
一番の問題は、付き合って半年だけど同棲を渇望してくれる彼とそれを猛反対する母親だった。
母には何度も交渉し、彼とも3人で話したけれど許される事は無かった。
そして結局、
秘密裏のまま同棲を始めることになった。
右も左も分からないまま、
知り合いの不動産に勧められたうちから
一番いいと思われる部屋を選んだ。
窓も大きく、近くに緑道や公園のある
心が休まる雰囲気の部屋だった。
1つ欠点を挙げるなら
ラッシュ時の乗車率120%とも言われる駅が最寄りだったということ。
まあ大丈夫だろうとタカをくくっていだが、
やはり東京の満員電車はそんなに甘くなかった。
そして新社会人としての大変さは
予想の遥か遥か、本当に遥か上だった。
日々の接待、高い営業目標、朝晩の満員電車。
自分が不甲斐なくて毎日のよう泣いていたし、
時にはヘトヘトになりすぎて、
夕飯中に糸が切れた眠ってしまうこともあった。
こんな時期を共にしてくれた彼には、
本当に感謝と申し訳無さばかりだ。
家事も仕事も出来ない私、
家事を完璧にこなし、更には仕事熱心な彼。
いくら優しい彼でも私のボロボロさに、
嫌気が差してる事には気付いていた。
もしこれが付き合ってすぐの燃え上がるような
恋の時期でなければ、
すぐにフラれていたと思う。
私は彼への申し訳なさに焦りながらも、
それでも仕事を頑張りたい気持ちが死ぬほどあった。
この会社で頑張って、絶対に見返したい人がいたのだ。
バイト先で陰湿なイジメをしてきた同僚や、
手を差し伸べるどころか、
イジメられる方にも理由があると言い張った
その会社員。
どちらも頭がキレただけに、本当に悔しかった。
だから彼らよりも優秀な社会人になってやりたかった。
どこかで再会したとき、
あの会社で働いてるのか、凄いなと思わせたかった。
でもそんな復讐めいた気持ちだけでは、
その会社に入社すること出来ても、
働き続きることは難しくなっていった。
頑張れば頑張るほど家でボロボロになって、
彼を疲れさせた。
そのうち彼も私を叱ることが増えて
私は仕事で緊張し、彼にも緊張し、頼れるはずの母にも同棲の後ろめたさから連絡出来なかった。
ある朝いつも通り支度をしていると、
突然「仕事に行きたくない」という気持ちが全身を覆いつくして、堰を切ったように泣き崩れた。
そんな私を見た彼は驚くでもなく、
いつか壊れてしまう私を知っていたかのようだった。
そして慰めるでもなく、今は何も考えずに寝たほうがいいと言ってくれた。
止まらない涙に動揺しながら、
会社に体調不良だとメールをした。
そして布団に潜り込んだ私は、
そのまま夕方まで死んだように眠った。
目が覚めると楽になると思っていだが、
そこにあったのは空恐ろしい気持ちだった。
彼が仕事から帰ってきても、
私は会社に行くことを、ただただ恐がった。
そしてせめて正当な理由で休まなければ、と思い
遅くまでやっている病院に行った。
初めて会う医者に会社に行くのが怖いですと
そんなことばかり訴えていたように思う。
涙を流し過呼吸になった。
そして診断結果として告げられたのは
適応障害・抑鬱状態だった。
それから会社を休職することになり、
カウンセリングに通う日々が始まった。
(そして彼は必ず病院まで付き添ってくれていた。)
緊張の日々から逃れられているはずなのに
今度は何故だか死にたいとばかり思うようになった。
夜は眠れず、昼は動けなかった。
それでも最悪の状態の私を彼はずっと見捨てずにいてくれた。
そんな日々が半年ほど続いて休職出来る期間が
終わる頃、
彼は何度も2人で乗り越えようと提案してくれたのに私は実家に帰ることを選択した。
その頃には親に全てを告白していた。
同棲のこと、休職のこと。
ただただ楽になりたいと思っていた。
何も判断したくなかった。
ただ分かるのは彼がいない部屋で彼の帰りを待つことが辛い。ただそれだけだった。
本当に自分勝手だと思う。
いつ愛想を尽かされてもおかしくない状況が続いてるのに、最後は私の帰省に納得してくれた。
そしてこれを機に彼は自分の職場の近くに引っ越した。
私を驚かせたのは彼が見せてくれた新しい部屋の
間取りが今よりも大分大きかったことだ。
思い上がりかもしれないが、
彼は私が戻ることを待ってくれていると
伝えてくれているような気がした。
そしてその図面を見ながら
私は2人で住んだ部屋のことばかり考えていた。
朝日や夕日に包まれるベッドや小さな花瓶、
彼の瞳に西陽が差しかかる土曜の午後、
そんな柔らかなシーンばかりが浮かび上がった。
今までで一番辛い時期を過ごしたはずなのに
その部屋はなぜか日に包まれた幸せなイメージばかりを思い出させてくれた。
ようやく帰阪して半年が経とうとしている。
病院でも大分回復していると言ってもらえた。
今感じることは、
私の選択は彼が居てくれた事以外、
全て間違いだらけだったのではないかということだ。
もう今度は復讐心のために頑張ったりしないし、
きちんと自分の大好きな人を大切にするために
生きることをしたい。
そんなあの頃の私にもう一つ救いがあるとしたら
今でもあの日差しを思い出させてくれる
はじめて借りたあの部屋だ。
辛かった日々は確実に消化され、
思い出す度にあの西陽の眩しさが
ゆっくりと心を癒してくれている。
だから今は何よりも彼の待っている
大きなあの部屋でたくさんの日差しを浴びながら新しく暮らしていきたい。
辛いことがあったとしても
もう彼のそばにいることを迷わないでいられる。
なぜなら日の当たる部屋があれば
そこでの思い出が必ずあたたかなものになると
もう私は知っているから。