
みんな違ってみんないい、と思わなくてもいい。
みんな違ってみんないい。
本当に良い言葉。
そうなれたら本当に地球的平和が必ず訪れます。
しかしながらこんなとても良い言葉が知られていても平和にならないのはやはり、
みんな違ってるから。
みんな違ってみんないいって思える人と思えない人がいる。
でもだからこそこの言葉がとても響くわけなのですが。
シンプルに思うに、
そんな良き言葉があるからって、
無理に思わなくても良いということ。
シンプルにね。
すごく苦手な人がいました。
よし、みんな違うんだから、その人のことを良いって思おう!
って無理があるじゃないですか。
きっと大切なことは、
あ、この人私と価値観が合わないな、
なんでだろうって思うこと。
きっと色々な環境や背景があって自分と違う価値観なんだ。
と理解をしめそうとすること。
それがないと「良い」なんて方向に行かない。
もう一つは、逆に「良い」と一切思わないこと。
間違えてはいけないのは、
「良いと思わない」だけであって、
「嫌い」と思わなくてもいいということ。
言ってしまえば「無関心」。
それで良いと思う。
自分と関わる全ての人に関心をもつなんてそもそも疲れて自分が壊れてしまうからだ。
あー苦手だなって思ったら、スルーすれば良い。
それだけのこと。
それが出来る人って、けっこう自分軸が仕上がっているなって感じます。
そんなこと言ってる私自身まだまだ全然なのですが、
そういった自分軸で過ごされてる方がほんと稀に居られますが素敵だなって思います。
あと、前の職場にこんな人がいました。
通称マイケルさんという40代女性(生粋の日本人です)は、かなり自由人で束縛もないし発言も思ったことも自由に発する人。人の文句や愚痴も一切言わない。男好きだけど。
そのマイケルさんのことが大嫌いな同じく40代女性のカチカチさん。
マイケルは仕事を覚えるのが少し苦手で間違えることが多い。
それをカチカチさんは物凄く人前であからさまにネチネチ怒鳴りつけます。毎日毎日。
私はマイケルさんがかなり精神的ダメージを受けているだろうと声をかけます。
しかしマイケルさんは、
「全然大丈夫。本当に大丈夫なの。
気にしてたら仕事にならないし働けないでしょ?あんなの全然何も気にしない」って言いました。
それって究極のスルーをしているなって思いました。
スルーできる状況じゃないのに精神的にスルーできてるんですよ。
一方カチカチさんはそんなマイケルさんのことをいつも他の人になんて言うかというと、
みんな違ってみんないいんだからさ、
こっちの言うことちゃんと聞いてほしいよね!
と。
つまり、みんな違ってみんないいっていう言葉。
カチカチさんは、カチカチさんのことを良いと思え、とマイケルさんに思ってほしい、ってことでした。
それって、みんな違ってるんだからマイケルさんだってその「みんな」なわけで、とてつもなく自己中心的だなと。
みんな違ってみんないいっていう言葉を悪用してるんだと思いました。はき違えてるというか。
みんないいって思い合いたいわけですから。
私のことを受け入れなさい!
という強制。
こういう人、意外にいるんですよ。
だからね、
みんな違ってみんないいって、
無理に思わなくてもいい。
みんな必ず違うから、
違うところをちょっと理解してみよう。
な感じ。
その言葉って、
それを含んだ深い言葉なんですよね。
無理に良いって思うと浅くなるから。
自分のペースで、自分なりに、
そうすれば他人のことを思いやる余裕ができるから。
そしたらピースになってくよ。
いつでもはじまりはここ(個々)から♪
畏。