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やりたい事は死ぬほどあるから作曲やめないけど、活動はできない

お久しぶりです、abnovarkと申します。活動用のアカウントを削除して1~2ヶ月ほど経ちましたが、元気に生活しております。このノートでは、DTMを始めた頃から今に至るまでの心情の変化、現時点で活動することはない、という内容あたりを書き散らしたいなと思ってます


DTM初心者を羨む

VCV Rackを触って思い出したんですが、DTMを始めた時、定石や方法論を全く知らず、手持ちのフリープラグインでなんとかやりくりしてすごく楽しくて、そうしてできた楽曲に、今の自分がどれだけクオリティの高い曲を作れたとしても一生勝てないなとずっと感じていました。
“初心者は無学すぎて制約がない“事が、評価の中心を主観的な範疇に押し留めてくれるため、そこには自分の満足感だけがあればいいのです。

今は全く逆です。いろんなジャンルが作れるようになりたい、〇〇のPatreonに加入してノウハウを知りたい、リファレンスに寄せたい、このプロセシングは必須、LUFSはこれくらい出さないと納得いかない、みたいな感じで、ずっと制約が付き纏っています。そして評価の中心がこうした客観性を伴っているせいで、ずっと”もう1人の自分”とか”リファレンス先のアーティスト”に監視されながら作りつづける、みたいな気持ちになってました。


劣っている事がずっと怖い

今まで様々な主宰者様の下でコンピレーションアルバムに参加させていただいたのですが、”自分の曲は他の人より全然クオリティが低いな、、、”と毎回思ってしまうのが辛かったです。もちろんこれは自分だけじゃなく、皆さんもよく感じることかなとは思うのですが、自分にとって、劣等感の塊がずっと世に残り続けるのは拷問みたいでした。

そんな中、自分の作品を褒めてくれる人がすごくありがたかったです。でも、いつしかそれだけを命綱にして、”自分の作品を理解してくれる人がいるから作り続けられる、自分の作品に良い所はあるはずだから作り続ける”みたいに、騙し騙し言い聞かせて活動する状態になってたのがオチです。もうそこに自分がいないんですね。多分”憧れって自我を捨てること”かもしれないです。捨てて捨てて、芯がなくなった作品を肯定してくれるのは、どこの誰かもわからない、本心なのかお世辞なのかもわからない他人となると、ずっと不安がついてまわるのは自明ですね。


作品の質と自信は一致しない

昨日通話で友達が「聞き手がバカだなと感じた曲が実はすごく考えられて作り込まれていたりするし、その逆もある」みたいな事を言ってて、すごく納得がいったので触れます。正直リスナーにとって作り手がどう思うとか、残酷ですけどこの世で関係ないんですよね。ハイパーフリップの文脈云々の話とか、本当にそれでした(これ刺されないか心配、個人の感想です)。

これは逆に作り手側の話でも置き換えれて、どれだけ質を高くして聞き手に寄り添った楽曲を作る事ができても、一番近くでモニターしている本人が認めないと、その作品に価値がないとしか感じなくなってしまうのです。

(ちなみにどうでもいいですけど、自分は公募に受かった経験が一回もないので質の高い曲作れない人間です なので今の話関係ないかもです)

公募に受かるためにはどれだけ隙をなくすか、みたいな考えが必要だと思うんですが、それはどこまで行っても他人視点で、常に苦痛が伴って大変ですね。皆さんすごいです。


作曲してなくても自分より音楽詳しい人は山ほどいる

某氏の弟さんの友達がその辺のDTMerの100倍音楽詳しい話とか、情報デザイン学科の講師さんがDorian Concept聞いてたりとか、もう卒倒しますよね、当たり前っちゃ当たり前ですけど。そんな中で自己を持たないくせに音楽にわかな奴が作った曲が一体なんになるんですかね。

そういう深いとこまで行きついてる人たちが聞いている曲を聞いて、自分のフィールドを今まで広げてきたんですけど、受動的なリスニングでやってくのは限界がきたなって思ってます。ただ、スタートダッシュとしてすごく大事な過程だったと思うので、これからは自分で音楽を探していく姿勢を持ち始める段階に移るのが良さそうだと思ってます。


これからどうするのか

とは言っても、今までの人生とそんな変わらなくて、多分一生Ableton Live触り続けますし、2時間DTMはやりますし、模倣したい曲があったら耳コピもすると思います。将来的にDJ触ってるかもしれないし、モジュラーシンセ揃えて踊り狂うおじいさんになってるかもです。音楽最高!

今の自分に足りないものは”リファレンスを置かない力”だと気づきを得て、それができたら活動再開する予定です、いつになるかは本当にわからないんですけど。回帰のフェーズ。それができるためには、大量にdigして、各々の比重を希釈して、境界を無くして、誇張したり、エッセンスとして隠すみたいな遊びを嬉々としてできるような人間にならないとですね。センスの哲学まだ買ってないので近々買わないと、、、

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4年くらいDTMerやった感想は、自分のアイデンティティはニューロベースなんかじゃなかったです

以上です


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