女性としてのキャリア
こんにちは、株式会社 Ability Partners Consulting代表の和泉です。
昔から日本のドラマが好きで、会社に通勤していたときは、
往復2時間の通勤時間は、携帯でドラマを観るのが息抜きでした。
最近は、ほぼフル在宅に近いので、電車での移動が少なくなり、
大河ドラマと、朝ドラを追いかけるのが、やっとのことで、
ほぼこの2本しか観られていないのですが、
大河ドラマの「光る君へ」と
朝ドラの「虎に翼」、
個人的にはこの2本、かなりハマって観ています(「虎に翼」は終わってしまいましたが)。
大河は戦がなければつまらないなんて思ってましたが、
「光る君へ」見事なメロドラマ、歴史も勉強になりますし、脚本も面白いですね~!
主人公の紫式部はこの時代に似つかわしくなく、女性であるにも関わらず、漢文などを学び、書くことで身を立てた著名な小説家です。
そして朝ドラの「虎に翼」の主人公は、日本で初めて女性として弁護士、そして裁判官になった女性をモデルにされています。
女性差別だけではなく、原爆裁判や尊属殺人についてなど、重いテーマも入り、学びにもなりつつ、観ながら泣いてしまうこともしばしば。
電車に乗りながら、携帯を見て、泣いていたりするので、絶対あやしいですよね・・・
でも、涙を流すのはストレス解消にも良いので、あまり人目を気にせず泣いてます(笑)
朝ドラをフルで見たのは、「ちゅらさん」以来。最後まで飽きることなく、見応えのあるドラマでした。
主人公の寅子は、
思ったことをすぐ口にするし、
「はて?」と疑問を隠さないし、
自分の理想や考えを人に押しつけがちだし、
お節介で人のあれこれに立ち踏み入ろうとするし、
結婚しても名字を変えたくないと言うし、
料理は苦手だし、
若かりし頃はお見合いにも負けまくるし(異性からは不人気でした)、
なんだか、自分に通じるところも多いな、と勝手に共感したりして(勘違いかも!?笑)。
さて、この両作品の主人公はいずれも女性。
両名ともに、その時代の「あるべき女性像」から外れて、歯がゆさを感じながらも、
キャリアを拓いていった人物として描かれています。
両作ともに脚本家は女性ですし、彼女たちの価値観や人生での経験も大いに活かされていそうです。
そういう意味では、少しフェミニズムを感じるNHKドラマラインナップで、女性以外の方はどのように観られているのか、感想を聞いてみたいところです。
それぞれが描く時代、
大河は平安、
朝ドラは昭和、
今は、令和。
令和の今は、女性差別というよりは「女性登用」が活況で、だいぶ時代も変わりました。
私自身はといえば、昭和の終わり生まれですから、
ちょうど境目の世代とも言えるかもしれません。
女性であるがゆえに感じる生きづらさや、難しさを多少なりとも感じたりすることはあったな、と思い出したり、
一方で、いわゆる「フェミニスト」とも思われたくないな、とも思ったりして、躊躇もしますが、
とはいえ、やはり自分は女性なので、ということで、個人的に女性としての人生を少し振り返ってみようという気になりました。
(サブタイトルは「虎に翼」風にしました。ご笑覧ください)
女の根性は蛇の下地?
私が小学校に入学する直前に、私の両親は離婚するのですが、
その際に私の父は、
「女の子は、跡継ぎにならないから、いらない」
「女に学は不要だから、大学は必要なし。よって養育費は二十歳まで」
と母に言い放ったそうです。
その話を母から聞かされていただけに、
逆に勉学に励み、「父よりも偏差値の高い大学に入る」と無駄に闘志を燃やし、
結局、父と同じ大学に入学するわけですが(私の学力ではそれが限界だったこともあり)、まあ、動機はともかくとして、よかったなと振り返っています。
その父には、数年前、20数年ぶりに再会し、
私も当時のことについて苦言を呈し、
父も、「悪かったな」と言っていたので、今では時代とともに人の思想も変わったのだと納得しています。
男は松、女は藤?
元々なんでも手を挙げる性格ですし、
高校・大学受験に向けて闘志を燃やしていたものですから、
中学校では、生徒会長に立候補。
ところが、学年主任の教師からは、
「女はサポートが向いているのだから、副会長で立候補し直せ」
と、言われるのです。
今じゃ、考えられないですよね。
他の先生にも同じように副会長で考え直すように何度も説得をされました。
「君のような強いタイプは、生徒会長よりもNo2が向いている。トップは象徴たる温和なキャラクターでなければいけない」
などとも言われました。
本人的には納得感が持てない理由で、説得を何度もされ、
そのたびに拒み、
部活の試合に出させない、部活の練習にも参加させない、などの嫌がらせを教師から受けつつも、
そこまでされるとむしろ意固地になって、
「絶対に立候補して勝利する!」
と意気込んで、結局、生徒会長になってみせたのでした。
その後は、生徒会長のクセにスカートが短い、などと別のことでチクチク言われながらも、なんとか卒業。
中学は、ストレスフルな学校生活でした。
女の賢いのと東の空明かりとは当てにならぬ?
高校、大学と、周囲の人に恵まれ、ありがたくも女性であることのマイナス面を微塵も感じずに、過ごせた時間でした。
ところが、時はリーマンショック直後。
これまでどの組織でもリーダーシップを発揮し、
周囲からも「できる子」と褒められ続けて、
高をくくっていたにもかかわらず、
就職活動は難航を極め、どこにも受からないのです。
大学同期の女性の友人たちの多くは、金融・商社などの一般職や特定総合職など女性限定の職に決定していく中で、
「男女で職種が分かれるなんておかしい、私は男女平等な職場で働きたい」
と粘っていた私は、
落選に落選を重ねました。
面接でも、小さなメーカーを受けると、
「当社では女性の採用実績がありませんが、出張になった場合、男性社員と同室でも問題ありませんか?」
「女性として、妊娠・出産の希望はありますか?」
などとドラマさながら、驚くような質問を受けることも。
結局、
1.専門商社の事務職(営業を希望するも、途中転換はできるが、女性は最初は事務職で入らねばならないと言われ)、
2.大手塾の塾長、
3.人材紹介の営業、
という3つの内定の中から、
「男女平等な職場」、「土日休み」、という非常に消極的な理由で、
人材業界に飛び込んだわけです。
それが今では天職だなんて思っているわけですから、人間万事塞翁が馬です。
女は弱し、されど母は強し?
仕事においても同期は全員女性でしたし、
テレアポをしていて
「製造業の領域なんて女の子にはわからないだろ!」
とお客様に電話で嫌味を言われたくらいで、そこでも女性であることのハンデをさほど感じることはありませんでした。
ところが、「出産」を契機にして、悩める局面を迎えるのです。
産後復職すると、自分と同じくらいのキャリアと成績であった同僚が、上司になっていたり。
自分のキャリアについて、管理職を目指したいと話をしたときに、
とある上席の方から、
「お子さんがいる人は夜働けないから難しい」
とはっきり言われ、ずいぶん落胆したり。
仕方が無い部分もあるけれども、自分なりに頑張ろうと気持ちを切り替え、
一定の成果を出し、
いよいよ管理職に昇格内定という話をもらった数週間後に、
今度は、2度目の妊娠が発覚。
妊娠をしていても挑戦をしたい、と伝えましたが、
「未経験かつ妊娠をしている身体でできるような甘い仕事ではない」
と上司に一蹴されてしまうのです。
子供を授かったことは嬉しいのに、自分のキャリアはどんどん他の人に追い越されていく・・・
育児休暇の最中も会社から届く、他の方の昇格通知には、心から喜べないときもありました。
今では真逆で、女性管理職を増やしたい会社も多いですし、手を挙げたら歓迎されたのかもしれません。
やる気さえあれば、むしろ女性であるがゆえに下駄を履かされ、男性よりも昇格しやすい雰囲気もあります。
風潮がこの数年に大きく変わったことで、
私個人の感想としては、
「こないだ言ってた論調と違うじゃないか」
と思ったりするときはありますが、それは時代の変化とともに、
会社も人も変わらざるを得ない中で、良い方向に変わってきたのだと納得するようになりました。
妻の言うに向こう山も動く?
あれこれの葛藤はありつつも、つつがなくキャリアを積み、
自信を得たところで、起業。
ところがここでも言われるのです。
「旦那さんが安泰に稼いでるから、自由気ままにに起業とかできていいね」
これが男性であれば、
「大黒柱なのに、起業!?よく奥さんも許したね」
などと言われるのでしょうか。共働きであれば、これもなんとなくおかしな表現ですね。
仕事でも家計でも女性はサポート役とみなされるようです。
昔の自分なら「はて?」と言っていたかもしれません(笑)
でも、残念ながら、まだこれが日本社会の一般的な価値観なのだと思います。
果たして、これが
社会のせいなのか?
男性のせいなのか?
と言われれば、
そういう一面もあるとは思いますが、
私自身は、女性自身が女性差別を作り出している一面もあるとは思うのです。
「結婚して寿退社したい」
「働きたくないからなるべく長く育休取りたい」
その選択肢そのものを否定はしないですが、男性からこのセリフを大っぴらに聞くことはあまりないかと思います。
そのセリフを聞いた時、男性は
「女性はやっぱり甘い考えだな」
と思うのではないでしょうか。
女人をみな先立ち言へるはふさはず?
これは、古事記の一節です。
イザナキ(男)とイザナミ(女)の国生み神話というとなんとなく聞いたことがあるかもしれません。
八百万の神、天照大御神(アマテラスオオミカミ)が生まれる回です。
この夫婦の1人目の子供は、不具の子として捨てられるのですが、
その理由として、
「女人をみな先立ち言へるはふさはず(女性からプロポーズするのはふさわしくない)」
と述べられているのです。
この他にも、古い書物には、男女差別だけではなく、ルッキズム、様々な差別表現も多かったりするのですが、これほど遙か太古より差別というものは存在しているので、差別は良くないと言いつつも、完全に排除することはできないもの、
むしろ本能なのではないかとすら思われます。
人は本能的に、
「普通」「普通じゃない」
「多数派」「少数派」
と差別、区別を頭ではしてしまう生き物なのでしょう。
女性も女性で、「女性として差別された!ひどい!」と文句を言う傍らで、
「あの人って男らしくないよね」などと言っていたりするものなのです。
話を聞かない男、地図が読めない女?
という表題の本が昔流行りましたね。
私は地図が読めないし、男性に対して「話を聞いてないな~」と思ったりすることもあるので、
体だけの違いではなく、脳の構造も男女は大いに異なるのだと思います。
女性は感情的になる人が多く、男性は論理的な人が傾向としては多いですよね(電車で泣いている男性は見たことがない・・・笑)
そして、それぞれの性の中でも、必ずしも傾向に当てはまらない人もいます。
自分自身、周囲の女性に共感できないこともありますし、ちょっと男性的だなと思ったりする時もあります。
そもそも男性的とか女性的とかいう表現が憚られる時代でもあります。
結局、人はみんなそれぞれ違うし。
でも、互いに無意識下でカテゴライズも差別もしてしまうものでもあるのです。
アンコンシャスバイアス(無意識の偏見)という言葉は最近よく耳にしますね。
駄目だよね、と意識していてもそうなってしまうのが人間。
私自身ももちろん同じです。
ただ、これもお互いを理解しようとする前向きな姿勢があれば、ある程度は多様性を維持し、差別を減らすことはできるのかな、とも思ったりします。
何事も相手目線。
仕事も人間関係も、完璧にはできないけれど、日々自分も相手の立場に立って物事を考えられるよう、努力をしていくことが大事だなと思っています。
女の髪の毛には大象も繋がる?
私自身、女性として生きてきて、
今後やりたいこととしては、
僭越ではあるものの、誰かのロールモデルになれればと思っています。
仕事における能力は男女問わず、評価されるべしですが、
やはり女性は会社の中で少数になることも多く、
出産や育児の心配からキャリアに積極的になれないという声を耳にすることは今でもあります。
有能で、やる気もあるのに、もったいない、と思ったりします。
私はよく超人的だと言われることも多いのですが、
普通に泣きますし、
普通に落ち込みますし、
体調を崩すこともありますし、
悩んだりもします。
女性で管理職やトップセールスなどになっている人は私に限らず、
超人的、
強そう、
男性化している、
ように見える人が多いかもしれません。
男性管理職の方には、特段飛び抜けていない人も中にはいるけれど、女性でそのようなポジションについている人は、やはり飛び抜けた人が多いと感じるのは、女性の私だけでしょうか。
個人的には、男性と女性の特性や強みはそれぞれ違うので、それぞれがその強みを活かし、
女性たちも、飛び抜けて超人的でなくても、男性化しなくても、自分らしく重要なポジションを担っていける世の中になればと思っています。
男女平等は当たり前になりつつある、と感じていてもまだまだそれは一角に過ぎない。
やはり、女性活躍の場には課題も多い世の中です。
社会の価値観、企業の方針、法整備、家族のマインドセットなど、変化が必要なことは、数多くあると思います。
その中で、微力ながらできることは。
女性としての自分が頑張ること、発信することで、
誰かの背中を押せる仕事、
時代の変化を後押しする一助となれれば、嬉しいなと思ったりしています。
「今変わらなくても、その声は、いつか何かを変えるかもしれない」
という「虎に翼」の主人公のセリフと同様の思いで、
私は自分の声を残したいと思い、賛否ある部分もあるとは思いますが筆を取りました。