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池袋の新文芸座で、11:00から17:00まで『ハッピーアワー』をみる。5時間17分の本編に15分と30分の休憩がついている。彼女も観に行く予定だったが、具合が悪く、1人で行くことになった。ソープ街とストリップ小屋の近くを抜けて劇場があるマルハンの前に着く。近くに一蘭があって、席が空いていた。そのとき10:45だったので、行けると思って入った。5分以内に出てきて、5分で食べた。
2時間の第1部が終わり、みんな外に出て、おにぎりを食べている。外はこれ以上ない陽気の日曜日で、僕らはこの映画に今日を費やしている。身体と頭がぼんやりとするので、みんな何かを食べなければいけない。アスリートのように席に戻る。
90分の第2部の終わりは、みんな泣いているので、席が明るくなるのが気まずい。30分あったので池袋大橋まで歩いて行って、ゴミ処理場の煙突を見上げて池袋駅のホームを見下ろす。頭がガンガンに痛いので、カレーパンとあん饅を買って食べる。僕はあと何回ハッピーアワーを観れるのだろうか。今回ので2回目だが、もうすでにもう1回観たい。
僕は物語を素直に楽しめない。物語を成立させるためのずっと手前のところが気になる。濱口竜介の作品はその手前と、物語そのものと、その奥とを描く。そもそも人が人の言葉を理解したつもりになるのはなぜか。なぜ人は人に共感できるのか。人に何かが伝わるというのはどういう事態なのか。その最小単位の解明を目指している。その解明が映画の形を取ってこの世に現れたことに驚きを感じるばかりだ。
映画が終わると陽が暮れ始めていた。こんな体験をしたあとも、凡庸に電車に乗るしかないのだと思うとおかしくなる。