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戦争がわからない私が思うこと

『ウクライナに祈りを捧げる会』があった。

60名ほどいただろうか。

ウクライナの国旗を体に纏う人も見られた。

家族を国に残してイギリスで働いている人々も多いと聞く。キャンドルを各々灯し、家族の無事を祈っておられた。

最後は、ウクライナ国歌の斉唱だった。
「ウクライナ国家は滅びず。その栄光も、その自由さえも!…」から始まる国歌。

これまで幾多の侵攻をうけ、独立を悲願としてきたこの民族の歴史の中で『自由』の持つ意味合いはきっと重い。

全員が泣きながら歌っていた。
告知には『ロシア人もウエルカム』とあったので、ロシア人もいたかもしれない。
でも全員が泣いていた。
ロシア人=悪ではない。
そんなのはみんな知っている。
伴奏しながら娘も泣いていた。

ウクライナ語はわからなくても、
みんなが泣いていた。

帰りに、14歳の息子と話をした。

「食べること、眠れること、笑うことに罪悪感を持たないで。でも『世界にはいろんな1日を過ごす人がいる』ということは、知っておきなさい」

そんな話しをしたら、息子はこう言った。

「家族と日本とイギリスを守るためだったら、僕だって闘うよ」

そう言われて思わず息が止まる。
戦争を自分事として考える息子。
息子はここイギリスで生まれて、アフガニスタンに行っていた父を持つ友達もいれば、スーダンから亡命してきた友達もいる。
環境がそう言わせるのだろうか…

かたや私は、泣いているウクライナ人の背中を、真剣に悲しみ撫でながらも、どこかで戦争と自分を切り離して考えているのかもしれない。

これが「平和ボケ」なるものだろうか。


でも、もしこれを「平和ボケ」というならば、大声で感謝をしたい。


戦後たった77年で、私を平和ボケにさせてくれる、戦後日本経済を飛躍させた日本人に。

幼いころから「戦争はいけない」と、
細胞に染み渡るまで、くり返し話して下さった、原爆被爆者の方や戦争経験者の方々に。


そして、
そんな戦争がわからない私が考える。
もしも息子が戦争へ行ったら…

そしたら、私は正気を保っていられるのだろうか。


画像はうたげさんにお借りしました。


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