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「野の花、虹の蝶」のことなど

THE GIVERというSF映画を見た。完全に平等で、感情がフラットな未来社会。人々は毎日薬物で、フラットな感情を保持している。しかし、あるがままの世界を伝承するGIVERとRECEIVERが選ばれ、極細に真実が伝承されている。
主人公のreceiverは、薬による感情コントロールもやめ、愛や喜びも知ると同時に、戦争を繰り返してきた人類という歴史の記憶も取り戻し、めちゃくちゃ傷つく。こんなことなら、完全に平等で感情がフラットな世界の方がマシだと考えた人たちが、このコミュニティをつくったのだが、主人公はついにコミュニティを飛び出し、自分を取り戻す。と、同時にそのひとりの覚醒の影響がコミュニティにおよび、コミュニティ全体が喜びも痛みもある世界に目覚める。(この成り行きはちょっと無理がある。ひとり目覚めたら、みんな目覚めるという点に。)

昔、自分が書いた小説「野の花、虹の蝶」(未発表)に似ていると思った。システムと呼ばれるコントロールされた都市に住む主人公は、システムの外からやってきた人間の野生を残している女性に恋をし、一緒にシステムを脱出する。彼女はできるだけ多くの人間をシステムの外に連れ出すテロ組織「野の花」の一員だったのだ。山を越え、数々の先住民の村々を旅し、ついに女性の故郷の村に着くが、一足早く「野の花」を攻撃しにきたシステムの回し者に、村人は虐殺された後だった。
主人公らは秘密の洞窟の扉を開き、中に眠る蛹に太陽の光を当てることで目覚めさせる。蛹から無数の蝶が飛び立ち、システムに向かってアーチを描いて飛んでいく。これはテロ組織「野の花」の最終兵器。これらの蝶の鱗粉には、覚醒作用があり、無数の鱗粉がシステムに降り注ぎ・・・。

今回、GIVERを見て感じたのは、この映画は、今の私たち以下のフラットな状態に陥った社会をこれでもかというぐらい描いてから、今の私たちと同様のふつうに感情を取り戻す世界に達して終わっているということ。
それに対して「野の花、虹の蝶」は今の私たちのようにコントロールされたシステムに生きる人間模様の描写は短く、描かれる世界の大半は、今の私たち以上の覚醒。生と死を超えた宇宙意識のようなものに目覚めていく世界を描いたものだったということだ。
「野の花、虹の蝶」は稚拙な小説であるので、書き直さないと発表は無理と思うが、細部の完成度の前に、「今以下の世界を描いて今程度の意識レベルに戻る話」は、人々にわかるが、「今程度の世界を描いてさらなる覚醒を描く話」は、ニッチが小さいということだ。だが、たとえニッチがどんなに小さくても僕が描きたいのはそれだ。だから、「野の花、虹の蝶」は何度でも完成するまで書き直そうと改めて思った。

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長澤靖浩
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