新チベット仏教史―自己流ー

その4
その様子をチベットの仏教史書を使ってみておきましょう。史書とは、ショヌペル(‘Gos lo tsa ba gzhon nu dpal,1392-1481)の『青史』Deb thel sngon poという有名なものです。『青史』では、アティシャに1章を割いています。こう始まります。
 さて、聖なるディーパンカラジュニャーナ(Mar me mdzad ye shes,Dipamkarajnana)〔=アティシャ〕は、チベットにおいて、大乗の規矩(きく)を、どのようにお 広めになったかというあり様を、記すべきだろう。
アティシャはディーパンカラジュニャーナとも呼ばれます。むしろ、こちらが正式名のようです。『青史』では、続けて、アティシャを待ち望む、チベットの王族の有様が描写されています。
 チャンチュプウーのお考えでは、「このチベット国では、出家者は沢山だが、秘密乗において、〔陰陽2原理に基づく〕合一〔=性瑜伽〕と〔呪殺による〕解脱等を、誤って行ずる者が、多く、見られる」のである。そして、それを行じなくとも、空性ただ1つのみで、成仏すると言って、大いに説く者や、更に、〔出家者の規律である〕波羅提(はらだい)木(もく)叉(しゃ)の教示は、広がっても、菩薩行を学ぶ者は、僅かであると〔チャンチュプウーは〕ご覧になったから、それらの咎(とが)を鎮める偉大な賢者たる方を探したいとお望みになった時、「以前招いた賢者達も、各分野で、取り分け、優秀なのだけれども、チベット地域全体に利益を生じないので、彼のアティシャを招いたならば、それらの誤りを是正することが出来るし、教示について益するところとなろう」とお考えになって、
このように、チャンチュプウーという王様が、アティシャを招きたいと願っていたのです。そして、アティシャの住むヴィクラマシーラ僧院へ向かいます。到着した様子は、こうです。
 ヴィクラマシーラ(Bi kra ma shi la,Vikramasila)に、ある夜、到着しました。そこで、チベット語で、朗唱(ろうしょう)した時、ギャツォングー・センゲが、楼門(ろうもん)の上におられたので、お聞きになって、「汝等は、チベット人なのか?」「明日、必ず、会おう」とおっしゃる大きな声を放たれました。当の明日、ギャツォングー・センゲは、ナクツォを、アティシャの御前に、導きました。かの〔重い〕一塊の黄金を第1とする沢山の黄金を、曼荼羅の上に、積み上げて、アティシャとの面会の際、黄金を積み上げて、招聘したようです。今でいうワイロとは異なっているみたいですが、少々、驚くような記述です。

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