仏教豆知識

その3
さて、この論争には1人の著名な学者も絡んできます。名前を木村(きむら)泰(たい)賢(けん)(1881-1930)と言います。木村の業績は、現代にも通用する立派なものです。彼も曹洞宗の僧侶であり、駒澤大学で教鞭(きょうべん)を取っていました。その木村が、口を挟(はさ)んだのです。次のような記事があります。
 ここに帝大教授にして且(か)つ又、忽滑谷学長たる駒大教授であるところの木村泰賢博士、或(あ)る日駒大に於ける二時間に亙(わた)る印度(いんど)哲学の講義に際し肝腎(かんじん)な講義をお留守(るす)にして此(こ)の「正信」問題に言及し「何故(なぜ)諸君はこの大切な宗意安心問題を等閑(とうかん)に附(ふ)するのか不思議である。殊(こと)に仏教徒にして輪廻(りんね)転生(てんしょう)を信ぜぬなどと云(い)ふことがあったら一大問題である云々(うんぬん)と滔々(とうとう)と論じ、大いに皮肉ったさうだ。木村博士にして初めて堂々と言へるのだと専(もっぱ)らの評判。(竹林史博『曹洞宗正信論争〔全〕』平成16年、p.159、ルビ私)
木村は、直に論文を著し、以下のように忽滑谷を批判しました。
 忽滑谷氏の「宇宙の大霊(たいれい)は是(こ)れ仏陀(ぶっだ)である」と云ふようなことは一寸(ちょっと)言へない。よくさう云ふ風に言ふのが仏陀であるかの如(ごと)く考へまするけれども、宇宙の大霊が仏陀で、我々が其の一部分であると云ふが如きは、外道として居(あ)るのであります。之(これ)を言ふのはタゴールの思想であります。ラマルジヤの系統としてのタゴールの説が斯(こ)う言ふのであります。(木村泰賢「異安心問題とその批判―元大谷大学教授金子大栄博士の「如来及び浄土の観念」並に駒澤大学長忽滑谷快天博士の「正信」を中心とせる批判―」『仏教思想』第4巻5号、昭和4年5月、竹林史博『曹洞宗正信論争〔全〕』平成16年、p.496、ルビ私)
この後すぐ、木村は50歳で急逝(きゅうせい)します。そして、ここから正信論争は、さらにゴシップ
化の一途(いっと)を辿(たど)るのです。木村の死に対し、論敵忽滑谷は、次のような弔辞(ちょうじ)を送りました。
 木村君の亡くなったことは、学界としては、非常な損失だが、禅学とか禅門の上から観(み)れば、大した影響はないと思ふ。蓋(けだ)し、君の考へは吾々(われわれ)のそれと非常に相違して居(お)り、寧(むし)ろ仏教を破壊する虞(おそれ)はあってもこれを興起(こうき)するに役立ったとは信じられないからである。禅に対する君の見解に於て特にこの感が深い故に、君の存在に依って禅が興(おこ)ったとか、信徒が増(ふ)へたとも思わない。(忽滑谷快天「禅門としては影響なし」『中外日報』第九二○六号、昭和5年五月二一日、竹林史博『曹洞宗正信論争〔全〕』平成16年、p.697、〔 〕内私の補足)


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