仏教余話
その247
我々はイーシュヴァラ・クリシュナの先にヴァールシャガニヤがいたことを知った。この経緯を宇井伯寿博士は、こう述べている。
世親伝には自在黒〔=イーシュヴァラ・クリシュナ〕は師説を改易したのでVarsaganya〔ヴァールシャガニヤ〕は大いに怒り其書を弘むることを禁じたとあるが、此伝説は何を意味するか。自在黒の説は必ず或点にては大いにVarsaganyaの説と異なって居たに相違ない。学者は此点を重く見て此の改易と怒とはVarsaganyaの有神的数論説に反して自在黒が無神的数論説を主張し論述した事を示して居るものと見る。前に言える通り自在黒其人は元来改革的の人であり、其当時数論派中に異説もあり、無神的の説に対して有神的潮流も並存して居たのであるから、Varsaganyaとの関係から見て、其有神的数論説が自在黒によって無神的数論説と改められ述べられたと見るも強ち無理な考えではない。況んや他のSastitantra〔『六十科論』〕が明に有神的数論説、若しくはSamkyayoga説を述べたものであれば、猶更にしか考へらるる。(宇井伯寿「Samkyayogaに就いて」『インド哲学から仏教へ』1976所収p,67、〔 〕内私の補足)
宇井博士によれば、ヴァールシャガニヤは有神的サーンキャ説を展開し、それが現在流布しているイーシュヴァラ・クリシュナの『サーンキャ・カーリカー』の無神的サーンキャ説とは一線を画すものである。博士は、結論部分で、こういう。
Samkya-karikaの地位も只今迄論述した所から見てSamkyaとSamkyayogaの二潮流中の前者を受けてVarsaganyaの後者の説に反対して居るものであるといふに止める。(宇井伯寿「Samkyayogaに就いて」『インド哲学から仏教へ』1976所収、p.196)
また、高木訷元博士も宇井説を受けて、以下のようにいう。
実際、ヴァールシャガニヤの断片、あるいはかれに帰せられる『六十科論』の内容からみて、その数論説はかなり有神論的傾向を有するものであったことが推定される。それに対して、イーシュヴァラ・クリシュナの『数論偈』は完全に無神論的であり、かなりの改革思想であったことは確かである。(高木訷元「序説」『マータラ註釈の原典解明 高木訷元著作集2』平成3年所収、p.5)高木博士は、宇井博士の著書の他に、オーヴァーハンマー(G.Oberhanmmer)の論文The Authorship of the Sastitantra(WZKO,Bd.IV,1960)を参考文献としている。