「倶舎論」をめぐって

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ところで、渡辺について、いくつか興味深い出来事を付加しておこう。実は、渡辺は、ある雑誌(『現代佛敎』三月號、1925(大正14年))にローゼンベルグの論文邦訳を掲載した。その序論で、渡辺は「ローゼンベルグのこの論文は評価に値しない」という趣旨の発言をしている。恐らく、それは両者の研究スタイルの違いが生んだものである。両者の意見を以下に並べてみよう。先ず、ローゼンベルグは、その論文で、こう述べている。
 日本に於て小乗哲學が奬勵せられざる理由は全く歴史的に了解せらるべし。その古代の傅説はとく已に失はれ、近世に於ける倶舎研究の中興たりし人々及びその人々傳説の源泉も共に不明なり。船橋氏の著せる興味ある集録によれば、世親が何れの宗派に屬せるやの問題につきては知名の學者間に於てすら意見一致せずと。斯くして彼の難解なる本文を理解すること能はざるに至りしと雖も、是誰をも罰すべきに非ず。但し最も簡單なる根本思想すら、所見一定せざるに至りしは果たしてい何時の時代よりなるかを歴史的に又哲學的に、その根據を明らむるは興味あることなるべし。(ローゼンベルグ「倶舎論研究に附して日本學界に望む」『現代佛敎』三月號、1925(大正14年),pp.106-107)
これに対し、渡邊は、思想以上に文献研究を強調して、次のように述べる。
 現段階における佛敎研究となれば、何をおいてもまず問題なのがその資料論である。而もそう資料論が問題であるとなれば、ふたたび何をおいても問題のはずなのがあたえられてたる諸佛典の、かくあるままの分析的、解剖的研究これでなければなるまい。それにもかかわらず、現實における東西佛敎學界なる諸研究は眞實そうなつているであろうか。卒直なところは、東西大方の學者らは、一切の佛敎研究は所詮その佛敎なる一大思想體系に關する研究のみなることにあまりに多くとらわれすぎてしまつて、ときにはしばしば全くの超絶的に、あたえられたる佛典のいかにして成立せるかなどにひたすら焦心して、そうした脆弱きわまる資料論上に黨該佛典なる組織・研究をあえてしている實状であるから、畢竟じてすでにいつた東西哲學史上なる古代の哲人らに見られる驚愕と困惑、それにも彷彿たるものは現代佛敎研究上にもみとめられる感なきにしもあらずだろうではないか。((渡邊楳雄『有部阿毘達磨論の研究』昭和29年、序のpp.1-2)
渡邊がローゼンベルグを「評価しない」と言い放った背景には、上のような研究スタイルの相違があったと思われるのである。また、渡邊は戦中・戦後にかけて、政府の宗教行政に深く関わっている。その面については、大澤広嗣「日本軍政下のマラヤにおける宗教調査―渡辺楳雄についてー」『アジア文化研究所研究年報』42,2007,pp.19-36、―同―「戦後初期の渡辺楳雄―宗教行政と宗教界との関わりからー」『國學院大學 日本文化研究所紀要』100,2008,pp.111-140がある。大澤氏の第2論文には、渡邊評価とも取れるような文言がある。以下がそれである。
 仏教学者の手法は、主に経典の思想を中心に研究を行う。しかし、渡辺は、仏教の思想のみならず、内外諸宗教の実態調査を行った特筆すべき存在であったと言えるのである。(p.113)
 

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