日本人の宗教観ーある観点ー

その3
無論、本覚思想は手放しで礼賛されるべきものではありません。事実、本覚思想研究の大家、田村芳郎(たむらよしろう)博士は、こう、本覚思想の功罪(こうざい)を述べています。
 天台本覚思想にたいしては、現代の学者のほとんどが堕落(だらく)・退廃(たいはい)の思想とみなしている。なるほど現象面を取りあげれば、そのような評価も可能かと思われる。たとえば、秘密(ひみつ)口伝(くでん)の重視のあまり、血脈(けちみゃく)相承(そうしょう)が強調され、さらに実子(じっし)相承(そうしょう)まで主張されるにいたったり…多額の金銭で口伝(くでん)法門(ほうもん)を買いとるというような、いわば商品取引と化したり…また、…現実肯定から欲望充足の具に用いたりしており、これらの現象を拾いあげれば、堕落思想の印象をまぬがれないといえよう。…しかし、ひるがえって哲理面を見るならば、天台本覚思想は、東西古今の諸思想の中で最も究極的なものであるといっても、過言ではない。それゆえにこそ、日本中世の仏教界のみならず、修験(しゅげん)道(どう)から神道、さらに文芸界にまで大きな影響を与え、また摂取(せっしゅ)されたのである。(日本思想体系9『天台本覺論』1973年、pp.541-542、ルビは私)
さて、今まで割と躊躇(ちゅうちょ)なく「本覚思想」という言葉を使用してきましたが、上記の田村博士の本が、出版された頃、1970年代には、まだそれほど一般的ではありませんでした。田村博士も、解説の冒頭付近で、このように述べています。
 天台本覚思想というタームも新しいものであって、このごろは使われることが多くなってきたが、しかし、まだ完全に定着するまでにはいたっていない。それというのも、天台本覚思想は、やっと近年になって各方面から注目されはじめたものだからである。天台本覚思想が日本の特に中世において、仏教諸宗のみならず、修験(しゅげん)道(どう)・神道(しんとう)、さらに一般の文芸思潮にいたるまで大きな影響を与えたこと、いわば、それらの共通背景として天台本覚思想が存することに気がつかれだし、ひいては、天台本覚思想の研究が必要だという声が諸方面からあがりだしたのは、つい最近のことがらに属する。(日本思想体系9『天台本覺論』1973年、p.477、ルビは私)
では、本覚思想という言葉を最初に、世に知らしめたのは誰なのでしょう?田村博士によると、それは島地(しまち)大(だい)等(とう)(1875-1927)という学僧です(日本思想体系9『天台本覺論』1973、p.477)私の管見(かんけん)の範囲で、島地大等の主張を紹介してみましょう。島地は、ある論文の冒頭で、こう切り出します。
 今茲(ここ)に掲げた題目〔日本仏教本覚思想の概説〕と同じような意味で仏教を組織し、その意見を発表したものは、古来(こらい)未(いま)だないようである。少なくとも、これと類似の目的に立ったものすら、未だ嘗(かつ)てこれあるを聞いたことがない。…予(よ)が、今、特に本題目を択(えら)んだには、諸他の理由がある。…近くは日本仏教の研究上、わが現代仏教の中幹(ちゅうかん)を為(な)している鎌倉仏教の、出生(しゅっしょう)由来(ゆらい)を明らかにするにある。けだし、旧来、日本の仏教を研究するものは、平安朝の初頭に顕(あら)われた伝教(でんぎょう)〔大師(だいし)最澄(さいちょう)〕、弘法(こうぼう)〔大師(だいし)空海(くうかい)〕二大師による、天台真言(てんだいしんごん)二宗の興隆に着目し、直(ただ)ちにこれを鎌倉仏教に連結せしめんとする態度に立ち、此(こ)の中間に一大闇黒(あんこく)の時期あることを見逃しているのである。実に、伝教、弘法以後、〔禅宗の1派、臨済宗(りんざいしゅう)を開いた〕栄西(えいさい)、〔浄土宗(じょうどしゅう)を起こした〕法(ほう)然(ねん)の出現に至る間は、闇黒ではあるが、この闇黒期中こそ、源平鎌倉の仏教が興隆するための、直接温醸(おんじょう)の倉庫であったことを忘れてはならぬ。わが日本の本覚思想は、恐らく、此の時代に、遺憾(いかん)なく発展したものであろう。而(しか)して、その発展した本覚思想に、当然伴うべき危険性を排除し、実際化し、巧みに…調節し得たものこそ、鎌倉時代の仏教である。日本仏教が、幸にも、印度(いんど)、及び支那(しな)仏教の覆轍(ふくてつ)を踏まず、改造を経(へ)、再生し得て、今日に及んだ所以(ゆえん)は、実にこヽにある。…〔他の理由は〕、本覚的実践要件の、現実生活との交渉に関する研究にある。すなはち、信仰と道徳との関係を、論及すると解してもよい。けだし、本覚門思想の実際的表現は、その極度に於(おい)ては、極めて単純であって、いずれの本覚門もみな、その単純なる実際条件を、更(さら)に、絶待(ぜつたい)的(てき)なるものと、して説くがゆえに、当然、この問題の研究が必要となるわけである。本覚的信仰は、絶待的なるが故に、一面よりは、頗(すこぶ)る危険な思想ともみられる。曾(かつ)ては、この危険に堕落した仏教史実が多く、現に、今の印度、支那等にこの実例を見、われらの周囲にも亦(また)、これなしとしない。したがって、元来、この欠点は、本覚門思想の当然負うべきものであるか、或は、単なる誤解に由るか、更に、本覚門の内容にしかく誤解さるべき素質を有(も)たぬか、若しありとせば、そを除去し得られぬかーかくの如き重要なる問題は、仏教教義の研究上、本覚門の研究に最も親しく、且(か)つ、重要な実際問題ではなかろうか。(島地大等『仏教大綱』昭和6年、pp.3-8,〔 〕内は私、ルビは私、1部標記変更)
島地大等は、このように本覚思想の重要性を大いに強調しました。彼自身、鎌倉時代に創建された、浄土(じょうど)真宗(しんしゅう)という宗派の僧侶でしたので、その背景となる本覚思想の究明は、切実な課題だったのです。鎌倉時代の仏教は、そのほとんどが現代にも生きています。法然の浄土宗、親鸞(しんらん)の浄土真宗、日蓮(にちれん)の日蓮宗、道元(どうげん)の曹(そう)
洞宗(とうしゅう)等、今でも信仰を集めています。それらの宗派は、すべてが、本覚思想に由来しています。その開祖達は、皆、本覚思想の拠点、比叡山(ひえいざん)延暦寺(えんりゃくじ)で修行していたのです。この点は、
かなり重要なことですので、少し、詳しく見ていきましょう。

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