仏教余話
その248
これで、雨衆外道についての外観はつかめた。我々としては、『倶舎論』第5章「随眠品」の先の記述に戻って、その内容を仔細に点検しなければならない。すぐにでも、そうしたいところだが、まずは、少し前に、書名に触れた『ユクティ・ディーピカー』のヴァールシャガニヤ説を一瞥しておこう。断片収集や解説などは、高木・本田両博士が行っているので、それを手がかりにすれば、比較的容易な作業である。とはいえ、『ユクティ。ディー
ピカ』なる書物についての予備知識や来歴などを押さえておく必要があろう。まず、高木博士の詳しい解説を引用しよう。
最近発見された『ユクティ・ディーピカー』は、『数論偈』の解釈に資する以上に、従来殆ど闇黒のままにおかれていた数論思想の展開史に数条の光を投ずるものとして価値が高い。『ユクティ・ディーピカー』はビューラーが樺樹皮の原典をカシュミールで買い求め、それを一九三八年にカルカッタからCalcutta Sanskrit Series No.XXIIIとして、プリンベハリ・チャクラヴァルティが公刊した。それ以前には長い間バンダルカル東洋研究所に写本として、不明のまま埋没されていたらしい。しかし、一九三八年に印刷に付されたにもかかわらず、この書は不幸にも人々に余り知られなかったが、最近漸く学界において注目され始めた。一九六七年には、他の写本をも参照して、R.C.パンデーヤが新たに刊行している。…この書の公刊に際して、「まえがき」を寄せた〔著名なインド人学者〕ムーケルジーは次のようにいう。「私ははじめてこの写本の写しを見たとき、言下にチャクラヴァルティ氏に対して、この書が刊行されれば、それはカウティリヤの『実利論』と同じように重要な発見として、すべてのインド哲学愛好者に歓迎されるであろうことを保証した」と。(高木訷元「序説」『マータラ註釈の原典解明 高木訷元著作集2』平成3年所収、pp.6-7,〔 〕内私の補足)
他に、博士は次のような情報も付け加えている。
この『ユクティ・ディーピカー』の著者ほど、ヴァスバンドゥ(Vasubandhu、世親)の論書からきわめて多くの文言を引用しているものは他にいないと言われるほどである。ヴァスバンドゥから多くの断片を引き、これに言及している事実は、かれの師とされる如意論師がかつて数論の学徒と論諍をおこなって破れ、これに対してヴァスバンドゥが『勝義七十論』あるいは『七十真実論』を造って、逆にその数論の徒を論破したという伝説のあることからも、とりわけ興味深いことである。ヴァスバンドゥの他にも、ディグナーガ(Dignaga陳那)の量論にも言及している。この意味からいっても、本註釈書は単に数論史研究の上に必要なばかりではなく、広くインド哲学史の研究のためにも、きわめて重要な資料といわねばならない。(高木訷元「序説」『マータラ註釈の原典解明 高木訷元著作集2』平成3年所収、pp.11-12)
世親を追っている我々としても、無視出来ない書物ということらしい。