Tips of Buddhism
No.40
The Convention on Wetlands International Importance especially as Waterfowl Habitats was adapted in Iranian city of Ramsar in 1971,in 1980,the Kushiro Wetland became Japan’s first site to be registered under the Ramsar Convention.(from Kushiro City Marsh observatory leaflet,2016/8)
(訳)
国際的に重要な湿地(しっち)に関する条約、取り分け水鳥(みずとり)の生息地(せいそくち)〔についての条約〕は、1971年、イランのラムサールで採択された。釧路(くしろ)湿原(しつげん)は1980年、国内最初にラムサール条約に指定された場所である。
(解説)
ウイキペディアによれば、
水鳥を食物連鎖の頂点とする湿地の生態系を守る目的で、1971年2月2日に制定され[、1975年12月21日に発効した。
とある。環境保護の一環であろう。環境保護と言えば、すぐに思い浮かぶのは、レイチェル・ルイーズ・カーソン(R.l . Carson、1907 - 1964年)の『沈黙の春』Silent Springであろう。ここで紹介したいのは、彼女のはるか前にも、環境保護につながる著作を著したアメリカ人である。彼の名は、ヘンリー・デイビッド・ソロー(H.D.Thoreau,)と言う。2人が、ともに言及されているものを見てもらおう。
カーソンは『われらをめぐる海』でジョン・バロウズ賞を受賞した。バロウズはソローの思想を継承するネイチャーライターであり、彼を記念してつくられた賞は、毎年すぐれたネイチャーライティングに与えられる。カーソンはその授賞式の席上「自然を描く意図」という講演を行った。この講演の中で、カーソンは英米にはソロー、バロウズ、ジェフリーズ、ハドソンなどのすぐれたネイチャーライティングの伝統が存在することを指摘し、一方で彼らの伝統に甘んじて単なる模倣者(もほうしゃ)となることを戒め、「思想や知識の領域の開拓者」(『失われた森』138)たることを薦め、「彼らが時代の代弁者(だいべんしゃ)であったように、私たちもまたこの時代の代弁者として、新しいタイプの作品を創造するのです」(138)と聴衆に訴えかける。(上岡克己「レイチェル・カーソンと環境保護運動」高知大学『国際社会文化研究』Vol.12,2011、p.32,ルビ私)
このように、今では有名なソローだが、生前(せいぜん)は不遇(ふぐう)であった。代表作『ウオールデン』Walden
を刊行したロス(N.P.Ross)は、『刊行者の序』の冒頭をこう始めている。
ヘンリー・デイビッド・ソローが百年前に亡くなった際、この国は偉大な作家を失ったとか、優れた人物を無くしたというアメリカ人はほぼいなかった。(Walden,Time incorporated,New York,1962,p.vii)
しかし、時代は変わった。本書『ウオールデン』は湖の名前である。ソローは、この湖の周辺に2年余り自給自足で暮らした。その時の様子を『ウオールデン』で示した。鈴木(すずき)大拙(だいせつ)(1870-1966)は、ソローについて次のような感慨を述べている。
基(き)教(きょう)が神に熱するの余り、前後を忘却(ぼうきゃく)せんとするに比すれば、印度(いんど)宗教の超然(ちょうぜん)脱俗(だつぞく)の趣(おもむ)きある処(ところ)、大にソーロ仙人を動かしたりと見えたり。(「米国田舎だより」『鈴木大拙全集』別巻一、昭和46年、p.197,初出『新仏教』6-5明治38年(1905)、一部現代語標記に改める、ルビ私)
ソローはエマーソン(R.W.Emerson,1803-1882)と共に19世紀アメリカ思想家でもある。
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