「倶舎論」をめぐって
II
1つ、インド論理学・仏教論理学という分野が、未だ、解明されていない事例を挙げてみたい。桂紹(かつらしょう)隆(りゅう)という学者は、この分野のリーダー的存在である。その著作には、次のような解説がある。
インド人の思考方法を考えるとき無視してはならないのは、彼らの発達させた論理学の伝統である。そこには神秘主義とは一線を画する合理的な思弁(しべん)が見いだされる。本書は、インドにおいて、どのような論理的思考がいかにして発展していったを明らかにしようとするものである。著者は、インド人の思考法が観察から法則を導き出す帰納法(きのうほう)にあり、そこにギリシャのアリストテレスが創造した演繹(えんえき)法(ほう)的論理学との違いがあると考える。詳述することはできなかったが、インド人の帰納法的な思考の淵源(えんげん)は、インド文法学の伝統、さらにさかのぼって、ブッダの「縁起」の教えに在るのではないかと考えている。(桂紹隆『インド人の論理学 問答法から帰納法へ』1998、まえがき、p.v、ルビ私)
これに対し、別な研究者から、全く反対の見解が提示されている。
紀元前後には、〔インドでは〕厳密な、まごうことなき演繹論理学の体系が完成するにいたった。(宮元啓一『インド哲学七つの難問』2002,p.18、〔 〕内は私の補足)
また、それと呼応するように、石飛(いしとび)道子(みちこ)氏もこう明言する。
ゴータマ・ブッダが、演繹的な論理体系を開発し、それを経典の中に示しながら、それを用いて自らの教説を展開していたことを証明した。(石飛道子『龍樹造「方便心論」の研究』、平成18年、はじめに、p.iv)
石飛氏の見解は、桂氏の真(ま)逆(ぎゃく)である。かたや、釈迦の縁起が基になって、帰納法的思考法が成立したとするし、かたや、同じ釈迦が、演繹的思考を作ったという。更に、以下のような、指摘もある。
桂(1988)において、インド論理学の特徴として帰納論証が強調されつつも、「帰納論理学」という言葉が用いられていないのは適切である。しかしながら、インド論理学の「本質は、…帰納的論証である」…「インド人の思惟方法の根本は帰納法である」とか「インドの論理学は、一般的に言って、演繹的ではなく帰納的である」…という主張は、誤りであるか、少なくとも誤解を生じさせるものである。(谷沢淳三「論証の学としてのインド論理学:帰納法と演繹法」『信州大学人文科学論集人間情報学科編41、2007,p.247)
全く、この分野は、暗闇状態なのである。その状況だけでも理解してもらえれば、よいと思う。こうして、極基本的なことさえ、はっきりしないのに、インドの論理学の議論は、時代を経て、どんどん複雑化していった。そして、いつしか「何が議論されているのか?」という論点すら、わからなくなっている。それで、何とか、その実態に迫りたいと、長年、悩んできた。最近、あることに気がついた。実は、ディグナーガやダルマキールティの先輩に世親(せしん)(Vasubandhu,ヴァスバンドゥ)という有名な学僧がいた。その人の思想から、始めると、意外に、ディグナーガやダルマキールティの考えもわかりやすい、とわかってきたのである。こういう個人的な経緯(けいい)があって、ここでは、世親のあれこれを、まず、探ってみることにした、というわけである。以上のようなことを踏まえ、この演習では、世親思想解明のための、基礎作りを行いたいと考えている。私だけでなく、世親→ダルマキールティという思想ラインは、著名な学者によっても進められている。例えば、前述の桂氏は、「アビダルマからダルマキールティへー特にsvabhava概念に関連してー」”From Abhidharma to Dharmakirti-With a special reference to the concept of svabhava”(H.Krasser,H.Lasic,Eli Franco,B.Kellner(ed.)Religion and Logic in Buddhist Philosophical Analysis,Proceedings of the Forurth International Dharmakirti Conference Vienna,August23-27,2005,2011,pp.271-279)という英語論文にそれを結実(けつじつ)させ、仏教論理学の世界的権威シュタインケルナー(E.Steinkellner)氏の労作『初期ダルマキールティの哲学』Dharmakirtis fruhe LogikAnnotierte Ubersetsung der logischen Teile von Pramanavarttika 1 mit der Vrtti I.Introduction,Ubersetsung,Analysie,2013)でも、取り上げられた。シュタインケルナー氏は、自説である自性(svabhava、スヴァバーヴァ)の2重使用法を支持する格好の典拠(てんきょ)として、桂氏の論文に、こう言及している。
ダルマキールティがこの術語を、使用することについて直(ちょっ)近(きん)の成果で、桂氏は2重使用法が、どれほど 〔アビダルマを代表する〕説(せつ)一切(いっさい)有部(うぶ)の伝統に適切に、根ざしているのかを、更に示し得たのである。(p.xxxv)
桂氏は、当の論文をこう締めくくっている。
結論として、コックスが認識論を示唆したように、説一切有部アビダルマからダルマキールティへのアイデアの流れはあった、といいたい。存在論の分野でも、女史(じょし)の説一切有部アビダルマ文献におけるダルマの新たな研究の助けで、ダルマキールティの自性概念は、説一切有部アビダルマにどれほど深く根ざしているか知ることが出来るのである。(p.279)
さらっと読むと、アビダルマとダルマキールティの親縁関係が深く印象付けられるもっとも、桂氏は、慎重なスタンスを取り、この関係について、以下のようにいう。
挙句(あげく)、〔仏教論理学の先達〕ディグナーガとダルマキールティに関してさえ、我々は、正しい思想的つながりがわからないままなのである。存在論・認識論・論理学の様々なトピックについて、お互いに異なっていることは知っている。そして、ダルマキールティは、偉大な先人を外見上、批判せずに、その見解を刷新しようとしたことも知っている。現在では、どんな頑な(かたくな)な仏教論理学研究者でも、2人の偉大な仏教論理学者が、同じ意見を持っていたという主張に拘る(こだわる)とは思わない。どうして、彼らは、違ってきたのかを正確に決めるのは、我々の今後の仕事だ。
同じことは、世親とディグナーガ・ダルマキールティとの関係にも当てはまる。我々は、どの程度、後者達が、アビダルマ伝来の存在論や認識論を受け継いだのか探るべきである。特に、説一切有部、譬(ひ)喩師(ゆし)・経量部のそれ、同じく、世親に帰される『論軌(ろんき)』(」)や論争術書に見い出される認識論・論理学のそれを探るべきである。本稿の目的は、説一切有部アビダルマからダルマキールティへのアイデアの流れについて、幾ばくかの光を当てることである。(p.271)
今は仮に、世親からダルマキールティの思想的流れを、アビダルマ思想史と呼んでおこう。
以下の話は、その基点とも思われる、世親(せしん)作『倶舎論(くしゃろん)』Abhidharmakosabhasya(アビダルマ・コーシャ・バーシュヤ)にまつわるものである。