新チベット仏教史―自己流ー
その4
彼女は、当時の学者達への批判に移ります。
私の目的は、仏教教理に関するわが最高の権威者たちが、無知のままにそれを議論していることの証明することで足りるのです。もう1つの証拠をお見せしましょう。マックス・ミュラー教授は、その講義録『ドイツ研究集会要録』第一巻のなかの「ニルヴァーナの意義」と題した章において、ある反対者に対する憤激の回答のなかで、ニルヴァーナの語が消滅する何か、ロウソクの火のように己を消し去ろうとする何かを意味する事実に立脚して、この意味だけが仏教を明確に説明できる、と証明しようとしています。教授によれば、仏教 徒は、個人の魂の消滅を信じ、ある一事のみを追求します。すなわち、いつの日か存在することを止めたい、と。このマックス・ミュラー論文では、ブッダは「無神論者」か「自己中心主義者」のように見えます。(これらのことばの形而上学的(けいじじょうがくてき)意味(いみ)において)。至福について教授は「自身以外の何物でもないものへの堕落(だらく)」と教えます[二八八ページ]。しかし、驚くべきことに、また仏教徒はすべて「無神論者で虚無主義者」だ、というこの大学者の定言(モ・ドルドウル)に慣れ親しんできた信奉者が無念がってさえいるのは、尊敬すべき言語学者が唐突(とうとつ)にも意外な豹変(ヴォルト・ファス)を見せたことです。一八六九年、キールで行われた「ドイツ言語学会」のある講演会において、教授は大会衆を前に、その「年来の意見」を次のように公表したのです。すなわち、無神論はブッダの教えとまったく無関係であること、またニルヴァーナが、真実個人の魂の消滅を意味すると考えるのは大きな過ちにほかならない、ということでした。こうした事情を考慮した場合、「大学者各位」はしばしばその権威を乱用する、という私の意見に反対する人がいるでしょうか?マックス・ミュラー教授は、一八五七年においても、一八六九年におけると同様、言語学と古代宗教に関して大変な権威者だったことを忘れてはなりません。古代人がこのように信じた、と独断的に断言するには、古代人の思想の深淵(しんえん)を推し測り、その言語だけでなく、独特な哲学思想も理解することが必要です。そのためには、すべての古代哲学者を比較するほかありません。個々に取り上げても、全然比較できないからです・・・「しかしこれは今まさに哲学者たちがマックス・ミュラー教授を先頭に取り組んでいることだ」と反論されるかもしれません。そのとうりです。しかし残念ながら、これまでのところ比較に成功したのは、空文化(くうぶんか)したものばかりです。生きた精神の研究は、唯物(ゆいぶつ)主義(しゅぎ)の鈍重(どんじゅう)で朦朧(もうろう)とした空気のために、通例見逃されてきました・・・ゴータマ・ブッダの説教である『シュートラ経典』(トリピタカ、ツマリ『三蔵』経典の第一巻)、そして同じ経典の第三巻、ブッダの友人であったカシャパの『哲学体系』(ブッダの教えに新しい光を当て、教えを補完する著作)を注意深く研究するだけで仏教あるいは「ブッダの哲学」と呼ばれる暗闇を明るく照らすことができるはずです。『シュートラ』のなかでは、物質世界の現実は感覚の幻影と呼ばれています。形とか各物質の本質は、危険な幻影であることが示されます。一見現実と見える個人や自己(エゴ)も否定されます。しかし、すべての現代唯物論者が否定るところのもの、単に夢のなかの無根拠な妄想と称して地表から抹殺しようとしているもの、まさにそのものこそ、「幻影の世界のなかで唯一の現実である」と『シュートラ』は宣言し、「カシャパの哲学」がその理由をせつめいするのです。H.P.ブラバァツキー、加藤大典訳『インド幻視紀行』上、2003年、pp.503-505,ルビほぼ私)
ここで名指しされているマックス・ミュラー(F.Max.Muller,823-1900)は、まぎれもなく、当時を代表するインド仏教研究者でした。日本で、サンスクリット語の講義を始めた、南條(なんじょう)文(ぶん)雄(ゆう)(1849-1927)は、オックスフォード大学で、マックス・ミュラーに学びました。ブラバツキーとも意識を共有した時期もあったはずです。ともに、あらゆる宗教の枠を超えた、世界宗教を目指していました。しかし、ここでは、マックス・ミュラーは、絶好の批判相手とされています。その主な理由は、主張が二転三転することです。そして、その奥底には「唯物論」があります。どうやら、ブラバツキーは、霊性復活運動を牽引する立場にあり、現代にもつながる「物質中心」の風潮に反旗(はんき)を翻(ひるがえ)しているようですが、2人の関係はあまり良好ではなかったようです。