Tips of Buddhism
No,56
Dignaga’s relation to the Vatsiputriya sect is not certain,Both Bu-ston and Taranatha tell us an anecdote of how Dignaga ridiculed the Vatsiputriya doctrine.One day Dignaga stripped himself of his clothes and kindled fires at the four corners of his room in order to serch for the Ego(pudgala)which was assumed by the Vatsiputriyas to exist as an entity neither identical with nor different from the elements composing the bodyInsted of discovering the Ego,he only enraged his teacher,and soon parted from the Vatsipuriya sect.(M.Hattori;Dignaga,On Perseption,being the Pratyaksapriccheda of Dignaga’sPramanasamuccaya from the Sanskrit fragments and the Tietan versions,Cambridge,Massachusetts,1968,p.2,ll.7-13)
(hints,Dignagaディグナーガ(陳那) ,Vatsiputriya犢子部、Bu-stonプトン,チベットの学僧、Taranathaターラナータ)
(訳)
ディグナーガと犢子部との関係ははっきりしない。プトンやターラナータは、ディグナーガが、どのように、犢子部の教義を嘲笑したかという逸話を伝えている。ある日、ディグナーガは、服を脱いで、プドガラを探すために四方で火を焚いた、プドガラとは、身体の構成要素〔五蘊〕と同一でもなく異なったものでもない(非卽非離)実体として犢子部が認めたものである。プドガラを見つける代わりに、師を怒らせただけだった、間もなく、彼は、犢子部を離れた。
(解説)
ディグナーガは、前に触れた『倶舎論』の著者、世親(Vasubandhu,ヴァスバンドゥ)の弟子筋に当たり、彼自身にも短い『倶舎論』注がある。しかし、第9章のメインである犢子部批判をカットしたり、世親作とされる『論軌(ろんき)』Vadabidhiを世親作ではないと述べたりして、この子弟関係は、随分、微妙である。ディグナーガの主著は、『集量論(じゅりょうろん)』Pramanasamuccaya(プラマーナ・サムッチャヤ)といい、当時のインド思想界に衝撃(しょうげき)を与えた。これ以降、仏教以外の宗派は、ディグナーガ批判を最大の目的とすることとなる。『集量論』を現代風に訳すと、『認識論集成』であろう。当時の主要な学派、仏教も仏教外も含めて、それぞれの説く「認識論」等を集めて批判を展開した。特殊な言語・概念理論アポーハ理論なるものを説いた。その理論は西洋哲学者の関心もよんだ。以下に紹介しておこう。
本研究の目的は、ディグナーガ・・・の概念論であるアポーハ(=他者の排除、anyapoha)論の唯名論的性格を、中世ヨーロッパにおける唯名論nominarilismの代表者オッカム(William Ockam,1280/85-1349)の思想と比較することによって明らかにし、アポーハ論の性格が、ことばや認識に対するどのような態度と関係があるのかを考察することである。二人の思想の親近性を主張した人として、シュツェルバツキー(Stcherbatsky1866-1946)がいる。彼はその著書『仏教論理学』の第4章第3部「普遍」の中で、中世インドには中世ヨーロッパにおける普遍論争とパラレルな論争があったとし、ディグナーガの立場を唯名論或概念主義conceptualismの中に含めている。そして欄外の注でディナーーガとパラレルな中世スコラ哲学者の一人としてオッカムを挙げている。このようにディグナーガ解釈は現在においても見られる。“普遍論争”というものが、ことばとことばの対象との関係についての論争であるとするならば、中世インドにおいても、それに準ずる論争が確かにあった。そしてディグナーガもオッカムも、「普遍」が外界に実在することを否定し、「普遍」を「概念」に帰した。・・・従って、ディグナーガとオッカムとを、両者に関する近年の研究成果に基づいて比較し、従来漠然として当たり前のように「唯名論」と呼ばれてきたディグナーガの主張の性格を明確にすることを本研究の目的とする。その理由は、従来のようにディグナーガの思想を、ディグナーガの属する唯識学派の観念論的存在論と結び付けて考察する方法では不十分であると考えたからである。(山方元「オッカムの普遍とディグナーガのアポーハ(I)」、pp.1-2、ネットでは詳しい出典は不明だが、同論文の(II)は、『公民論集』(大阪教育大学)2,1994と確認出来る)
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