「倶舎論」をめぐって

XL
ただ、その重要性に着目したのは、仏教徒だけではなかった。ジャイナ教の有名な論書『12輻観点論』Dvadasaranayacakraは、フラウヴァルナ―も推奨した優れたものである。彼の推奨分を1部のみ引用しておこう。
 哲学上の情報が、極めて欠如している時代に遡って、我々が、知る由もない著書や著者に関する多くの新情報をもたらしてくれる。少しの例を出せば、マッラヴァーディン〔の『12輻観点論』〕第1章や第8章には、仏教の認識論学派の開祖,ディグナーガの著作の断片が多数保存されている。彼の著作を、我々は、部分的に、チベット語訳や漢訳から知るしかない。
(Muni Jambuvijayaji ed.;Dvarasaram Nayacakram,pt.1,Bombay,1966,p.5,ll.20-26)
こういう指摘を生かして、後に、服部正明博士は、名著『ディグナーガの知覚論』(Dignaga,On Perception)を著したのである。
 さて、作者はマッラヴァーディン(Mallavadin)という6世紀頃の人物である。フラウワルナーの序文には、彼の哲学の意義も述べられているが、また、別な話題となるので、今は触れないでおきたい。その中に、上で紹介した『倶舎論』の文が、少々、形を変えて引用されている。次に示して見よう。
 更に、『倶舎論』で語られたことは、〔以下のようである〕。「物質領域(rupayatana,色処)とは、この多種類に区分されたもののことである。その中で、ある時は,1つの素材(dravya)によって、視覚が起こる。その際、青等の種類を識別する(vyavaccheda)のである。ある時は、多数〔の素材〕によって、〔視覚が起こる〕。その際、その種類の識別はない。例えば、遠くから、多様な色彩が一緒になった(samsthana)、山成す(samuha)宝石を見つつあるように。」
yac capy abhihitam abhidharmakose yad etad anekaprakarabhinnam rupayatanam tatra kadacid ekena dravyena caksurvijnanam utpadyate yada niladitatprakaravyavacchedo bhavati,kadacid anekena yada na tat prakara-
vyavacchedah,tad yatha durad manisamuham anekavarnasamsthanam pasyatah/ /(Muni Jambuvijayaji ed.;Dvarasaram Nayacakram,pt.1,Bombay,1966,p.78,l.10-p.79,l.2、サンスクリット原典ローマ字転写)
この部分は、「世親説の知覚に対する批判」(vasubandhuvirnitapratyakse dosah)と銘打って、4ページほど議論が展開される。内容は、シンハスーリ(Simhasuri)の注を仔細に読まねばならないが、世親説とディグナーガ説が同列に論じられることも多く、ここ以外の個所も参照しなくては全容はわからない。しかし、議論の要は、シンハスーリの次の言葉に集約される。
 1つの素材である原子は、いつでも、超感覚的(atindriya)
であるのに、〔『倶舎論』では、それを〕把握しているとするのだが、「どうして、〔1個の原子を把握するような場合〕1つとしての視覚が起こるのか?」〔と師は疑問を投げかける〕。
ekasya ca dravyasya paramanoh sarvadapy atindriyasya grahanad ekena dravyena katham caksurvijnanam utpadyate?(ibid,p.80,ll.20-21)
事は『大毘婆沙論』に始まり、ダルマキールティの『量評釈』でも論じられる重要な問題であるが、今は、簡単な紹介に留め、校訂者ジャヤムヴィジャヤの「はしがき」(prakkathanam)から、『倶舎論』等に言及する個所を引用しておきたい。原文は、サンスクリットなので、ローマ字表記の転写も載せておく。
 仏教思想(bauddha-mata)を扱う(prastava)に当たって、刹那論(ksanikavada)・識論(vijnanavada)・空論(sunyavada)等多くの議論について、ここで考察する。論蔵である品類足論(prakaranapada)等のサンスクリット語の仏教のアーガマのうち、アールヤデーヴァ作『四百論』から、世親著『倶舎論』から、ディグナーガ著『集量論』・『注釈』・『正理門論』・『観所縁論』・『解捲論』・『アポーハ対境論』等の多くの著書から、そして他の著書から、ここに、語句(patha)を引用した。
bauddhamataprastave ksanikavada-vijnanavada-sunyavadadyanekavadanam carcatra vilokyate/abhidharmapitaka prakaranapadadisamskrtabauddhagamebhya aryadevakrtacatuhsatakad vasubandupranitabhidharmakosad dinngaracita-pramanasamuccaya-vrtti-nyayamukha-alambanapariksa-hastavalaprakarana-apohavisayaprakaranadyanekagranthebhyo ‘nyagranthebhyas ca patha atrodvrtaha/(ibid,p.21,ll.5-8)


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