「倶舎論」をめぐって

XVI
とにかく、世親は、やはり、謎の多い学僧なのである。真諦による著名な世親伝『婆藪槃豆法師伝』(バスバンズ・法師伝)でもサーンキャと世親の因縁浅からぬ関係は伝えられている。その伝記で言及されている、世親作の反サーンキャ論書『七十真実論』(大正新修大蔵経、No.2049,190a/28)は、現存しない、幻の書だが、カマラシーラ(Kamalasila)の『真理綱要難語釈』Tattvasamgrahapanjikaに、その名が確認される。次に示しておこう。
こうして、先生世親をはじめとする者達は、『倶舎論』(kosa,mdzod)や『七十真実論』(paramarthasaptatika,don dam par bdun cu pa)等において、真意を明かすことに努めたからである。(以下サンスクリット原文、チベット語訳ローマ字転写)
evam acaryavasubandhuprabhrtibhih kosaparamarthasaptatikadisv abhiprayaprakasanat parakrantam,
(E.Krishnamacharya(ed.):Tattvasangraha of Santaraksita with Commentary of Kamalasila,vol.I,Baroda,1984,rep,of1926,G.O.S,No.30,p.129,ll.20-21)
de lta bu slob dpon dbyig gnyen la sogs pas mdzod dang don dam pa bdun cu pa la sogs par dgongs pa gsal bar byas pa’i phyir ro//(チベット語訳、デルゲ版,No.4267,Ze224a/5)(高木訷元「ヴァールシャガニヤの数論説」『マータラ評註の原典解明 高木訷元著作集2』平成3年所収、p.68の注(17)に個所の指摘あり)。
書名は、犢子部(Vatsiputriya、とくしぶ)のプドガラ(pudgala)批判の流れで、登場する。その思想的意味合いにも、関心を向けねばならないが、今は、情報のみ確認しておきたい。興味ある方のために、研究状況を述べておくと、この部分の考察には、内藤昭文「TSPにおけるアートマン説批判(II)―プドガラ説をめぐって(1)―」『印度学仏教学研究』30-1、昭和59年、pp.140-141,同「TSPにおけるアートマン説批判(II)―プドガラ説をめぐって(2)―」『仏教学研究』41,昭和60年、pp.20-51がある。後者の論文では、「KamalasilaがDiganagaとDarmakirti以外の先師をAcaryaとして、具体的に名前を示すのは極めて珍しく、しかも同時に書名までを挙げることを筆者はここ以外で知らない。」(p.47の注50))とある。とかくニュースソースに使われる『婆藪槃豆法師伝』の記述は、全くの絵空事を伝えているのではなく、それなりに信頼が置けるということがわかる。また、古典的名著、チャクラヴァルティ『サーンキャ思想の起源と発展』P.Chakravarti:Origin and Development of the Samkhya System of Thought,Culcutta,1975,p.147では、『真理綱要難語釈』に『七十真実論』の引用偈があるとする。チャクラヴァルティは、こう述べている。
 世親の『七十真実論』について、知るところは、全くない。カマラシーラだけが、テキストに言及するが、何ら詳しいことは報じない。とはいえ、彼は、世親のテキストからの引用らしき偈を注釈に引く。だが、彼は、典拠を語っていないのである。(p.147)
当の偈は、こうである。「須らく、凝乳なるもの、それは、ミルクであり、ミルクなるもの、それは凝乳であると、まさしく〔野獣にも似た野蛮な考えを抱く〕ルドリラによって、説かれたが、〔彼は、また、ヴィンドゥヤ山に住む獣たる〕ヴィンドゥヤヴァージンと呼ばれる。」(この偈は、村上真完『サーンクヤ哲学研究―インド哲学における自我観―』1978,p.437の注(56)にも1部紹介されている、今西順吉「根本原質の考察:タットヴァサングラハ第1章訳註」『北海道大学文学部紀要』20(2),p.166,本田恵『サーンキヤ哲学研究』上、昭和55年、p.228にも訳あり、以下原文及びチベット訳ローマ字転写)
“yad eva dadhi tat ksiram yat ksiram tad dadhiti ca/vadata rudrilenaiva khyapita vindhyavasita”iti(p.22,ll.26-27)
zho gang yin pa de ‘o ma//’o ma gang yin de zho zhes//drag po len gyis bstan pa ste//de bzhin ‘bigs byed gnas pa’ang’chad//ces bshad do//(デルゲ版、No.4267,Ze,152b/3-4)
チャクラヴァルティは、同偈を示した後、こう付け加えている。
 ここで、ヴィンドゥヤヴァージンは、間接的に「野獣」と呼ばれている。サーンキャ師の本当の名はルドリラで、ヴィンドゥヤヴァージンは、彼の異名である。…ヴィンドゥヤヴァージンは文字通り、ヴィンドゥヤ山に住む者のことであり、それは通常、山に住む獣のことなのだ。(p.147)
上の偈は、典型的な因中有果論、即ち、「原因の中に既に結果が内包されている」という説だ。これは、サーンキャ学派に帰される考え方である。また、ヴィンドゥヤヴァージンという名前も、『婆藪槃豆法師伝』にも頻繁に登場する。これらのことを総合的に考えると、世親とサーンキャ思想は、切っても切れない関係にあることがわかる。『倶舎論』でも、批判相手として、サーンキャ思想が取り上げられる場面は、いくつかある。従来は、サーンキャ批判という面がクローズアップされてきたように見受けられる。仏教徒たる世親が、外道であるサーンキャと同じわけはない、と考えるからである。しかし、世親には、むしろ、「隠れサーンキャ」という評価を与えた方が、正しいような気もするのである。今は、感触めいたことしかいえないが、『倶舎論』そしてサーンキャ関係の書物を精査することで、異なった世親像が浮かび上がってくるかもしれない。ここでは、世親とは、思想的に様々な意匠を示す、一筋縄ではいかない人物であることを理解してもらえばよいと思う。

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