仏教豆知識

その3
しかし、時代は変わりました。本書『ウオールデン』は湖の名前です。ソローは、この湖の周辺に2年余り自給自足で暮らしました。その時の様子を『ウオールデン』で示したのです。欧米に禅を普及した、鈴木(すずき)大拙(だいせつ)(1870-1966)は、ソローについて次のような感慨(かんがい)を述べています。
 基(き)教(きょう)が神に熱するの余り、前後を忘却(ぼうきゃく)せんとするに比すれば、印度(いんど)宗教の超然(ちょうぜん)脱俗(だつぞく)の趣(おもむ)きある処(ところ)、大にソーロ仙人を動かしたりと見えたり。(「米国田舎だより」『鈴木大拙全集』別巻一、昭和46年、p.197,初出『新仏教』6-5明治38年(1905)、一部現代語標記に改める、ルビ私)
ソローのことをソーロ仙人と呼んでいます。ウオールデンでの暮らしぶりはまさに仙人と呼ぶにふさわしいものでした。訳書から、ソローらしい文を抜き出してみましょう。
 松の木を何本か切り倒した私ではあるが、仕事を終えるころにはこの木のことがずっとよくわかるようになり、マツの敵というよりは友達になっていた。(飯田実訳『森の生活ウォールデン』上下、岩波文庫、2016,p.80)
さらに以下のように自然を讃(たた)えます。
 心地よい夕べだ。全身がひとつの感覚器官となり、すべての毛穴から歓びを吸い込んでいる。私は「自然」の一部となって、不思議な自在さでそのなかを行きつ戻りつする。曇天(どんてん)で風が強く、肌寒いほどだし、とくに心をひかれるものがあるわけではないが、シャツ一枚になって石ころだらけの湖のほとりを歩いていると、「自然」を構成するすべての元素がいつになく親しみ深く思われてくる。・・・私は、風にざわめくハンノキやポプラの葉への共感で息が詰まりそうだ。』(飯田実訳『森の生活 ウォールデン』上下、岩波文庫、2016,p.233,ルビ私)
また、こうも言っています。
 私が森へ行ったのは、思慮(しりょ)深く生き、人生の本質的な事実のみに直面し、人生が教えてくれるものを自分が学び取れるかどうか確かめてみたかったからであり、死ぬときになって、自分が生きてはいなかったということを発見するようなはめにおちいりたくなかったからである。(飯田実訳『森の生活 ウォールデン』上下、岩波文庫、2016p.162、ルビ私)

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